2007年12月16日付 聖教新聞  各部代表協議会での名誉会長のスピーチ 下-2

2007年12月16日付 聖教新聞
各部代表協議会での名誉会長のスピーチ 下-2

 金銭と人事を疎かにするな
 一、戸田先生は、厳然と言い残しておられた。 「金銭にいいかげんな人は信用できない」
 「人事と金銭は、絶対に厳正にして、問題を起こしてはならない」
 「金に汚い根性を起こしてはいけない」
 「金にけじめのない人は福運がつかない」
 また、先生は厳しく指導された。
 「団体に金があると、争いが起こる。
 それをものにしようとする空気が流れる。
 学会においても、少しでも、おかしな状況・動きがあったならば、断固、糾明し、追及せよ。これが、私の遺言だ」
 「昔から戦をするのは、経理の担当者がしっかりしていなければ勝つことはできない」
 「"雇われ根性"が最も醜い。広宣流布という、命がけの仕事、闘争をしているという自覚を持て!」
 どこの世界でも、金銭や人事に厳格なところが最後は勝っている。あいまいなところは敗北している。
 団結と合意を大事にして、完壁な前進をしてまいりたい。

 言論戦の雄たれ 
 一、きょうは、言論戦を戦う代表も出席している。この1年間も、本当にご苦労さま!
 磨の大詩人・杜甫は、「戸田大学」の漢文の講義でも、取り上げられた。
 中国作家協会・中華文学基金会から、「理解・友誼 国際文学賞」を拝受した折、杜甫の像を記念に頂戴した。
 それは、杜甫が、筆を剣のごとく、また指揮棒のごとく雄渾に揮っている、兄事な像である。
 杜甫は綴った。
 ──人々は多くの苦しみを被り、悪人は私利私欲を満たしている。
 君は、言論の力を多く振るって、悪を諌めよ
 ──と(「萬姓瘡痍(ばんせいそうい)合(あつま)る、羣兇嗜慾(ぐんきょうしよく)に肥(こ)ゆ」「刺規諌諍(しきかんそう)を多くせよ」。鈴木虎雄訳註『杜甫全詩集第4巻』日本図書センター)。
 この詩の心を、「聖教魂」にしていきたい。
 日蓮大聖人は、厳寒の佐渡の地で、命に及ぶ大難を忍ばれながら、御執筆を続けられた。
 戸田先生は、師子吼された。
 「新聞は、強い武器だ。これからの闘いは、文だ」
 「聖教新聞は、あらゆる意味で、言論戦の雄とならなければならぬ。
 まず、日本の言論界を左右するだけの矜持と迫力をもったものにしなければならない」
 先生は、聖教新聞に最大に期待されていた。折伏と聖教の拡大を、広布の両輪と考えておられた。
 私は、大聖人の御境涯を拝しながら、また、戸田先生の理想を胸に、強く、また強く信力、行力を奮い起こして、これまで書き続けてきた。
 休調を崩し、高熱のなか、原稿用紙を1枚書きあげるごとに、「正」の字で数えながら、書いたこともある。
 創価学会を護るため、学会員を励ますため、創価の正義を、世界に、後世に留めるために、力の限りに書いて書いて、書きまくる以外になかった。
 命をかけて、戸田先生の偉業を残すために、私は働いた。
 仏法は、死身弘法である。また、師匠に仕える心が、仏法の根本である。
 私は、現実のうえで仏法を弘める"広宣流布の大将"である牧口先生、戸田先生の恩を忘れなかった。師に仕えきった。師弟の精神において、インチキやふざけは、絶対に許さなかった。
 もちろん、戦いのなかで、ユーモアは必要だ。前進の活力である。
 しかし、「ユーモア」と「ふざけ」は違う。おっちょこちょいではいけない。
 まじめな人々を前にふざけるのは、軽蔑することになる。
 重大な決戦に臨む者、ふざけがあれば、戸田先生は容赦なかった。その非を思い知るまで、厳しく叱責された。
 この厳愛が、現在の学会の姿をつくった。尊く峻厳な、創価の師弟の世界をつくったのである。
 心ある諸君は、この精神を受け継ぎ、大事にしていただきたい。

