小説「新・人間革命」 革心57 2015年 7月6日

鄧穎超は、自分のことだけでなく、中日友好協会の林麗ウン理事も、全国婦女連合会の執行委員に就いたことを語った。
林麗ウンは、周恩来総理と山本伸一が会見した際、通訳を務めた女性である。
歓談の半ば、伸一と同じテーブルに着いていた孫平化秘書長が、二人の青年を手招きした。近づいてくる二人を見て、伸一は、懐かしさに、思わず両手を広げた。
一九七五年(昭和五十年)に、新中国からの最初の国費留学生として創価大学に入学し、別科日本語研修課程を修了して帰国した、滕安軍と李冬萍の二人であった。
滕安軍は外交部(外務省)に勤務し、「日中平和友好条約」調印のレセプションでは、黄華外相の通訳を務めたという。李冬萍は中日友好協会のスタッフとして活躍していた。
また、一緒に留学した他の四人も、それぞれ中国と日本の友好を担う第一線で仕事をしているという。伸一は創立者として、留学生の健闘が嬉しかった。
「みんな、頑張っているんだね。嬉しいです。皆さんは創価大学の、私の誇りです。日中友好の体現者です。私は皆さんを見守り続けます。ますますのご活躍を祈ります」
彼は、二人と祝福の固い握手を交わした。その光景を、鄧穎超も、廖承志も、笑みをたたえて見つめていた。友好交流の種子は、ここでも大きく育っていたのだ。
種は小さい。しかし、その種を丹念に育んでいくならば、やがて芽を出し、良き苗となり、いつか大樹へと育っていく。
伸一は、未来のために、これからも友好のあらゆる種子を蒔き続けていくことを、あらためて心に誓うのであった。
翌十八日は快晴であった。
午前十時、伸一は、前日の歓迎宴の御礼に、中日友好協会を表敬訪問し、張香山副会長らと中国の現状を取り巻く諸問題や今後の教育・文化交流について語り合った。
午後には、趙樸初副会長を訪ね、中国の宗教事情をテーマに懇談した。