2008年1月10日 聖教新聞 随筆人間世紀の光 152 世界一の婦人部を讃う-2 山本 伸一
2008年1月10日 聖教新聞
随筆人間世紀の光 152 世界一の婦人部を讃う-2 山本 伸一
「一刻も早く、息子を生きて返せ! 娘を返せ」と、心で絶叫しながら──。
母たちは、行方不明の家族の名前を書いた白いスカーフをつけて、毎週木曜の午後、五月広場にやって来ては、抗議の行進を重ねていった。
心ない罵声も浴びた。非道な弾圧もあった。それでも次の週には、また練り歩いた。
母たちは、勇敢であった。不屈であった。地道であった。そして、正義であった。
この非暴力の人権闘争は、やがて国内外の世論を味方につけ、逆に軍事政権を追い詰めていったのである。
母たちの行進は三十年間で干五百回を超え、今も続けられている。この間、あの凶暴な軍事政権は、とっくに崩れ去っていた。勝ったのは、母たちであったのだ!
この母たちのために、命を賭して戦い抜いてこられたのが、エスキベル博士である。
その博士が、「人びとの善悪を見極める力を伸ばし、自由と人間の尊厳の道を築くことに寄与する」と絶讃してくださっているのが、創価の師弟の共戦であり、女性の連帯なのである。
◇
母の詩
母の曲あり
創価かな
千日尼御前御返事には──
「悲母の恩を報ぜんために此の経の題目を一切の女人に唱えさせんと願(がん)す」(御書一三一二ページ)と仰せである。
末法の御本仏であられる、日蓮大聖人が唱え出された、この題目を朗々と唱え抜きながら、幸福と正義の女性のスクラムを拡大することだ。
これこそが、蓮祖へのこの上ない報恩となる。さらに、わが母、そして、すべての母たちへの無上の孝養となるのだ。
なかんずく、巡り来る二月は、御本仏・日蓮大聖人の聖誕の月であり、恩師・戸田城聖先生の誕生の月である。
この意義深き月を、報恩の祈りを込めて、広宣流布の拡大の転機にするのだ!
これが、昭和二十七年のその時、二十四歳の私の全生命に燃え盛る闘魂であった。
この私と一緒に、寒風のなか、欣喜雀躍と、大法の弘通に走ってくれたのは、白木静子婦人部長をはじめ、蒲田支部の母たちだったのである。
婦人部と青年部の一体の息吹によって、あの「伝統の二月」の歴史が築かれたのだ。
◇
母ありて
この世の世界は
楽しけれ
母の長寿を
皆して祈れや
そもそも、誰人にとっても「誕生日」は、何よりもまず、わが生命を産み出してくれた母に、感謝を捧げるべき日といってよい。
一九六〇年、世界平和への願いを胸に、私がアメリカを初訪問した折のことである。
シカゴ郊外で、ある農家に立ち寄った。話が弾むうち、そのお宅のおばあちゃんが誕生日だとわかり、皆で、真心を込めて、「ハッピー・バースデー・トゥー・ユー」を歌ってお祝いしたのである。
見ず知らずの旅行者の歌である。だが、おばあちゃんは私たちの歌声に、「今日は、一番嬉しい日になった」と喜ばれ、涙ぐんでおられた。
「この母に幸多かれ」と、私は心から祈った。今も忘れ得ぬ思い出である。
"誕生日の歌"は、最初、「グッド・モーニング・トゥー・オール」(皆さん、おはよう)という、子どもに挨拶を教える歌だったそうだ。作ったのは、幼椎園の先生をしていたミルドレッド・ヒル、パティ・ヒルの姉妹である。
後に妹のパティは、哲学者のデューイ博士と同時代に、名門コロンビア大学のティーチャーズ・カレッジで教え、アメリカにおける幼児教育の先駆者の一人となった。
同カレッジには私も招かれ、「『地球市民』教育への一考察」と題して講演を行った(一九九六年六月)。
ともあれ"誕生日の歌"が母や子の笑顔を広げた如く、わが婦人部は、平和と幸福の笑顔を日本中、世界中に広げゆくのだ! この最高の価値創造が広宣流布なのだ。
◇
偉大なる
母のスクラム
世界まで
広宣流布の
大道 開きぬ
昨年の暮れにお会いした、アメリカの宗教研究の大家であるクラーク・ストランド氏も、傑出した慧眼をもって、創価の民衆運動を見つめてくださっている。
帰国の前日には、関西の草創の同志とも懇談された。
氏は、昭和二十八年に入会した、一人の錦宝会の母に、その動機を尋ねた。
すると、「亡くなった矢追のお母さん(矢迫久子さん=関西婦人部の大功労者)から、『私もまだ入会して十日くらいで、よくわからないけど、この宗教はすごいらしいよ!』と言われて、よくわからないまま入信したのです」との答えが返ってきた。
