2008年1月25日 聖教新聞  随筆人間世紀の光 152 世界一の婦人部を讃う 山本 伸一

2008年1月25日 聖教新聞
随筆人間世紀の光 152 世界一の婦人部を讃う 山本 伸一

春が来た! 希望の春が来た!
グループ発足30周年「師弟の心」で対話の波を






「白ゆり」は創価の婦人部のシンボル。いかなる風雨にも負けず、
清らかな心の女王として、凛と咲かせよう、幸福と勝利の大輪を!
(昨年11月、池田名誉会長撮影。都内で)



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 太陽の
   母は今日も
      輝けり

 燦々と「希望の太陽」は昇った。
 世界の新しき春を明るく照らすのは、人生の最高の道である広宣流布に生き抜く「創価の太陽」の母たちである。
 「冬は必ず春となる」(御書一二五三ページ)──この妙法の大法則を、満開の笑顔で晴れ晴れと実証しゆく、平和と勝利の婦人部総会も、全国で行われてきた。
 私も妻も、毎日、皆様からの弾けるような決意と喜びの報告を、合掌する思いで伺っている。
 あの地でも、この地でも、梅よりも早く、婦人部の対話の花が、春を告げ始めている。
 「春の初(はじめ)の御悦び木に花のさくがごとく・山に草の生出ずるがごとしと我も人も悦び入って候」(同一五八五ページ)
 最愛の家族の逝去という悲しみを乗り越えて、前進しゆく南条時光の一家に贈られた、正月の御聖訓である。
     ◇
 来る春も
   また来る年も
    栄えゆく
  偉大な母の
    勝利の讃歌よ

 今年は、「地区」そして「ブロック」よりも少人数の単位となる、婦人部の学習・懇談の「グループ」が発足して三十周年である。 そのスタートの年、すなわち昭和五十三年、私は一月から四国を訪れ、連日連夜、尊き学会員の激励に奮闘した。
 いわゆる第一次の宗門事件の邪悪な狂風が、日に日に強まっていた時代である。
 その渦中、私は愛媛婦人部の勤行会に出席した。さらに四国研修道場で行う、「香川県婦人部総会」にも招待をいただいたのである。
 総会の前日には、式次第や県婦人部長の挨拶の内容を伺いながら、大成功のための協議を細かく行った。
 いかなる会合であっても、中心者は深き祈りと事前の準備を怠ってはならない。一回一回の集いが、広宣流布と一生成仏のための真剣勝負であるからだ。
 総会のその日、県婦人部長は、打ち合わせ通り、「貧女の一灯」の仏教説話を通して、凛とした声で語っていった。
 ──私たちにとって「貧女の一灯」とは何か。
 それは、「信心」であり、「学会精神」です。
 大風を受けて、ほかの何百何千もの灯が全部消えても、ひたぶるな信心の心を捧げた一人の貧しき女性の灯だけは消えなかったと言います。
 これと同じように、「潔い信心」「確固たる信心」「揺るぎない信心」「地道な信心」の一念すなわち学会精神のある限り、社会がどうあろうが、いかに偏見の中傷批判があろうが、私たちの一念の大福運を壊すことは、永久にできません。
 今日より、私たちは、大いなる拡大の目標へ、「福運の一灯」「福運の一念」を広げゆく前進を誓い合っていきましょう!──と。
 美事な確信の名スピーチであった。
 「そうだ!」。共感と決意の大拍手が轟きわたった。
     ◇
 最高に
   貴く強く
     美しき
  母の心に
    敵うものなし

