07年12月2日 聖教新聞  池田名誉会長の世界との語らい 第28回 実業界の人々

07年12月2日 聖教新聞
池田名誉会長の世界との語らい 第28回 実業界の人々 

東急 五島 昇氏  三井 江戸 英雄氏



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えど・ひでお(1909797年) 27年、三井合名に入社。
55年、三井不動産の社長に就任。臨海工業用地の造成に着手し、
全国で埋め立て事業を展開。同社を業界トップに押し上げた。
取締役相談役、常任相談役に退いてからも指導力を発揮した
(写真=読売新聞社)。



 ごとう・のぼる(1916~89年) 東急グループ創業者
五島慶太氏の長男。54年、東京急行電鉄の社長に就任。父
の死後、同グループ総帥に。東急新玉川線多摩田園都市の開発
など大プロジェクトを推進。84~87年、日本商工会議所
第14代会頭を務めた(写真=時事)。



戸田記念墓地公園(北海道石狩市)に立つ、戸田第2代会長の銅像


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私欲を捨て 公益に生きよ
 事業の成否は人間で決まる

 厚田村の大合唱 
 秋空が高く澄んでいた。日本海から吹き渡る風も清々しい。
 1977年(昭和52年)の10月、北海道の厚田村(現・石狩市)に、戸田記念墓地公園が晴れ晴れと開園した。
 「末法の娑婆世界で波瀾万丈の戦いをやり切って、あとは、わが同志と一緒に、常楽我浄の眠りにつきたいものだな」
 この師の構想を形にしたのが、創価の墓地公園である。
 社会と地域に明るく開かれた、新時代の墓地施設が必要になる時が、きっと来る。その最初の建設地は、恩師・戸田城聖先生の故郷をおいてほかになかった。
 列席者と「厚田村」の歌を大合唱した、あの日から、30年の歳月が流れた。
 本年の秋の記念の集いで、石狩市の田岡克介市長は「美しく広がる戸田墓園は、市民にとっても道民にとっても、心温まる聖地」と語ってくださった。
 振り返れば、この戸田墓園の用地の取得から建設万般まで、三井建設(現・三井住友建設)に尽力いただいた。三井グループの江戸英雄会長とお会いしたのは、その折である。

 公益に資する経済人 
 トインビー博士は、私の小説『人間革命』の英語版第1巻の序文に記してくださった。
 「2代、3代の指導のもと、創価学会は、驚異的な戦後の復興を成し遂げた。
 それは、経済分野における日本国民の物質的成功に匹敵する、精神的偉業である」
 まさしく、学会の躍進期は、戦後日本の復興期と時代を重ねている。苦悩にあえぐ庶民に、いかに勇気と希望を贈っていくか。いかに幸福と繁栄の大道を示していくか。
 大実業家でもあった恩師は、経済の本義である「経世済民(けいせいざいみん)」を、仏法の視座から思索し抜かれていた。
 自己の利益ばかりを追い求める経済活動は、長続きしない。民衆のため、すなわち「公益」「国益」につながる活動こそ、永続的な発展の道である。
 江戸英雄氏は、その「公益」を追求する信念の経済人であられた。
 1903年(明治36年)生まれ。恩師と同世代で、明治人ならではの気骨があった。
 55年(昭和30年)、三井不動産の社長に就任。日本の高度経済成長を牽引し、東京に超高層ビル建設の革命を起こした。まさに「江戸の英雄」である。
 気宇壮大にして、有言実行の士であった。即断即決で、何か案件があれば、すくにその場で電話をかけた。問題を先送りしない。社長となり、会長となっても、常に現場でスピーディーに陣頭指揮を執った。
 空理空論をもてあそぶ風などさらさらない。常に大地を踏みしめた、素朴で力強い「実学(じつがく)」の方だった。

