小説「新・人間革命」 革心62 2015年 7月11日

李先念副主席との会見で山本伸一は、中国と米国の関係についても、率直に質問した。
「国交正常化を前提として、中米条約のようなものを結ぶ考えは、おもちでしょうか」
中米の国交については、一九七二年(昭和四十七年)二月に、ニクソン大統領が訪中。
それまでの敵対関係に終止符が打たれ、国交正常化へ向けて、関係の緊密化に努めることになった。
相互に連絡事務所を設置し、大使級の所長を置くなど、前進がみられた。
七五年(同五十年)十二月にはフォード大統領が訪中し、両国は国交正常化に努力する意思を再確認している。
七七年(同五十二年)一月、カーター大統領が誕生し、中米の国交樹立へ動きだすが、交渉は難航。先行きは不透明であるといえた。
伸一は、日中の平和友好条約が調印された今こそ、膠着状態にある中米関係が正常化することを、強く願っていたのだ。
伸一の問いに、李副主席は端的に語った。
「国交正常化を前提とした中米条約を結ぶ用意はあります。
これは相手のあることで、カーター大統領の胸三寸にかかっています」
伸一は、両国の関係正常化を確信した。
さらに彼は、「中国は、ジュネーブ軍縮委員会に参加するか」「社会主義民主化の基礎である法律整備について」「『四つの現代化』に呼応しての宗教政策」「核兵器廃絶への方途」など次々と質問し、意見交換した。
会見の最後に、伸一は尋ねた。
「日本に最も期待することはなんですか」
「両国が仲良くすることです。われわれの世代だけでなく、子々孫々まで仲良くしていくことです。両国は戦争をしてはならない」
語らいは一時間十分に及んだ。会見の模様は、「一万人の留学生派遣」(朝日)、「中米条約結ぶ用意」(読売)等の見出しで、新聞各紙が大々的に報じた。
この直後、カーター大統領はワシントン駐在の中国連絡事務所長と接触。両国が国交樹立を電撃的に発表したのは、その三カ月後、十二月十六日(日本時間)のことであった。