小説「新・人間革命」勝利島1 2015年 7月21日

不屈の精神は、不屈の行動を伴う。
寄せ返す波浪が、いつしか巌を穿つように、粘り強い、実践の繰り返しが、偉大なる歴史を生み出す。
ロシアの文豪トルストイは記す。
「行動はすべて信仰から出る」(注)と。
自らの使命を自覚し、勇んで活動する人の胸には、歓喜の炎が赤々と誇らかに燃え盛り、その日々には、充実と躍動がある。
山本伸一は、行動し続けた。走り続けた。戦い続けた。
一九七八年(昭和五十三年)の九月二十日夜、第四次訪中から帰国した彼は、翌二十一日には、訪中について、マスコミ各社のインタビューに応じるとともに、依頼を受けていた新聞社などの原稿執筆に余念がなかった。
二十二日には、執筆作業を一時中断し、東京・池袋の寺院に赴任してきた住職と懇談した。
学会員を守り抜くため、宗門の僧らに、どこまでも誠実に対応していった。
そして、二十三日には、東京・立川文化会館での本部幹部会に出席して指導。翌日には静岡へ赴き、法主の日に訪中の模様を報告し、さらに、富士宮の代表らと懇談した。
彼は、一日に四回、五回と、会合等に出席し、激励を重ねることも珍しくなかった。
九月二十五日を見ても、東京・信濃町で、聖教新聞社を訪れた人をはじめ、出会った何人もの同志と語り合った。
夕刻からは新宿区代表幹部会(新宿文化会館)、世田谷区代表幹部会(創価文化会館内の広宣会館)、渋谷区代表幹部会(同文化会館内の地涌会館)、新宿区女子部の代表との勤行会(学会第二別館)に出席し、全力で励まし続けた。
広宣流布は着々と進み、今や、創価の太陽は世界を照らし始めた。
それゆえに、障魔の暗雲は湧き起こり、学会への攻撃が繰り返されていた。伸一は、「わが同志を断じて守らねばならぬ」と、深く心に決めていた。
人間の一生には限りがある。なればこそ彼は、わが使命を果たすために、一分一秒たりとも時間を無駄にしたくなかったのである。
 
■引用文献
注 「わが信仰はいずれにありや」(『トルストイ全集15』所収)中村融訳、河出書房新社