小説「新・人間革命」 勇将 20 2013年 3月7日
山本伸一は、坂藤久美の抱負に、何度も頷きながら、耳を傾けていた。
かつて支部婦人部長といえば、学会の『お母さん』であり、『太陽』のような存在でした。
私はまだ、年若い婦人部長ですが、誰が見ても感じが良く、『誠実で、温かい』と言われる、『妙法のはちきん』の婦人部長をめざし、人間革命してまいります。
そして、婦人部の前進が、全学会の前進につながることを確信し、本日より、勇んで前進を開始していくことをお誓いし、私の抱負とさせていただきます」
伸一は、真っ先に大きな拍手を送った。それは、支部婦人部長となった坂藤久美への期待と励ましの拍手であるとともに、母の弥栄への賞讃でもあった。
親から子へと、信心のバトンが確実に手渡されていってこそ、広宣流布の流れは、永遠のものとなる。
なかには、子どもが信心に励んでいないケースもあろう。
しかし、焦る必要はないし、肩身の狭い思いをする必要もない。
勝負は一生である。日々、子どもを思い、その成長と幸せを祈り、対話を重ねていくことだ。
また、学会の青年や未来部員を、わが子と思い、真心を尽くして、温かく励ましていくことである。
その育成の流れが、広宣流布の未来の大河を形成していくのである。
伸一は、彼のことは、よく知っていた。
長野は、徳島大学会のメンバーであり、一九六八年(昭和四十三年)十月、四国の五大学会の合同結成式の折、伸一は、彼から相談を受けたことがあった。
彼は、徳島大学の医学部を卒業したものの、将来の進路が定まらずに、悩んでいたのである。