創立記念日最高協議会での名誉会長のスピーチ 抜粋 2006-11-18
◆「時」を待ち 「時」を創(つく)る
一、釈尊が法華経「本門」の寿量品を説き始めたのは、何歳の時であったか。
日寛(にちかん)上人は、「観心本尊抄文段(かんじんのほんぞんしょうもんだん)」で、それは「76歳」の時であったと洞察されている。
わが創価学会は、創立76周年を迎えた。
いよいよ、これからが「本門」の時代であるとの決意で進んでまいりたい。
これが、「現当二世」「本因妙」の日蓮仏法の実践者であるからだ。
法華経の「迹門(しゃくもん)」から「本門」への大転換。それは、何によって告げられるか。
ご存じの通り、「地涌の菩薩」の劇的な登場である。
「この多くの人々は、私が入滅した後において、よく、この経を護持し、読誦(どくじゅ)して、広く説くであろう」
この釈尊の大宣言とともに、娑婆世界の三千大千の国土が揺れ動いて、無量千万億の地涌の菩薩が涌出(ゆじゅつ)したのである。
皆、金色(こんじき)に輝き、無量の光明(こうみょう)を放っていた。無数の眷属を率いて躍り出てきた。
わが創価学会も、今、数多くの新しい指導者群が、法華経の絵巻さながらに登場する時を迎えた。
私は、この「時」を祈り、待ち、創ってきた。
◆師を思う、地涌の菩薩の第一声
一、「地涌の菩薩」たちの釈尊との対話の第一声は、何であったか。
それは、大師匠である釈尊への最大の尊敬と感謝と、そして気遣いの言葉であった。
すなわち、地涌の菩薩の4人のリーダーである「上行」「無辺行」「浄行」「安立行(あんりゅうぎょう)」の四菩薩が、師・釈尊に合掌して、あいさつした。
「世尊(せそん=釈尊)よ、少病少悩であり、安楽に行じておられるでしょうか。
世尊が、今、救おうとされている者たちは、たやすく導くことができるでしょうか。
世尊を疲れさせてはいないでしょうか」
師匠がご無事であるか、お疲れではないか ── ただただ師を思う、弟子の一念から、地涌の菩薩の行動は始まったのである。
釈尊は答えた。
「決して疲れてはいない」「この諸(もろもろ)の衆生は、過去世以来、私の化導を常に受けてきたのである。皆、私の教えを聞いて、仏の智慧に入ったのである」と。
弟子の心遣いに“大丈夫だよ。心配することはないよ。必ず、皆を幸福にしてみせるから”と応えられた大音声である。
それを受けて、地涌の菩薩は述べる。
「素晴らしいことです。偉大な英雄であられる世尊よ。私たちは随喜します」と。
そして釈尊もまた、「素晴らしいことだ」と地涌の菩薩たちを讃える。
法華経の涌出品(ゆじゅつほん)第15は、まさに一幅(いっぷく)の名画のような、師弟の対話の世界でもある。
「迹門」とは一変した、法華経の「本門」の世界である。
師に甘え、師に護られ、師に励まされてばかりいる弟子であっては、悪世末法での広宣流布はなし得ない。
師に仕え、師を護り、師を宣揚していく真実の弟子として立ち上がっていくのだ。
創価の師弟の真髄も、ここにある。
師弟の道を永遠に
◆「師匠と学会を断じて守る!」
一、大発展する学会に牙をむく、権力の魔性との戦いにも、私は全身全霊を捧げた。
北海道の夕張炭労との人権闘争。そして、無実の罪で投獄された「大阪事件」。
戸田先生と学会を、断じて守る。指一本、差させてなるものか ── こう心に決めていた。
大阪事件の裁判では、判決の前、担当の弁護士たちから、「あなたは有罪です。そのつもりでいてください」と言われた。
これが正義と人権を守るべき者の言葉であろうか。
「私は潔白です。断じて無罪を勝ち取ってみせます」と言い切った。
相手は国家権力である。状況は厳しかった。
しかし、絶対に負けるわけにいかない。何より、そもそも冤罪(えんざい)である。
私は、検察側の嘘を、明快に打ち破った。
判決のその日、裁判長は宣言した。
「池田大作は無罪!」
最初から、無実であることは明白な事件だった。私を陥(おとしい)れるため、学会を攻撃するために仕組まれた、卑劣な迫害であった。
ともかく、私は、断じて師を守り抜いた。これが、創価の師弟の真実の歴史である。
法華経に説かれる地涌の菩薩の姿
・偉大なる忍耐の力がある
・心に畏れるところがない
・難問答に巧みである
・あらゆる仏が賛嘆する
◆「志が固い」「一心に精進」
一、さて、「地涌の菩薩」について、釈尊は、高らかに言い放った。
「私は久遠よりこのかた、これらの大菩薩を教化してきたのである」
そして、釈尊は、この本門の弟子たる「地涌の菩薩」の登場によって、自らの久遠の生命を明かし、その本地を満天下に示していくのである。
法華経では、「地涌の菩薩」のことが、次のように説かれている。
「志が固い」
「偉大な忍耐の力がある」
「人々が見たいと願う存在である」
「常に法を願い、一心に精進して、無上の仏の智慧を求める」
「菩薩の道を学び、蓮華が泥水に染まらずに咲き薫るように、濁世(じょくせ)にあって世俗に染まらない」
「種々の法を説いて、畏(おそ)れる心がない」
「難問答に巧みである」
「姿が端正で、威徳がある」
「十方の仏から讃えられる」
── これが、地涌の菩薩の姿である。
「勇猛精進」こそ創立の魂
≪戸田先生≫ 我ら学会員は地涌の菩薩だ 使命に生きる最高の人生だ!