偉大な宗教革命
この話を聞いたストランド氏は言われた。
「歴史的な例を見ても、新しい宗教革命が起きる時は、その宗教が伝わる勢いは大変なものがあります。
理屈抜きで、人の心から心に伝わっていく。これが宗教革命の特徴です。
創価学会を研究してきて、私は、おそらく五百年、千年に一度、誕生するかしないかの偉大な宗教ではないかと思ってきました。今日、関西の草創の方々の話を伺い、それが確信に変わりました」
これが、研ぎ澄まされた知性の正視眼だ。「理屈抜き」を、ただ感情的に冷笑する傲慢な似非(えせ)インテリとは次元が違うのである。
当然、学会は「御書根本」である。この教学の裏付けを得て、学会員はさらに確信を深め、信心の喜びを、勇んで語りに語っていったのだ。
歓喜は歓喜を呼ぶ。勇気の人が勇気の友を拡大する。
文豪トルストイは"信仰と生活が一致してこそ真の信仰だ"と言った。わが婦人部には、何にもまして「信心即生活」の深き体験がある。
この体験の力を、スイスの哲人ヒルティは強調した。
「人を信じさせるものは体験である。自分も経験してみたいという願望と気分とを起こさせるものは、その経験をした人たちの証言である」
"信心はすごい! 学会は素晴らしい!"──生命にわき上がる、その実感に勝る説得力は、どこにもないのだ。
民衆の心に真っ直ぐに飛び込んでいく、この常勝関西の婦人部の勢い、そして爆発的な学会精神の躍動を、永遠に失ってはならない。
◇
偉大な「生活博士」「幸福博士」の婦人部の皆様方は、今日もまた、きらめく智慧と勇気で、「皆が幸せに」「地域が安穏に」と、誠実な対話の波を広げておられる。
民衆運動を続けていくうえで最も大事なことは何か。
それは「不撓不屈であることです」と、著名な女性の未来学者ヘンダーソン博士は強く語っておられた。まさしく、婦人部の皆様の姿だ。
暗い敗北の人生は、不幸だ。
明るい勝利の人生は、永遠に幸福である。
何があっても、私たちは負けない。絶対に負けない。
創価学会に、「絶対勝利の信心」と「師弟不二の誓願」がある限り!
そして「世界の太陽」たる婦人部が、生き生きと燃え輝いている限り!
世界一
創価の婦人部
晴ればれと
一千万の
母の力よ
(随時、掲載いたします)
トルストイの言葉は『文読む月日』北御門二郎訳(筑摩書房)等から要約。ヒルティは『幸福論』草間平作訳(岩波書店)。
随筆人間世紀の光 152 世界一の婦人部を讃う〔完〕
ブログ はればれさんからのコピーです。
随筆人間世紀の光 152 世界一の婦人部を讃う-2 山本 伸一
「一刻も早く、息子を生きて返せ! 娘を返せ」と、心で絶叫しながら──。
母たちは、行方不明の家族の名前を書いた白いスカーフをつけて、毎週木曜の午後、五月広場にやって来ては、抗議の行進を重ねていった。
心ない罵声も浴びた。非道な弾圧もあった。それでも次の週には、また練り歩いた。
母たちは、勇敢であった。不屈であった。地道であった。そして、正義であった。
この非暴力の人権闘争は、やがて国内外の世論を味方につけ、逆に軍事政権を追い詰めていったのである。
母たちの行進は三十年間で干五百回を超え、今も続けられている。この間、あの凶暴な軍事政権は、とっくに崩れ去っていた。勝ったのは、母たちであったのだ!
この母たちのために、命を賭して戦い抜いてこられたのが、エスキベル博士である。
その博士が、「人びとの善悪を見極める力を伸ばし、自由と人間の尊厳の道を築くことに寄与する」と絶讃してくださっているのが、創価の師弟の共戦であり、女性の連帯なのである。
◇
母の詩
母の曲あり
創価かな
千日尼御前御返事には──
「悲母の恩を報ぜんために此の経の題目を一切の女人に唱えさせんと願(がん)す」(御書一三一二ページ)と仰せである。
末法の御本仏であられる、日蓮大聖人が唱え出された、この題目を朗々と唱え抜きながら、幸福と正義の女性のスクラムを拡大することだ。
これこそが、蓮祖へのこの上ない報恩となる。さらに、わが母、そして、すべての母たちへの無上の孝養となるのだ。
なかんずく、巡り来る二月は、御本仏・日蓮大聖人の聖誕の月であり、恩師・戸田城聖先生の誕生の月である。
この意義深き月を、報恩の祈りを込めて、広宣流布の拡大の転機にするのだ!
