プラス思考を考える

人間にはプラス思考のタイプとマイナス思考のタイプがあります。

プラス思考の人は何事でも良い方にとり、仕事でうまくいかなくても前向きな考え方で取り組みます。

反対にマイナス思考の人は、何事も悪い方に受け取ってしまい、いったん、つまずくと落ち込んでしまいます。

プラス思考は、根拠もなく楽観的に物事を考えることではありません。

プラス思考をはぐくむ気持ちの持ち方。

1.気持ちの持ち方一つでプラスになれる。
2.やってみて考えればいい。
3.今日からできることを始める。
4.失敗してももう一度やればいい。
5.しなければならないことではなく、できることを考える。
6.失敗を恐れない。


プラス思考を持つための行動目標

1.ありのままの自分を受け入れる。
2.仕事を楽しむ。
3.仕事の結果について考えすぎない。
4.どんな仕事でも一生懸命取り組む。
5.自分が役に立つことは何かを考え実行する。
6.他者よりも優れた点を見つける。
7.他人が持ってない自分の良さを知る。
8.自分の能力を発揮できるポジションを知る。


<戸田昭直 浜松学院大学教授>

聖教新聞】070104掲載

日蓮大聖人の仏法は、自分が自由自在に動けるためのエンジン。

本当の楽観主義とは《なるようにしかならない》とあきらめてしまうことではなく、必ず、こうしてみせる、という「強い意志」から生まれる。

ニセの楽観主義は「感情」から生まれるが、本当の楽観主義は強く深い「祈り」から生まれると、銘記したいものです。

負けるなよ
      強気心に
           幸福が

信心は、即生活である。
仏法は、即社会である。
ゆえに、生活に勝ち、社会に勝ち、自分自身が幸福にならない信心や仏法は、ありえないのだ。

それは、真実に信心を行じ学んでいない証拠だ。

信行学を通して、仏の御聖訓を実践し、一日一日、忍耐強く希望に燃えて、心を弾ませながら、勝利と幸福の山へ登っていくのだ。

皆、悩みがある。悲しみがある。苦しみがある。

しかし、「煩悩」は即「菩提」である。

大きく悩んだ分だけ、大きく境涯が広がる。
これが妙法の原理だ。
たとえ、地獄の業火のような逆境に立たされたとしても、そこを、必ず幸福の寂光土へと転換できるのだ。

何もないことが幸せなのではない。
負けないこと、耐えられることが、幸せである。

重圧を受け「あの人は大変だ」と周りから言われても、平然と、また悠然と、使命のわが道を歩みゆくことだ。そこにこそ「能忍」(能く忍ぶ)という、強い強い仏の生命の力がわいてくるのだ。

【随筆 人間世紀の光】

幸福は与えられるものではない。まして、他人が決めるものではない。

大聖人は仰せである。
「さいわい(福)は心よりいでてわれをかざる」(御書1492p)

幸福は自分自身の「心」からうまれる。だからこそ、わが心に、燦然と輝く哲学の明鏡をもつことだ。

三世永遠の高次元に立つ、仏法の深遠なる生命論では、「欲楽」と「法楽」とを明確に立て分けている。

つまり「欲楽」とは、さまざまな欲望を充足していく快楽の範疇である。それはどんなに満たされてようとも、際限もないし、その喜びは永続しない。かえって、人間を後ろ向きにさせて、不幸の因となる場合が多い。

これに対して「法楽」とは、常に、前を向き、前に進み、正しき「法」と共に、幸福になっていくのだ。

釈尊も、そして日蓮大聖人も、正しき「法」に行きゆく「歓喜の中の大歓喜」を、自らの生命に受けきっていくことが幸福なのであると、結論されておられる。


【随筆 人間世紀の光】