◆戦うための題目
一、私どもが、これまで何度も拝してきた「諸法実相抄」には、明確に、こう仰せである。
「日蓮と同意ならば地涌の菩薩であろう。地涌の菩薩であると定まったならば、釈尊の久遠の弟子であることは疑う余地がない」
「末法において妙法蓮華経の五字を弘める者に、男女の分け隔(へだ)てはない。皆、地涌の菩薩の出現でなければ、唱えがたい題目なのである」(御書1360ページ、通解)
妙法を唱え、大聖人の御遺命(ごゆいめい)である広宣流布のために行動する学会員の皆さま方こそ、まさしくこの「地涌の菩薩」にほかならない。
私たちの唱える題目は、ただわが身の平安のみを願い、漫然と唱える題目ではない。
広宣流布のための題目である。悪と戦うための題目である。
勇んで三障四魔と戦い、悪口罵詈(あっくめり)を粉砕する。その行動がなければ、どれほど題目をあげても成仏はできない。
「謗法を責めずして成仏を願はば火の中に水を求め水の中に火を尋ぬるが如くなるべしはかなし・はかなし」(同1056ページ)と仰せの通りである。
戸田先生は、「地涌の菩薩」としての自覚を、繰り返し私たちに教えられた。
「我ら学会員こそは『地涌の菩薩』である」
「広宣流布は、地涌の菩薩でなければ絶対にできない」
「われわれが地涌の菩薩として、どれほど尊貴であり、使命があるか。この使命に生ききることが最高の人生である」
まさしく創価学会こそ、「地涌の菩薩」が現代に出現し、結集した、仏意仏勅(ぶついぶっちょく)の団体なのである(大拍手)。
◆大生命力をわき出(いだ)せ!
一、さらに戸田先生は、厳然と言い切られた。
「学会員は皆、偉大な使命をもって生まれた。怠惰や臆病な人間などはいてはならない。広宣流布のために戦う地涌の菩薩であるからだ」
「何があろうと、私は必ず勝つ。何よりも大事なことは、大聖人御遺命の広宣流布だ。一日も遅らせてはならない。創価学会こそ、その御遺命を達成する唯一の団体なのだから。
われわれの使命は実に素晴らしいではないか。法のため、広宣流布のために戦う地涌の菩薩なのだ」
創価学会の「創立の心」 ── それは、この「地涌の菩薩」の誉れ高き使命と力を自覚することなのである。
自分を卑下(ひげ)したり、人を羨(うらや)んだりする必要など、まったくない。
わが生命の奥底には、尊貴なる地涌の生命が脈動しているのである。深き誓願の祈りと、勇敢な行動で、その清らかで力強い生命力を「涌出」させていくことだ。
「この世で果たさん使命あり」(「人間革命の歌」の一節)である。
皆さまは、一人残らず、尊い使命を持って、この地球に生を享(う)けた。
新しい創価学会の大建設は、この「地涌」の大生命の躍動から始まると申し上げたい。
大聖人は「男女はきらふべからず」(同1360ページ)と仰せである。私どもは、今まで以上に、婦人部・女子部を尊敬し、大事にしてまいりたい。
戸田先生は、よく言われていた。
「婦人部こそ、学会の原動力である」
「女性こそ、広宣流布の前駆(ぜんく)たれ!」
◆師子王の心で!
