2007年11月28日付 聖教新聞 婦人部最高協議会での名誉会長のスピーチ 下-1

2007年11月28日付 聖教新聞
婦人部最高協議会での名誉会長のスピーチ 下-1

北京大学賈(か)教授 「創価の女性には希望という言葉が最もふさわしい!」

太陽の大生命力で進め
御聖訓「年は若うなり福はかさなり候べし」
関西出身の詩人与謝野晶子 「悲観や不平にとらわれるな」

 一、「若さ」とは、年齢では決まらない。
 生命の力、生命の勢いで決まる。
 希望ある人は、いつまでも若い。前進する人は、いつまでも美しい。
 先日、訪問した関西も、婦人部、女子部の皆さんが、生き生きと朗らかに活躍されていた。
 関西出身(大阪・堺)の詩人、与謝野晶子は、女性の自立と権利のために言論の力をふるった先覚者であるとともに、青年を育てた教育者としても知られている。
 明年が、生誕130周年である。
 与謝野晶子は、強調してやまなかった。
 「人の『若さ』は百難を排して福にする。『若さ』の前に不可能も無ければ、陰翳も無い、それは一切を突破する力であり、一切を明るくする太陽である」(『與謝野晶子全集第13巻』文泉堂出版。現代表記に改めた)
 「『若さ』は其人の生命が貯えている豊富な成長力──生きようとする力そのものである」(同)
 「大人になっても此の『若さ』を保有している人達にのみ、いつまでも新しい生活がある」 (同)
 その通りであろう。
 いわんや、妙法は「不老長寿」の大法である。「年は・わか(若)うなり福はかさなり候べし」(御書1135ページ)の信心である。太陽の大生命力で進んでまいりたい。

ヤング・ミセスの世代の人たちへ
皆様は満開の花 青春の頂上

 未来の創造を! 
 一、与謝野晶子は、年とともに心が老い果てていくことを戒めていた。
 「悲観、泣き言、不平、皮肉、非難、諦め、などに心を分(わか)つ大人があれば、それは既に『若さを失い、老衰の域に入った兆候である」(『與謝野晶子全集第13巻』同)
 また、こうも言っている。
 「衰老(すいろう)した心は鈍感であり、臆病であり、頑固である。過去を繰返す『生存』には其れでも好かろうが、未来を創造する『生活』には適しない、要するに『若さ』を持たない人間は時代遅れとして邪魔物扱にされても致方(いたしかた)が無い」(同)
 信心とは、「若さ」の異名である。創価とは、「未来」の創造である。我々は時代の最先端を進んでいるのである。

 黄金の釘一つ 
 一、さらに、与謝野晶子は、学会でいえばヤング・ミセスの世代について、こうも語っている。
 「花ならば満開の花で、まことに華やかな青春時代の頂上だと思うのです」(同第9巻)と。
 この通り、「満開の花」を咲かせ、「青春時代の頂上」を乱舞しているのが、創価のヤング・ミセスの皆様であると、私も妻も見つめている。
 一、与謝野晶子は、24歳の年に長男が誕生して以来、5男6女を育てた。そのなかで、苦しい家計をやりくりしながら、文学の創作に打ち込んでいったのである。
 「劫初より つくりいとなむ殿堂に われも黄金の釘一つ打つ」(同第3巻)とは、彼女の有名な一首である。

 震災を越えて 
 「彼女は、約10年の歳月をかけて、「文化学院」での講義などで多忙な時間の合間に、『源氏物語』の口語(現代語)訳の原稿を地道に書きためていった。
 ところが、大正12年(1923年)、あの関東大震災で、すべて焼け失せてしまった。
 そのショックは、あまりに大きかった。
 やり直すことは絶対に無理だと、いったんは、あきらめもした。
 しかし、『源氏物語』の研究に携わる自分を励ましてくれた、尊敬する文豪・森鴎外たちへの恩誼(おんぎ)を胸に、再び奮い立った。
 恩を忘れない人生は強い。せっかく学問をしても、学歴を鼻にかける人間や、傲慢になって人の心の機微など分からない人間もいる。
 「心こそ大切なれ」(御書1192ページ)である。
 なによりも、「恩を知る心」を学ばなければならない。その心がある人に停滞はない。何をやっても伸びていくものだ。
 彼女は、再び、一から挑戦を開始した。そして、昭和14年(1939年)、ついに完成を見たのである。
 大震災の後、彼女は書いている。
 「危難の試練の下には強くなり賢くなる」(同第13巻)
 いわんや仏法は「変毒為薬」であり、「転重軽受」である。何も恐れることはない。
 先日の関西でも、苦難をバネにした母たちのうれしい勝利の報告を数多くうかがった。
 その一つ一つに目を通しながら、私は、妻とともに、常勝の母たちの勝利と幸福をひたぶるに祈らせていただいた。

