小説「新・人間革命」 母の詩 32 11月8日
山本伸一は、母は危篤状態を脱したとはいえ、余命いくばくもないと感じていた。
ゆえに、彼は、この機会に、仏法で説く死生観を、語っておきたかったのである。
「お母さん。また、大聖人は、信心し抜いた人は、『い(生)きてをはしき時は生の仏・今は死の仏・生死ともに仏なり、即身成仏と申す大事の法門これなり』(御書一五〇四ページ)とも、言われているんです。
そして、死して後もまた、『死の仏』となる――それが、即身成仏という大法門なんです。
万物を金色に染める、荘厳な夕日のように、最後まで、題目を唱え抜いて、わが生命を輝かせていってください」
仏の使いとして生きた創価の母たちは、三世永遠に、勝利と幸福の太陽と共にあるのだ。
伸一が語り終えると、母の幸は、彼の差し出した手を、ぎゅっと握り締めた。それは、決意の表明でもあった。
翌日、幸は、家族に語った。
「私は、悔しい思いも、辛い思いもした。でも、私は勝った。社会に貢献するような、そういう子どもが欲しかった。そして、自分の子どものなかから、そういう人間が出た。だから私は、嬉しいんだ」
中央アジアの大詩人ナワイーはうたう。
――「幸福とは、千の苦悩で傷ついても、最後に精神と魂の中に花を見いだす者のことである」(注)
七月十二日の夜、母・幸の見舞いに訪れた伸一は、六月に東北を訪問した折に、「同志の歌」や「さくら」「森ケ崎海岸」などをピアノで弾き、録音したテープを渡した。母への、せめてもの励ましになればとの思いからであった。
注 ナワイー著『言海の至宝』 シャルク出版社(英語)