07年10月17日 聖教新聞 新時代第11回本部幹部会での名誉会長のスピーチ-2

07年10月17日 聖教新聞
新時代第11回本部幹部会での名誉会長のスピーチ-2

 「慈愛」で育てよ
 一、60年前、昭和22年(1947年)の8月14日。私は、戸田先生と初めてお会いした。
 当時、戸田先生は47歳。私は19歳であった。
 あの日のことは、今でも鮮明に覚えている。以来、10年以上にわたって、先生のもとで厳しく訓練していただいた。
 先生は、ご自身より28歳も若い私に、広宣流布の命運をかけてくださった。未来の一切を託されたのである。
 戸田先生は、創価の青年群の中心に、私を据えられた。縦横に青年の力を発揮させた。だから、学会は大発展してきた(大拍手)。
 次のリーダーをどうするか。だれを選ぶか。これに失敗したら大変だ。皆が苦しむことになる。
 後継者を選び、育てていく──これが指導者の重要な役割だ。
 ともあれ、この戸田先生と私の「師弟」が起点となって、地涌の陣列が大きく拡大していった。
 その大発展の力こそ、「青年が大事だ」「青年を大切にしよう」との戸田先生の一念であった。
 先輩の幹部は、青年を叱り飛ばしたり、アゴで使うようなことがあってはならない。
 もちろん、青年には訓練が必要である。
 しかし、何よりも、"学会のため、地域のため、日本の平和、世界の平和のために働いてもらいたい。大きく伸びてもらいたい"──そういう祈りをもって青年を育てていくことだ。慈愛の心で、温かく励ましていくことだ。きょうは、このことを改めて決議したいと思うが、どうだろうか(賛同の大拍手)。
 また、たとえ年配であっても、大事なことは、「心」が若々しいかどうかである。
 牧口先生は70歳を超えても「我々、青年は」と言われた。信心をしている私の魂は、永遠に青年だ、との心意気である。
 全員が「青年の心」で進んでまいりたい。

 熾烈なる日々
一、青年は純粋だ。青年を伸ばしてこそ、永遠の創価学会は築かれる。
 戸田先生、そして牧口先生も青年を大切にされた。私も、その決意でやってきた。
 利害と打算、保身の人間は、信用できない。
 社会的地位でもない。役職でもない。大切なのは「師弟の精神」があるかどうかだ。
 私は戸田先生のために命をかけて戦った。だれよりも働き、学会の基盤をつくった。私ほど、先生のために戦った弟子はいない。
 夜遅く、先生に「今すぐ来なさい」と呼ばれ、駆けつけたこともしばしばあった。当時のことは、私の妻が一番よく知っている。
 学会が、本当に平和のために立ち上がれるか。広宣流布の学会を築くことができるか。それは、熾烈な日々であった。
 また私は、先生を侮辱し、傷つける悪辣な人間は絶対に許さなかった。
 師匠のために、本気になって戦う。言論の力で断固として打ち破っていく。そういう気迫がなければならない。
 師匠を守れない。敵と戦えない。そうした情けない弟子であってはならない。
 「師のための戦い」の苦労をまったく味わわない者が最高幹部になれば、皆が不幸になってしまう。
 一、学会は、青年を起用し、青年の活力で前進していく。その上で、青年部の皆さんは、壮年部・婦人部の先輩方の心をよく知り、実践していただきたい。
 勝手気ままになったり、いい気になるようなことがあってはならない。それでは、親を大切にしないで、自分だけ自由奔放に生きるようなものだ。
 いよいよ、これからが大事である。

 世界が舞台だ
 「戸田先生の後を継いで、私が第3代会長に就任したのは32歳の時。これはど若い会長が誕生するとは、世間の人は考えもしなかったと思う。
 会長の就任式を終えて、家に帰ると妻が言った。
 「きょうから、わが家には主人はいなくなったと思っています。きょうは池田家のお葬式です」
 仏法のため、学会のために、あなたは思う存分に戦ってください──その決意を、妻は、きっぱりと語ったのである。
 昭和54年4月、私が会長を辞任した時にも、妻は、いつもと変わらぬ笑顔であった。
 「ああ、そうですか......。ご苦労様でした。健康でよかったですね」と語っていた。
 私自身は、微塵も動じなかった。かわいそうなのは、健気な学会員である。
 会長辞任直後の5月3日、創価大学で行われた本部総会の空気を、私は忘れることができない。
 あの時、極悪の反逆者が宗門の坊主らと結託し、陰諜をめぐらした。
 私が会長では邪魔である。悪事を働くことができない。だから、会長を辞めさせてしまえ──。
 本当に増上慢と嫉妬ほど恐ろしいものはない。害毒中の害毒である。
 会長を辞めた私には、本部に指揮を執るための席はなかった。
 5月3日の総会を終えた私は、妻とともに神奈川へ向かった。神奈川には、世界に開かれた海がある。
 これからは世界だ。小さな日本など見おろして世界を舞台に戦うのだ。そういう思いであった。
 ともあれ、どんな状況にあっても、私は大局観に立って、あらゆる手を打ち、行動してきた。
 私は健在であり、厳然と未来を開いた。常に先頭に立ち、広布に生きる方々とともに、学会員の尊い心をだれよりも守り、稀有の広宣流布の組織をつくってきたつもりである。
 今、これだけの力ある民衆の団結は、学会以外にない。
 最高幹部が、悪人と戦う厳しさを失ったり、広宣流布と関係ない事柄でいい気になったり、苦労をしなくなる。そのようなことは、断じてあってはならない。愚かであってはならない。
 同志が一番喜び、威光勢力を増すように、智慧を尽くして、新しい学会をつくっていこう!(大拍手)

