小説「新・人間革命」 母の詩 27 11月2日

山本伸一の父・宗一は、一九五六年(昭和三十一年)十二月十日、六十八歳で他界した。母の幸と、二人三脚で歩み抜いてきた生涯であった。
 伸一は、その日の日記に、こう記した。
 「私を、これまで育ててくれた、厳しき、優しき父が、死んでしまった。嗚呼。大なる親孝行できず、残念。われ、二十八歳。旧き、実直な父。封建的な、誠実な、スケール大なる父。
 無口の中に、一度も、叱られしことなきを反省す。嗚呼。静かな、安祥とした遺体を前に、御守御本尊様を奉戴し、読経、唱題、回向を一時間。
 残されし、悲しげな母の姿に涙す」
 母は、広宣流布の大師匠・戸田城聖に仕え抜く伸一のために、題目を送ってくれた。
 父は、信心はしなかったが、「伸一は、戸田先生に差し上げたもの」と言って、彼を温かく見守ってくれていた。
 伸一は、父が、最高峰の日蓮仏法に帰依することを、朝な夕な祈念し、機の熟するのを待っていた。
 戸田は、ある時、伸一に言った。
 「君が強盛な信心に立つことだ。大きく、立派な傘ならば、一つに何人も入ることができる。
同じように、家族で、まず誰か一人が頑張れば、みんなを守っていくことができる。君が必死になって頑張り抜いた功徳、福運は、お父さんにも回向されていくよ。
 それに、お父さんは、既に心は学会員だ。陰では応援してくれているはずだ。また、君のことを、最高の誇りにしているだろう」
 父は、戸田に絶対の信頼を寄せていたし、学会のことも、深く理解していた。
 それでも、父が、信心せずに一生を終え、最高の親孝行ができなかったことが、伸一は、やはり、心残りであった。
 彼は、この日、十年ぶりに実家に泊まった。
 父の遺体の横で、回向の唱題をした。広宣流布に生涯を捧げ抜き、父の恩に報いようとの誓いを込めて――。