これが、昭和二十七年のその時、二十四歳の私の全生命に燃え盛る闘魂であった。
この私と一緒に、寒風のなか、欣喜雀躍と、大法の弘通に走ってくれたのは、白木静子婦人部長をはじめ、蒲田支部の母たちだったのである。
婦人部と青年部の一体の息吹によって、あの「伝統の二月」の歴史が築かれたのだ。
◇
母ありて
この世の世界は
楽しけれ
母の長寿を
皆して祈れや
そもそも、誰人にとっても「誕生日」は、何よりもまず、わが生命を産み出してくれた母に、感謝を捧げるべき日といってよい。
一九六〇年、世界平和への願いを胸に、私がアメリカを初訪問した折のことである。
シカゴ郊外で、ある農家に立ち寄った。話が弾むうち、そのお宅のおばあちゃんが誕生日だとわかり、皆で、真心を込めて、「ハッピー・バースデー・トゥー・ユー」を歌ってお祝いしたのである。
見ず知らずの旅行者の歌である。だが、おばあちゃんは私たちの歌声に、「今日は、一番嬉しい日になった」と喜ばれ、涙ぐんでおられた。
「この母に幸多かれ」と、私は心から祈った。今も忘れ得ぬ思い出である。
"誕生日の歌"は、最初、「グッド・モーニング・トゥー・オール」(皆さん、おはよう)という、子どもに挨拶を教える歌だったそうだ。作ったのは、幼椎園の先生をしていたミルドレッド・ヒル、パティ・ヒルの姉妹である。
後に妹のパティは、哲学者のデューイ博士と同時代に、名門コロンビア大学のティーチャーズ・カレッジで教え、アメリカにおける幼児教育の先駆者の一人となった。
同カレッジには私も招かれ、「『地球市民』教育への一考察」と題して講演を行った(一九九六年六月)。
ともあれ"誕生日の歌"が母や子の笑顔を広げた如く、わが婦人部は、平和と幸福の笑顔を日本中、世界中に広げゆくのだ! この最高の価値創造が広宣流布なのだ。
◇
偉大なる
母のスクラム
世界まで
広宣流布の
大道 開きぬ
昨年の暮れにお会いした、アメリカの宗教研究の大家であるクラーク・ストランド氏も、傑出した慧眼をもって、創価の民衆運動を見つめてくださっている。
帰国の前日には、関西の草創の同志とも懇談された。
氏は、昭和二十八年に入会した、一人の錦宝会の母に、その動機を尋ねた。
すると、「亡くなった矢追のお母さん(矢迫久子さん=関西婦人部の大功労者)から、『私もまだ入会して十日くらいで、よくわからないけど、この宗教はすごいらしいよ!』と言われて、よくわからないまま入信したのです」との答えが返ってきた。
偉大な宗教革命
この話を聞いたストランド氏は言われた。
「歴史的な例を見ても、新しい宗教革命が起きる時は、その宗教が伝わる勢いは大変なものがあります。
理屈抜きで、人の心から心に伝わっていく。これが宗教革命の特徴です。
創価学会を研究してきて、私は、おそらく五百年、千年に一度、誕生するかしないかの偉大な宗教ではないかと思ってきました。今日、関西の草創の方々の話を伺い、それが確信に変わりました」
これが、研ぎ澄まされた知性の正視眼だ。「理屈抜き」を、ただ感情的に冷笑する傲慢な似非(えせ)インテリとは次元が違うのである。
当然、学会は「御書根本」である。この教学の裏付けを得て、学会員はさらに確信を深め、信心の喜びを、勇んで語りに語っていったのだ。
歓喜は歓喜を呼ぶ。勇気の人が勇気の友を拡大する。
文豪トルストイは"信仰と生活が一致してこそ真の信仰だ"と言った。わが婦人部には、何にもまして「信心即生活」の深き体験がある。
この体験の力を、スイスの哲人ヒルティは強調した。
「人を信じさせるものは体験である。自分も経験してみたいという願望と気分とを起こさせるものは、その経験をした人たちの証言である」
"信心はすごい! 学会は素晴らしい!"──生命にわき上がる、その実感に勝る説得力は、どこにもないのだ。
民衆の心に真っ直ぐに飛び込んでいく、この常勝関西の婦人部の勢い、そして爆発的な学会精神の躍動を、永遠に失ってはならない。
◇
偉大な「生活博士」「幸福博士」の婦人部の皆様方は、今日もまた、きらめく智慧と勇気で、「皆が幸せに」「地域が安穏に」と、誠実な対話の波を広げておられる。
民衆運動を続けていくうえで最も大事なことは何か。
それは「不撓不屈であることです」と、著名な女性の未来学者ヘンダーソン博士は強く語っておられた。まさしく、婦人部の皆様の姿だ。
暗い敗北の人生は、不幸だ。
明るい勝利の人生は、永遠に幸福である。
何があっても、私たちは負けない。絶対に負けない。
創価学会に、「絶対勝利の信心」と「師弟不二の誓願」がある限り!
そして「世界の太陽」たる婦人部が、生き生きと燃え輝いている限り!
世界一
創価の婦人部
晴ればれと
一千万の
母の力よ
(随時、掲載いたします)
トルストイの言葉は『文読む月日』北御門二郎訳(筑摩書房)等から要約。ヒルティは『幸福論』草間平作訳(岩波書店)。
随筆人間世紀の光 152 世界一の婦人部を讃う〔完〕
ブログ はればれさんからのコピーです。