小説「新・人間革命」 母の詩 29 11月4日
母の幸は、学会本部に来る時には、よく自分で縫った黒い羽織を着ていた。
本部は、広宣流布の本陣であり、歴代会長の精神が刻まれた厳粛な場所である。正装して伺うのが当然である――というのが、母の考えであった。
息子が会長であるからといって、公私を混同するようなことは、全くなかった。
母が亡くなる前年の一九七五年(昭和五十年)四月のことである。桜花爛漫の総本山で、伸一は、母と久しぶりに会う時間があった。諸行事が続くなか、言葉を交わしたのは、数分にすぎなかった。
彼は、花の大好きな母のために、レイと桜の小枝を贈った。レイを首にかけると、母は、「ありがとう、ありがとう」と、何度も言い、桜の花を見ては、微笑んだ。
別れ際、伸一は、自分にできる、せめてもの親孝行として、母を背負って、坂道を歩こうと思った。
伸一が、かがみ込んで背中を向けると、母は、はにかむように言った。
「いいよ、いいよ。そんなことを、させるわけにはいかないよ」
「いいえ、お母さん。私が、そうさせていただきたいんです」
伸一が、強く言うと、母は、「悪いねえ」と言って、彼の背中に乗った。
小柄な母は、年老いて、ますます小さく、軽くなっていた。
伸一が、「うーん、重い、重い」と言うと、屈託のない笑い声が響いた。
背中に感じた、その温もりを、彼は、いつまでも、忘れることができなかった。
親孝行とは、何も高価なものを贈ることではない。親への感謝の思い、真心を伝えることである。親と遠く離れて暮らし、なかなか会えない場合には、一枚の葉書、一本の電話でも心は通い合う。
「生みの親をないがしろにするようでは、自然にもとり、人の道を守れるはずはない」(注)とは、シェークスピアの警句だ。