一、日蓮大聖人が、広宣流布を永遠たらしめるために、青年の育成に、どれほど力を注がれたか。
その一人が、南条時光である。
南条時光が、大聖人に初めてお会いしたのは、まだ幼少のころだったといわれる。その時光の成長を、大聖人は、じっと見守っていかれた。
真実の弟子の道を貫いた時光の生涯は、難の連続であった。
地頭として活躍した父を幼くして亡くし、ともに信仰に励んだ最愛の弟も10代の若さで失った。
また、信仰ゆえに、さまざまな迫害や中傷を受けた。幕府からも不当に多くの課税を強いられ、貧窮(ひんきゅう)生活を余儀なくされたこともあった。
権力の圧迫による辛苦、愛別離苦、経済苦、病苦……たたみかける苦難に、時光が断じて屈しなかったのは、ひとえに大聖人の慈愛あふれる叱咤激励のゆえであった。
大聖人は時光に「難を乗り越える信心」を繰り返し教えられ、「師子王の心」を打ち込まれた。
時光に与えられた御書には、こう仰せである。
「あなたが大事と思っている人たちが信心を制止し、また大きな難がくるであろう。そのときまさにこのこと(諸天の守護)がかなうに違いない、と確信して、いよいよ強盛に信心に励むべきである」「くれぐれも人の制止があったならば、心にうれしく思いなさい」(御書1512ページ、通解)
「どんなことがあっても嘆いてはならない。きっぱりと思い切って、所領などについても(自分の思いと)相違することが起こったならば、いよいよ喜ぶべきことであると思い、そう言い切って、ここへおいでなさい」(同1542ページ、通解)
さらに、時光の家に病人が出た時には、こう力強く励ましておられる。
「あなたの家の内に、病気の人がいるというのは、まことでしょうか。(もし、それが本当であったとしても)よもや鬼神(きじん)の仕業ではないでしょう。十羅刹女(じゅうらせつにょ)が、信心のほどを試しておられるのでしょう」「釈迦仏、法華経に虚妄(こもう)はあるはずがないと深く信じていきなさい」(同1544ページ、通解)
何も心配はいらない。大変なことがあるからこそ、信心が鍛えられる。絶対に負けてはいけない。信心が強ければ、最後は必ず幸福になるのです ── そうした大聖人の御心が、胸に響いてくる。
青年には「確信」と「勇気」を与えることだ。「希望」の未来を示すことである。
≪御聖訓≫ 願わくは我が弟子等・大願ををこせ
── 「苦難を喜べ」「信心で勝て」
一、釈尊が法華経「本門」の寿量品を説き始めたのは、何歳の時であったか。
日寛(にちかん)上人は、「観心本尊抄文段(かんじんのほんぞんしょうもんだん)」で、それは「76歳」の時であったと洞察されている。
わが創価学会は、創立76周年を迎えた。
いよいよ、これからが「本門」の時代であるとの決意で進んでまいりたい。
これが、「現当二世」「本因妙」の日蓮仏法の実践者であるからだ。
法華経の「迹門(しゃくもん)」から「本門」への大転換。それは、何によって告げられるか。
ご存じの通り、「地涌の菩薩」の劇的な登場である。
「この多くの人々は、私が入滅した後において、よく、この経を護持し、読誦(どくじゅ)して、広く説くであろう」
この釈尊の大宣言とともに、娑婆世界の三千大千の国土が揺れ動いて、無量千万億の地涌の菩薩が涌出(ゆじゅつ)したのである。
皆、金色(こんじき)に輝き、無量の光明(こうみょう)を放っていた。無数の眷属を率いて躍り出てきた。
わが創価学会も、今、数多くの新しい指導者群が、法華経の絵巻さながらに登場する時を迎えた。
私は、この「時」を祈り、待ち、創ってきた。
◆師を思う、地涌の菩薩の第一声
一、「地涌の菩薩」たちの釈尊との対話の第一声は、何であったか。
それは、大師匠である釈尊への最大の尊敬と感謝と、そして気遣いの言葉であった。
すなわち、地涌の菩薩の4人のリーダーである「上行」「無辺行」「浄行」「安立行(あんりゅうぎょう)」の四菩薩が、師・釈尊に合掌して、あいさつした。
「世尊(せそん=釈尊)よ、少病少悩であり、安楽に行じておられるでしょうか。
世尊が、今、救おうとされている者たちは、たやすく導くことができるでしょうか。
世尊を疲れさせてはいないでしょうか」
師匠がご無事であるか、お疲れではないか ── ただただ師を思う、弟子の一念から、地涌の菩薩の行動は始まったのである。
釈尊は答えた。
「決して疲れてはいない」「この諸(もろもろ)の衆生は、過去世以来、私の化導を常に受けてきたのである。皆、私の教えを聞いて、仏の智慧に入ったのである」と。
