小説「新・人間革命」 革心52 2015年 6月30日

山本伸一たち訪中団一行が、南京から北京空港に到着したのは、午後七時四十分(現地時間)であった。
秋冷えのするなか、空港では、中日友好協会の張香山・趙樸初副会長、廖承志会長の夫人である経普椿理事をはじめ、多数の「友人」が出迎えてくれた。
既に四度目となる宿舎の北京飯店に着くと、外は雷雨となった。
翌十七日も、激しい雨が降り続いていた。 
「天が大地を清めてくれているんだ。すばらしいじゃないか! 雨に感謝だよ」
宿舎を出発する時、伸一は、皆にこう言って、笑いの花を咲かせた。
一行が向かったのは、前年九月、天安門広場の南側に完成した毛主席記念堂であった。
車を降りた時には、雨はあがっていた。
記念堂には、毛主席の遺体が納められている。
一行は献花して追悼の祈りを捧げた。
その後、北京の北西約五十キロにある明の十三陵の一つである定陵を見学した。
定陵を巡りながら、伸一と趙樸初副会長の語らいが弾んだ。
趙副会長は、中国仏教協会の責任者でもあり、これまでにも、何度か仏教談議を重ねてきた。この年の四月にも、中国仏教協会訪日友好代表団の団長として来日し、聖教新聞社で語り合っていた。
定陵で二人は、「一大事因縁」「五味」「開示悟入」などについて意見を交換したあと、法華経を漢訳した鳩摩羅什をめぐって、翻訳論が話題となった。
趙樸初が言った。
「仏法の翻訳という作業においては、言葉を言葉として伝えるだけの翻訳では『理』であると考えています。
自身の生き方、行動を通して、身をもって示し伝えてこそ、『事』の翻訳といえるのではないでしょうか。
また、大切なことは、仏法の教えの心を知り、それを正しく伝えることです。
翻訳者が言葉の表層しかとらえられなければ、仏法の法理を誤って伝えてしまうことにもなりかねません。崇高な教えも、翻訳のいかんで、薬にもなれば、毒にもなってしまいます」