 世界が仰ぎ見る師匠にするのだ 
 一、ここで御書を拝したい。
 「日女御前御返事」には、こう仰せである。
 「父母や国王よりも、百千万億倍優れた世間の師匠に背けば、必ず天に捨てられ、地獄に堕ちる。さらに、出世間(仏法)の師に対しては、なおさらである。まして、法華経の正しき師匠に背く罪は、いかに大きいであろうか」(御書124ページ、通解)
 仏法の師弟は、あまりにも厳粛である。
 そして、あまりにも荘厳である。
 かつて戸田先生と私が、都心のお堀端を歩いていたときであった。「あそこにマッカーサーがいるんだ」と、戸田先生が、GHQ(連合国軍総司令部)本部のある立派なビルを指差された。当時の学会には、そんな建物はおろか、車すらなかった。
 「私が働いて働いて、いい車を用意します。必ずビルも建てます。それまでは、どうか、長生きをしてください」と申し上げると、「ありがとう!」と破顔一笑された先生。
 私は、先生を、何としてもお護りしたかった。
 戦時中、正しき妙法を護るために、師匠にお供して、2年間も牢獄に入られた方である。
 ここに学会の歴史がある。原点がある。
 どれほど大変なことか。どれほど尊敬しても足りない。どれほど尽くしても、ご恩は返せない。
 この先生をお護りせずして、何のための学会か。何のための弟子か。
 国家権力に踏みつけにされた先生を、日本中、世界中が仰ぎ見る先生にしてみせる!──それが私の誓いであった。
 その心があったから、私は戦えたのである。
 折伏も日本一の結果を出した。世界に仏法を弘めてきた。
 それが師弟の心である。心が大事である。心の創価学会なのである。

 悠々たる一生を 
 一、あるとき、日蓮大聖人に対して、女性の弟子の妙心尼が、重い病と闘い続ける夫のことを報告した。
 人間だから、だれだって病気になる。ましてや年をとれば、当たり前だ。嘆いても仕方ない。
 信心があるのだから、悠々と進んでいけばいいのだ。
 大聖人は、病によって信心に立ち上がった夫が、成仏の軌道を進んでいることは間違いないことを述べられ、安心と希望を贈っておられる。
 そして、こう仰せになられている。
 「(もしも)今、霊山に参られたならば、太陽が昇って、十方の世界を見晴らすように、うれしく、『早く死んでよかった』と、お喜びになられることでしょう。中有(=臨終から次の誕生までの間)の道にあって、どんなことが起きようとも、『日蓮の弟子である』と名乗りなさい」(同1480ページ、通解)
 さらに、このようにも仰せである。
 「(日蓮は)法華経を信じることにおいては、世界第一の聖人です。その名は、十方の浄土(=全宇宙の仏国土)にも聞こえています。必ず天も地も知っているでしょう。(ゆえに)あなたが『日蓮の弟子である』と名乗られるならば、どのような悪鬼であろうとも、よもや、日蓮の名を知らないとは言わないと確信してください」(同)
 なんと、ありがたい仰せであろうか。
 妙法の師弟に生き抜く生命には、何も恐れるものはない。
 三世永遠に、いかなる悪鬼も打ち破り、「常楽我浄(じょうらくがじょう)」という最極の生命の歓喜と勝利の道を悠然と進むことができるのである。

婦人部最高協議会での名誉会長のスピーチ 下-2に続く




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