弟子の心遣いに“大丈夫だよ。心配することはないよ。必ず、皆を幸福にしてみせるから”と応えられた大音声である。
それを受けて、地涌の菩薩は述べる。
「素晴らしいことです。偉大な英雄であられる世尊よ。私たちは随喜します」と。
そして釈尊もまた、「素晴らしいことだ」と地涌の菩薩たちを讃える。
法華経の涌出品(ゆじゅつほん)第15は、まさに一幅(いっぷく)の名画のような、師弟の対話の世界でもある。
「迹門」とは一変した、法華経の「本門」の世界である。
師に甘え、師に護られ、師に励まされてばかりいる弟子であっては、悪世末法での広宣流布はなし得ない。
師に仕え、師を護り、師を宣揚していく真実の弟子として立ち上がっていくのだ。
創価の師弟の真髄も、ここにある。
師弟の道を永遠に
◆「師匠と学会を断じて守る!」
一、大発展する学会に牙をむく、権力の魔性との戦いにも、私は全身全霊を捧げた。
北海道の夕張炭労との人権闘争。そして、無実の罪で投獄された「大阪事件」。
戸田先生と学会を、断じて守る。指一本、差させてなるものか ── こう心に決めていた。
大阪事件の裁判では、判決の前、担当の弁護士たちから、「あなたは有罪です。そのつもりでいてください」と言われた。
これが正義と人権を守るべき者の言葉であろうか。
「私は潔白です。断じて無罪を勝ち取ってみせます」と言い切った。
相手は国家権力である。状況は厳しかった。
しかし、絶対に負けるわけにいかない。何より、そもそも冤罪(えんざい)である。
私は、検察側の嘘を、明快に打ち破った。
判決のその日、裁判長は宣言した。
「池田大作は無罪!」
最初から、無実であることは明白な事件だった。私を陥(おとしい)れるため、学会を攻撃するために仕組まれた、卑劣な迫害であった。
ともかく、私は、断じて師を守り抜いた。これが、創価の師弟の真実の歴史である。
法華経に説かれる地涌の菩薩の姿
・偉大なる忍耐の力がある
・心に畏れるところがない
・難問答に巧みである
・あらゆる仏が賛嘆する
◆「志が固い」「一心に精進」
一、さて、「地涌の菩薩」について、釈尊は、高らかに言い放った。
「私は久遠よりこのかた、これらの大菩薩を教化してきたのである」
そして、釈尊は、この本門の弟子たる「地涌の菩薩」の登場によって、自らの久遠の生命を明かし、その本地を満天下に示していくのである。
法華経では、「地涌の菩薩」のことが、次のように説かれている。
「志が固い」
「偉大な忍耐の力がある」
「人々が見たいと願う存在である」
「常に法を願い、一心に精進して、無上の仏の智慧を求める」
「菩薩の道を学び、蓮華が泥水に染まらずに咲き薫るように、濁世(じょくせ)にあって世俗に染まらない」
「種々の法を説いて、畏(おそ)れる心がない」
「難問答に巧みである」
「姿が端正で、威徳がある」
「十方の仏から讃えられる」
── これが、地涌の菩薩の姿である。
「勇猛精進」こそ創立の魂
≪戸田先生≫ 我ら学会員は地涌の菩薩だ 使命に生きる最高の人生だ!
◆戦うための題目
一、私どもが、これまで何度も拝してきた「諸法実相抄」には、明確に、こう仰せである。
「日蓮と同意ならば地涌の菩薩であろう。地涌の菩薩であると定まったならば、釈尊の久遠の弟子であることは疑う余地がない」
「末法において妙法蓮華経の五字を弘める者に、男女の分け隔(へだ)てはない。皆、地涌の菩薩の出現でなければ、唱えがたい題目なのである」(御書1360ページ、通解)
妙法を唱え、大聖人の御遺命(ごゆいめい)である広宣流布のために行動する学会員の皆さま方こそ、まさしくこの「地涌の菩薩」にほかならない。
私たちの唱える題目は、ただわが身の平安のみを願い、漫然と唱える題目ではない。
広宣流布のための題目である。悪と戦うための題目である。
勇んで三障四魔と戦い、悪口罵詈(あっくめり)を粉砕する。その行動がなければ、どれほど題目をあげても成仏はできない。
「謗法を責めずして成仏を願はば火の中に水を求め水の中に火を尋ぬるが如くなるべしはかなし・はかなし」(同1056ページ)と仰せの通りである。
戸田先生は、「地涌の菩薩」としての自覚を、繰り返し私たちに教えられた。
「我ら学会員こそは『地涌の菩薩』である」
「広宣流布は、地涌の菩薩でなければ絶対にできない」
「われわれが地涌の菩薩として、どれほど尊貴であり、使命があるか。この使命に生ききることが最高の人生である」
まさしく創価学会こそ、「地涌の菩薩」が現代に出現し、結集した、仏意仏勅(ぶついぶっちょく)の団体なのである(大拍手)。
◆大生命力をわき出(いだ)せ!