人材を作れ! 人材を探せ! 人材の学会たれ
ほめて励ませば人は伸びる
戸田先生「青年にわが思想を全部託したい」

 新しい力で前進
 一、わが学会は今、原田会長、正木理事長が誕生し、新しい力で、新しい前進を開始している。
 改めて、二人の足跡を紹介しておきたい。
 原田会長は、昭和16年(1941年)11月生まれの65歳。東京の下町・浅革橋に生まれ、板橋区に育つ。家は縫製(帯作り)の仕事をしていた。
 母に続いて、小学6年生の時に入会した。
 私が初めて出会ったのは、昭和36年の9月。原田会長が19歳の時である。
 戸田先生も19歳で、牧口先生にお会いした。
 私も19歳で、戸田先生にお会いした。
 彼は東京大学で学生部の一員となり、私の「御義口伝講義」に第1期生として勇んで参加し、真剣に研鑽を重ねた。

行学の二道が人生を豊かに
トルストイ「生命の法則への理解を深めよ」

 卒業後、昭和39年に聖教新聞社に入社。昭和40年、元日号から連載が始まった小説『人間革命』を、第1回から第3巻まで担当した。
 私の直筆原稿を未来に残すため、彼は、一枚一校、別の原稿用紙に書き写し、それを工場に回していた。
 私は、すべて知っていた。こうした陰の功労があって、今、会長として指揮を執っているのである。
 一、原田会長は、言論問題の嵐が吹き荒れるなか、学会本部の要の庶務室長として、私のもとで、勇敢に戦った。
 私の海外指導にも、身に影の添うがごとく、いつも随行してきた。私の行動の軌跡を、一番よく知っている。
 大歴史家のトインビー博士や、中国の周恩来総理との会見の旅にも同行した。
 重大な歴史の証言者であり、証明者の一人である。
 私は、戸田先生のごとく、「三国志」の諸葛孔明のごとく、先を見据えて手を打ってきた。そうやって薫陶してきたのが原田会長である。
 実質的な学会本部の最高責任者である事務総長の職を22年間、務めた。
 名実ともに、「本陣の将の将」として、今日の盤石な土台を作り上げてきたのが彼なのである。
 一、正木理事長は、昭和29年(1954年)4月生まれの53歳。大阪・平野区の出身である。
 昭和36年、7歳の時、両親とともに入会。常勝関西の息吹のなかで、学会精神を学んだ。
 両親が苦しい家計を工面して、「池田先生のもと、広宣流布の役に立つ人材に」と東京に送り出してくれ、創価高校に3期生として入学した。偉大なお父さん、お母さんである。
 創価大学では、学生自治会の委員長として、大学の建設に奔走した。
 卒業後、本部職員となって2年後、高等部長に就任。昭和54年、私が第3代会長を勇退した嵐のなかで、師弟の道を求め抜き、私に直結した未来部を構築した。
 青年部では、創価班委員長、男子部長、青年部長を歴任。
 第2次宗門事件の際には、日顕宗を断罪する破邪顕正の言論戦の先陣に立った。
 そして、総東京長、壮年部長等を経て、理事長に就任。
 大事な人材であるゆえに、私から、紹介をさせていただいた。

 大文豪の名を冠した大学の栄誉
 一、このほど、ロシアの大文豪トルストイの名前を冠した「L・N・トルストイ記念トゥーラ国立教育大学」から、「名誉教授」称号の授与決定の通知書が届けられた(大拍手)。
 トルストイの作品は、青春時代から、読んで、読んで、読み抜いた。とりわけ『戦争と平和』は思い出深い。
 トルストイの故郷・トゥーラ州に立つ同大学の校歌には、「偉大なトルストイの名を大切に守らん」と謳われているとうかがった。
 一、トルストイは述べている。
 「生命の法則の理解が深まれば深まるほど、人生は豊かになり、誤って理解してしまうと、人生は悪くなる」
 生命の法則を説き明かしたのが仏法である。
 正しい「行学の二道」──これが、人生を限りなく豊かにするのだ。
 トルストイは、こうも言う。
 「愚鈍は──ただ、うぬぼれから」(中村融訳『トルストイ全集18』河出書房新社
 慢心の人間は、愚鈍になる。最後は必ず滅びる。
 トルストイは叫んだ。
 「人間の悪は人間によって根絶さるべきものであり、その点にのみ人々の使命があり、人生の意義があるのです」(中村白葉・中村融訳『同全集19』)
 破折の精神、破邪顕正の言論は、人間として、最も正しい道である。
 トルストイは、少年時代の思い出を、こう振り返っている。
 「賞賛というものは、人の感情ばかりでなく、知性の上にも非常に力づよく働きかける」(中村白葉訳『同全集1』)
 人材は、上手にほめて伸ばしていくことだ。怒るばかり、注意するばかりでなく、励ましてあげる。それが人を育てる根幹である。

新時代第11回本部幹部会での名誉会長のスピーチ-3に続く



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