戸田先生
 雇われ根性が最も醜い!
 広宣流布という命がけの仕事をしている自覚を持て

 増上慢との戦い 
 「インド、ネシアの著名な作家プラムディヤは記している。
 「未来がこれからどうころぶか、誰にもわからない。しかしわからなくとも、なさなくてはならないことがある。
 なさなくてはならないこと、それがすなわち、闘うということだ」(押川典昭訳『プラムディヤ選集5』めこん)
 この心が、私にはよくわかる。
 若き日より私は、学会に関する悪質なデマを流す人間に、断固抗議してきた。
 しかし、最高幹部のなかには、師匠が悪口罵詈されて、傍観している者がいた。あまつさえ、喜んでいる者もいた。そうなれば、もはや悪鬼、魔物の存在である。
 皆が苦労してつくりあげた、尊き学会の上に乗って、遊んでいるようなものだ。そういう者がリーダーになった組織は、全員が苦しむ。嫌な思いをする。
 人間の心は、ずるいものである。「なさなくてはならないこと」を忘れてしまう。私たちの次元でいえば、「広宣流布のために闘う」ことを忘れるのだ。
 そして、くだらない嫉妬で徒党を組み、破和合僧の動きをして、大誠実の人をいじめ、苦しめ、喜ぶ。
 そういう増上慢と、私は一人で戦ってきた。そして、師匠と学会を厳讃してきたのである。私の妻が一番よく知っている。
 戸田先生にとっての私のような存在を、「本物」を、今、私は探している。

 生死は不二 
 一、私たちは、三世永遠に同志であり、家族である。
 亡くなられた功労の方々に、私と妻は、朝な夕な、追善の題目を送っている。
 大聖人は、亡き父を偲ぶ弟子の曾谷教信に、こう仰せである。。
 「法運上人(=曽谷教信)の御功徳は、亡くなられた聖霊(=父)の御財です。
 松が栄えれば柏が喜び、芝が枯れれば蘭が泣きます。情のない草木ですら、このようなのです。
 まして情のある者はいうまでもありません。また、父子の契りの間柄も、そうなのです」(御書1047ページ、通解)
 生死は不二である。永遠に妙法で結ばれて、常楽我浄の生命の旅を、共に続けていくことができるのである。
 また、大聖人は、母を亡くした富木常忍に、仰せになられた。
 「我が頭は父母の頭・我が足は父母の足・我が十指は父母の十指・我が口は父母の口なり」(同977ページ)
 ゆえに、わが身を使って広宣流布に励む功徳は、そのまますべて、父母の生命に伝わっていくのである。

 「悪に反対しない者は悪の味方」 
 一、結びに、古今の箴言を贈りたい。 
 まず、ウズベキスタンの大詩人ナワイーの詩の一節である。
 「敵は容赦なく打ち破り、
 弱き人々を厳然と守り抜いていく人であれ。
 迫害をする者には断固として反撃を加えよ。
 民衆が安らぎと平和の中で暮らせるように」
 次に、11世紀の中央アジアを代表する哲学者イブン・シーナーの洞察である。
 「貪欲になるべからず、誇りを持つのだ」「欲望に侵されたものは、簡単に身を滅ぼす」
 「汝よ、青年を導き、年老いた者を重んじるのだ」
 「正義のために苦しみの道を選びし者は、世の喧噪を越え、幸せを知る」
 また、悪逆のナチスと戦ったドイツの作家トーマス・マンは記した。
 「悪に反対しない者、怒りをもって全力で悪に反対しない者、そういう人間は、結局、悪の味方なのだ」
 「何はともあれ、まず勝利することだ」
 来年も堂々と勝利を!──こう申し上げて、記念のスピーチとさせていただく。
 どうか風邪をひかれませんように。ありがとう!(大拍手)
 (2007・12・11)

各部代表協議会での名誉会長のスピーチ 下〔完〕




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