小説「新・人間革命」 勇将 25 2013年 3月13日
国立療養所大島青松園に赴任した長野栄太は、ハンセン病の治療にあたるだけでなく、“患者のために、生涯を捧げたい”と考えていた。
彼には、学生時代、医師を志すうえで、深く心に刻んだ御書の一節があった。
長野は、“自分も仏法者として、患者の苦悩を、共に分かち合っていける医師になろう”と、懸命に信心に励んできた。
それは、単に“病を治療する医師”から、“人間の幸せを願う医師”へと、彼を脱皮させていった。医師の眼が、人間の幸福から離れるならば、医学は冷酷な凶器となる。
長野が大島青松園に来る前から、ハンセン病は、治癒可能な病になっていた。
療養所に在籍する人の多くは、病状が治まった“元患者”である。
しかし、後遺症等によって、視力が低下したり、手足が不自由になったりするなど、身体に障がいが起こっており、社会での自立が困難になっている人が少なくなかった。
なぜ、そうなってしまったのか――。
療養所の入所者の平均年齢は、既に六十歳近い。
それによって、治療剤の恩恵を受けた時期も遅く、後遺症や合併症に対する適切な治療も行われなかったのである。
また、社会には、隔離政策などによって、ハンセン病への強い恐怖感が植え付けられてきた。
それが、社会に復帰していった元患者の人たちに対する、偏見と理不尽な差別を生み出していたのである。
そうした現実が、社会復帰できるようになった人びとを阻む、分厚い壁となって立ちはだかっていたのだ。
“自分たちは、療養所のなかで、一生を終えていくしかないのか……”
社会に出ようと、希望をいだいてきた人の多くが、深い絶望感に襲われたにちがいない。