 ディズニーランドで 
 昭和50年代、千葉県の浦安で一大プロジェクトが始動した。「東京ディズニーランド」の建設である。
 米国ディズニー側は、設計や、運営・管理の指導を担当し、すべての出資は日本の企業が行う。「ライセンス方式」といわれる経営モデルである。
 受けて立つ日本側の会社は「オリエンタルランド」。三井不動産が主要株主となり、江戸氏が実質的なリーダーシップを担った。リスクは大きい。
 結果はどうか。1983年(昭和58年)にオープンした東京ディズニーランドは、爆発的な人気を集めた。
 私も、氏の招待を頂き、活力漲るディズニーランドを訪れ、パーク内で親しく語り合った。
 87年(昭和62年)12月には、氏が新宿区信濃町聖教新聞本社を訪問してくださった。
 「学会は活気に溢れていますね。素晴らしい大発展ですね」と驚嘆しておられた。聞けば、戦前の一時期、信濃町に住んでおられたという。
 「ディズニーランドができるかどうか。うまくいくのかどうか。ぎりぎりまで、わからなかったんです。本当に大変でした」。そう言って微笑まれる。成功を鼻にかける様子など微塵もない。それだけに、かえって責任の重圧が察せられた。
 2番手、3番手での模倣は、たやすい。前人未到の第一歩こそ、難事中の難事である。
 私も、戸田先生の直弟子として、常に未知の領域に挑んできた。体制の異なる国家との対話。教育機関、文化団体、政党の創立......。風圧を恐れずに先頭を進む魂と魂は、言わず語らずとも響き合うものだ。
 いつからか、私は、お正月でも帰国できない創価大学の留学生たちを、ディズニーランドに招待するようになった。
 それを知った江戸氏は、年末になると、数十人分の入場券を用意してくださった。それも、わざわざポケットマネーで購入してくださっていた。
 いかにも機微に通じた大財界人らしい。濃(こま)やかな真心のご配慮であった。
 それぞれの国で立派に活躍する留学生たちが、このディズニーランド訪問を、忘れ得ぬ思い出として大切にしている。

 庶民に愛されてこそ 
 東京・大田区で育った私にとって、東急線は、かけがえのない「生活の足」だった。
 恩師のご自宅があった目黒と蒲田を結んでいたのも、当時の東急「目蒲線」である。
 短い3両編成だったと記憶する。独特の木と機械油のにおい。地方から戻り、あの東急線に乗ると、何ともいえぬ郷愁を覚えたものである。
 先日、東京急行電鉄の取締役であり、学会の会館建設にもご尽力をいただいた五島哲氏が逝去された。謹んで哀悼の意を表したい。
 氏の父上にあたる五島昇氏とは幾度もお会いした。東急電鉄の社長、日本商工会議所会頭などを歴任された。
 東急電鉄は、利幅の大きい商品を売るのではない。10円単位の料金で電車に乗ってもらう。何よりも庶民に愛されなければならぬ──五島昇氏には、企業とは「公」のためにあるのだという、固い信念があった。
 若き日から、「事業」という「浮沈を賭けた勝負」に真剣の二字で戦い切ってきた気迫を、その大きな目に宿していた。
 作家の有吉佐和子さんや井上靖氏など、私と共通の友人も多かった。
 ご自身は特定の宗教を持たれなかったが、聖教新聞大白蓮華などは読まれていたようだ。
 「学会が進んできた道は正しい」と周囲に語っておられたとも伺った。
 五島氏は、年頭の訓辞で誇り高く話された。──年末から年始にかけて、みんなが休んでいるときに働かねばならないのが、われわれの宿命です、と。
 そして「無事故が何より大事」と徹底し抜いていかれた。
 人知れず、安全を守り抜く責任感ほど尊いものはない。その伝統の精神は厳然と受け継がれている。

 小河内ダムの展望台 
 1954年(昭和29年)秋、戸田先生と私は、東京・奥多摩に建設中の小河内ダムを展望台から見つめた。今なお日本最大級、そして世界有数の巨大ダムとして知られている。
 戦後の講和独立から2年。この麗しき山林地帯にも、新たな社会建設の槌音が響いていた。
 同行した青年たちは、桁外れの工事風景にばかり目を奪われていたが、恩師の着眼点は違った。工事の規模もさることながら、この計画を着想した人物に思いを馳せておられた。
 「人並みはずれた、大胆にして周到な人がやったにちがいない。私は、そのような人に会いたくなってきた」
 いかなる大事業も、それを成し遂げるのは「人間」である。ゆえに一級の人物を求めて会うことだ。語ることだ。学ぶことだ。人間学の要諦を、恩師は青年に教えられた。
 今、創価大学の「トップが語る現代経営」の講義では、日本を代表する企業の会長・社長らが、180人以上も講演してくださっている。
 わが創大生の真筆な受講の息吹を、異口同音に誉めてくださることも、光栄の限りだ。

社会に信念の人を 
 天台大師は記された。
 「一切世間の沿生産業は皆実相と相違背せず」
 蓮祖大聖人は仰せである。
 「世間の治世の法を能く能く心へて候を智者とは申すなり」
 仏法は即社会である。信心は即仕事である。仏の異名をば「世雄(世の英雄)」という。
 「創価の世雄」たる尊き社会部、専門部をはじめ多くの同志は、職場でも、また経営でも、「随緑真如の智」を発揮しながら、勇敢に、誠実に、忍耐強く実証を示されている。
 ともあれ、企業にあっても、実業界にあっても、今ほど、揺るぎない「信頼」の確立が求められている時代はあるまい。
 だからこそ、私たちは恩師の烈烈たる叫びを思い起こしたいのだ。
 「社会に信念の人を!」

池田名誉会長の世界との語らい 第28回 実業界の人々〔完〕


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