 仏典によれば、かの貧女は師匠である仏に誓った。
 「今、私は貧しい身ですが、真心を込めてこの小さな灯を供養いたします。
 そして、私は誓います。
 この功徳をもって、来世は智慧の照明を得て、一切衆生の無明の闇を滅ぼし尽くそうと──」
 この「誓願」の灯は大風にも決して消えず、貧女は厳然たる成仏の記別を受けたと、経文に説かれている。
 ともあれ、人びとの幸福を願う心、そして真実の世界の平和のために、広宣流布に進み抜こうとする心──そこにこそ、最高の幸福への道があるのだ。
 まことに「心こそ大切」である。人数の多い少ないではない。「一人」が立てばいいのだ。「師弟の心」に燃えた婦人部が、毅然と頭を上げて、正義の誓願の灯を掲げゆくのだ。
 その灯は必ず「二人・三人・百人」へ広がり、地域を照らし、さらに日本中、世界中を照らす大いなる灯となることは、絶対に間違いない。
 この大仏法の方程式通りの拡大が、婦人部の「グループ」の尊き大行進であった。
     ◇
 厳然と
  母がおわせば
     勝ち戦

 この昭和五十三年の六月、全国の津々浦々、大ブロック(現在の地区)の単位で、第八回の婦人部総会が、にぎやかに開催されていった。
 折から、私たち夫婦は、北海道を訪問していた。
 この時、妻は、恩師・戸田先生の故郷である厚田村(現・石狩市内)で、二カ所の婦人部総会に、喜び勇んで参加している。
 また、妻は、自分が総会に出席できなかった地域の大ブロック担当員(現・地区婦人部長)さんのところへも、足を運んだ。
 さらに、その総会の会場であるお宅を訪ね、未入会だったご主人にも挨拶をし、和やかに懇談させていただいた。
 日本中、そして世界中、どこへ行っても、妻は時間さえあれば、一人でも多くの同志とお会いし、少しでも労い、励ますことを、何よりの喜びとしてきた。
 翌年の昭和五十四年の五月、第九回の婦人部総会の時には、神奈川にいた妻は、横浜市神奈川区内の大ブロックの総会に出席した。
 いずれも、恩知らずの坊主の陰険な圧迫の最中である。
 しかし、「婦人部の皆さんは、元気いっぱいですよ!」と、妻は満面の笑顔で報告してくれた。
 戸田先生は言われた。
 「学会幹部の責任は、会員を幸福にすることにある。それ以外には、何もない」
 わが創価学会には、いずこの地域にあっても、その地の友の「幸福責任者」として、何ものにも微動だにせず、戦い続ける母がおられる。だからこそ、学会は強いのだ。
 この三十年、わが創価の婦人部は、邪宗門をはじめ「三類の強敵」の暴風をものともせず、邪悪の闇を破り、世紀を照らす、正義の誓願の灯を燃え上がらせてきた。
 蓮祖大聖人は、いかばかり讃嘆されているであろうか。
     ◇
 苦しみも
   凱歌で飾りし
       母の顔

 わが創価の女性の信念の闘争を、世界の知性は、最大の信頼と共感をもって見つめている。
 南米アルゼンチンの人権の闘士エスキベル博士も、その一人であられる。
 博士との対談では、私たちの「宗教革命」の戦いと時を同じくする、「五月広場の母たち」の不撓不屈の足跡も語り合った。
 一九七〇年代、軍事政権下のアルゼンチンでは、多くの市民が軍隊や警察によって連れ去られ、行方不明になった。その犠牲者は、三万人に上るともいわれる。
 この非道な権力に対して、敢然と抗議の行動を起こしたのが、息子や娘が行方不明になった母たちであった。
 当時は戒厳令下で、集会・結社の自由は奪われ、人びとはおおっぴらに集まることもできない。
 しかし、母たちの聡明な知恵は、そして、わが子を救わんとする母たちの愛は、権力者に屈しなかった。
 ──一カ所に結集した会合が駄目なら、ずっと動いていればいいではないか。会合ではなく、勝手に歩いていることに文句は言わせない!
 一九七七年(昭和五十二年)の四月、独立革命を記念する、首都ブエノスアイレスの「五月広場」に、母たちはやって来た。最初はわずか十数人であった。
 そして彼女たちは、権力者が居座る大統領府の前に立つ広場の「塔」を、無言で、しかし決然たる足取りで、ぐるぐると回り始めた。

随筆人間世紀の光 152 世界一の婦人部を讃う-2に続く

エスキベル博士については「東洋哲学研究所」ホームページ《http://www.totetu.org/d/d_03_7.html》を参照してください。



ブログ はればれさんからのコピーです。