一、さらに戸田先生は、厳然と言い切られた。
「学会員は皆、偉大な使命をもって生まれた。怠惰や臆病な人間などはいてはならない。広宣流布のために戦う地涌の菩薩であるからだ」
「何があろうと、私は必ず勝つ。何よりも大事なことは、大聖人御遺命の広宣流布だ。一日も遅らせてはならない。創価学会こそ、その御遺命を達成する唯一の団体なのだから。
われわれの使命は実に素晴らしいではないか。法のため、広宣流布のために戦う地涌の菩薩なのだ」
創価学会の「創立の心」 ── それは、この「地涌の菩薩」の誉れ高き使命と力を自覚することなのである。
自分を卑下(ひげ)したり、人を羨(うらや)んだりする必要など、まったくない。
わが生命の奥底には、尊貴なる地涌の生命が脈動しているのである。深き誓願の祈りと、勇敢な行動で、その清らかで力強い生命力を「涌出」させていくことだ。
「この世で果たさん使命あり」(「人間革命の歌」の一節)である。
皆さまは、一人残らず、尊い使命を持って、この地球に生を享(う)けた。
新しい創価学会の大建設は、この「地涌」の大生命の躍動から始まると申し上げたい。
大聖人は「男女はきらふべからず」(同1360ページ)と仰せである。私どもは、今まで以上に、婦人部・女子部を尊敬し、大事にしてまいりたい。
戸田先生は、よく言われていた。
「婦人部こそ、学会の原動力である」
「女性こそ、広宣流布の前駆(ぜんく)たれ!」
◆師子王の心で!
一、日蓮大聖人が、広宣流布を永遠たらしめるために、青年の育成に、どれほど力を注がれたか。
その一人が、南条時光である。
南条時光が、大聖人に初めてお会いしたのは、まだ幼少のころだったといわれる。その時光の成長を、大聖人は、じっと見守っていかれた。
真実の弟子の道を貫いた時光の生涯は、難の連続であった。
地頭として活躍した父を幼くして亡くし、ともに信仰に励んだ最愛の弟も10代の若さで失った。
また、信仰ゆえに、さまざまな迫害や中傷を受けた。幕府からも不当に多くの課税を強いられ、貧窮(ひんきゅう)生活を余儀なくされたこともあった。
権力の圧迫による辛苦、愛別離苦、経済苦、病苦……たたみかける苦難に、時光が断じて屈しなかったのは、ひとえに大聖人の慈愛あふれる叱咤激励のゆえであった。
大聖人は時光に「難を乗り越える信心」を繰り返し教えられ、「師子王の心」を打ち込まれた。
時光に与えられた御書には、こう仰せである。
「あなたが大事と思っている人たちが信心を制止し、また大きな難がくるであろう。そのときまさにこのこと(諸天の守護)がかなうに違いない、と確信して、いよいよ強盛に信心に励むべきである」「くれぐれも人の制止があったならば、心にうれしく思いなさい」(御書1512ページ、通解)
「どんなことがあっても嘆いてはならない。きっぱりと思い切って、所領などについても(自分の思いと)相違することが起こったならば、いよいよ喜ぶべきことであると思い、そう言い切って、ここへおいでなさい」(同1542ページ、通解)
さらに、時光の家に病人が出た時には、こう力強く励ましておられる。
「あなたの家の内に、病気の人がいるというのは、まことでしょうか。(もし、それが本当であったとしても)よもや鬼神(きじん)の仕業ではないでしょう。十羅刹女(じゅうらせつにょ)が、信心のほどを試しておられるのでしょう」「釈迦仏、法華経に虚妄(こもう)はあるはずがないと深く信じていきなさい」(同1544ページ、通解)
何も心配はいらない。大変なことがあるからこそ、信心が鍛えられる。絶対に負けてはいけない。信心が強ければ、最後は必ず幸福になるのです ── そうした大聖人の御心が、胸に響いてくる。
青年には「確信」と「勇気」を与えることだ。「希望」の未来を示すことである。
≪御聖訓≫ 願わくは我が弟子等・大願ををこせ
── 「苦難を喜べ」「信心で勝て」