小説「新・人間革命」 母の詩 30 11月5日

山本伸一の母・幸は、一九七六年(昭和五十一年)に入ってからも、六月には、元気に関西旅行に出かけた。しかし、月末から体調が優れず、床に伏す日が多くなっていった。
 七月初旬には、何度か、危篤状態に陥ったのである。
 伸一が見舞った時、母は、既に酸素吸入器をつけ、ぐったりとしていた。彼は、健康を回復するように祈りながら、体をさすった。一念が通じたのか、母の呼吸が整い、頬に赤みが差した。
 「伸ちゃん、楽になったよ」
 はっきりとした口調で、こう言い、この日は、羊羹まで食べたのである。
 その後、快方に向かった母は、見舞いに訪れた伸一に、こう語った。
 「私は、行きたいところは、どこへも行ったし、着たいものも、なんでも着ることができた。私は、日本一の幸せ者だよ。いい人生だったよ」
 苦労に、苦労を重ねてきた母である。しかし、健気に信心に励み、最後に「日本一の幸せ者」と言い切れる母は、人生の勝利を満喫していたにちがいない。
  伸一は、病床の母に、日寛上人の「臨終用心抄」を簡潔に、講義した。
これは、日寛上人が、臨終の心構えを説かれた書で、死を迎える時に心が乱れることなく、成仏するための用心について、御書や経論、さらに、一般の書も用いて示されたものである。
 心が乱れてしまう要因として、「断末魔の苦」「魔の働き」「妻子・財宝などへの執着心」をあげている。
このうち「断末魔の苦」は、他人をそしることを好み、人の心を傷つけることによって、招いたものであるとし、そうならないためには、平生からの善行が大切であると教えている。
まさに、臨終は、人生の総決算といってよい。
 この「臨終用心抄」では、法華本門の行者は、不善相であっても成仏は疑いないことや、臨終に唱題する者は、必ず成仏することなどが明かされている。