2008年5月25日 聖教新聞 創価学園 特別文化講座 創立者 ダンテを語る 5-1

2008年5月25日 聖教新聞
創価学園 特別文化講座 創立者 ダンテを語る 5-1

ダンテを勇気づける師ウェルギリウス 「風に動かぬ塔のように立て」
歌え!師弟の栄光の詩

一、ある時、学園生が私に質問をしました。
 「池田先生の夢は何ですか?」
 私は答えました。
 「私の夢は、戸田先生の夢を実現することです」と。
 戸田先生の弟子として私は、恩師の夢を一つ残らず実現してきました。
 師匠の正義と偉大さを叫び抜いてきました。
 歴史上、偉大な仕事を残した多くの人は、若いころから、大きな夢に向かって挑戦しています。
 皆さんも、大きい夢を持つのです。偉大な夢を実現していくのです。

 創価小、万歳!
 一、創価教育の学校をつくることも、戸田先生の夢でした。それは戸田先生の師匠である牧口先生の夢でもあった。
 戸田先生は、若い私に言われました。
 「牧口先生は、創価教育の学校の建設を私に託された。しかし、私の代でできなければ、大作、その時は頼むぞ」と。
 その言葉の通り、私は、創価学園創価大学創価女子短大、そしてアメリ創価大学を創立しました。
 創価一貫教育の"夢の城"として、東京創価小学校と関西創価小学校も光っています。
 牧口先生も戸田先生も、小学校の先生で心たから、創価小学校の現在の大発展を、それはそれは喜んでくださっているでしょう。

 万歳と
  皆で叫ばむ
      創価
  未来の偉人よ
   負けずに育てと

 さらに、札幌創価幼椎園を出発点として、創価の幼児教育のネットワークは、香港、シンガポール、マレーシア、韓国に広がっています。
 ブラジルにも、創価の学舎をつくりました。
 一、今、この創価の師弟の事業は、世界の人々から一段と大きな信頼を寄せられる時代に入りました。
 ダンテが生まれたイタリアでも、牧口・戸田両先生の業績が大きく顕彰されています。
 "花の都"フィレンツェの郊外に位置するカプライア・リミテ市には、「牧口常三郎平和公園」ができました。
 イタリア中部のペルージャ県には「牧口常三郎通り」があります。
 またイタリア南部のアブルッツォ州には「戸田城聖通り」が誕生。
 フィレンツェの南西にあるチェルタルド市には「戸田城聖庭園」が開園しています。
 戦時中、日本のファシズムと戦い、平和のため、民衆の幸福のために生涯を捧げた創価の師弟への讃嘆は、いよいよ大きくなっています。
 これもイタリアの同志の皆さんが師弟の真実を語り抜き、平和と友情の連帯を広げてくださっているおかげです。心から感謝申し上げたい。
 〈イタリアでは、創立者の池田名誉会長に対し、ボローニャ大学とバレルモ大学から名誉博士号が授与されているほか、44の名誉市民称号、また100を超える都市や団体からの顕彰が贈られている〉

君に正義と勝利の月桂冠
一人ももれなく幸福博士に

 師匠は太陽!
 一、『神曲』で深く心を打たれるのは、杜絶な「地獄」と「煉獄」を踏破し、「天国」へと向かう、ウェルギリウスとダンテの「師弟の絆」です。
 「師弟」がなければ、破れない壁があります。
 「師弟」でなければ、進めない道があります。
 『神曲』の冒頭、人生の正しい道に迷い苦悩する若きダンテは、大詩人ウェルギリウスと出会いました。そして、師弟の旅に出発しゆく喜びを、弟子ダンテは、こう詠っています。

 夜の寒さにうなだれ
 しぼむ小さな花が、
 朝日の光を受けると
 勢よくおきあがり、
 茎の上に
 悉くひらくように、
 私の萎えた力も
 生色を取りもどす。
 かくて、
 怖れを知らぬ勇気、
 わが心にみなぎり、
 自由となった者の
 ように、
 私は言い始める
寿岳文章訳『神曲集英社

 さあ行きましょう、
 二人とも
 心は一つです、
 あなたが先達、
 あなたが主君、
 あなたが師です
 (平川●弘訳『神曲河出書房新社)(※●=しめすへん+右)
 師匠は、希望の太陽であり、勇気の泉です。
 私が師匠・戸田先生に初めてお会いしたのは、皆さんとほぼ同じ年代の19歳の時でした。
 私も"人生の師匠"と出会えた感動を、その場で即興詩に詠んだことが思い出されます。

 旅びとよ
 いずこより来り
 いずこへ
 往かんとするか
 月は 沈みぬ
 日 いまだ昇らず
 夜明け前の混沌(カオス)に
 光 もとめて
 われ 進みゆく
 心の 暗雲を
 はらわんと
 嵐に動かぬ
 大樹求めて
 われ 地より
 湧き出でんとするか

 何のためを問え
 一、師弟の出会いがあるところ、豊かな「詩」が生まれます。師弟の闘争があるところ、魂の旋律ともいうべき偉大な「歌」が生まれます。
 私もこれまで、わが学園生と、また愛する多くの青年たちと、幾多の歌をつくってきました。一つ一つに忘れ得ぬ歴史があります。
 一、東京の学園校歌「草木は萌ゆる」は、武蔵野の四季を歌い、人生の根本の「問い」と「答え」を示した、本当に素晴らしい歌です。
 一番では、「英知をみがくは 何のため」との問いかけに対し、「次代の世界を 担わんと」と、その目的が明快に記されている。
 さらに「何のため」との問いが続き、"社会の繁栄のため""民衆の幸福のため""世界の平和のため"と高らかに歌われています。この歌は、目先の利害とか、小さな自分を超えて、「大いなる理想」に向かって前進していかんとする、学園生の誓いの歌です。
 世の中には、初心を忘れ、お世話になった人の恩を忘れる人間もいる。それどころか、恩を仇で払す人間さえいる。それは、慢心をおこし、ちっぽけな自分が中心となり、本来の目的を見失っているからだ。それでは堕落の人生だ。
 皆さんは、この学園で「何のため」と、わが胸に問いかけながら、一生涯、崩れることのない、人生の大目的を生命に焼き付けていってください。ここに創価学園の大精神があるからです。
 一、校歌の5番の歌詞は私が贈りました。

 富士が見えるぞ
 武蔵野の
 渓流清き 鳳雛
 平和をめざすは
 何のため
 輝く友の 道拓く
 未来に羽ばたけ
 君と僕

 私の人生の目的は、後に続く若き君たちの「道を拓く」ことです。
 そのために一切の苦難をはねのけて、平和と文化と教育の大道を全世界に広げてきました。
 創価学園が開校した年である1968年の9月6日、学園のグラウンド開きで、凛々しき1期生500人と初めて校歌(当時は寮歌)を歌って以来、40年が経ちました。今や、東京校の同窓生の集いである「鳳友(ほうゆう)会」「香友(こうゆう)会」の連帯は約1万4000人となりました。
 「未来に羽ばたけ 君と僕」。私の胸には、いつも、君たち学園生がいます。

創価の乙女は世界を舞台に
女性の励ましの声は人類を正しい道へ導く

 師弟一体で!
 「一方、私の提案に応えて、関西学園に新校歌「栄光の旗」が誕生したのは、今から18年前のことでした。
 作成の中心となったのは、関西創価小学校からの"一貫教育1期生"となる高校15期生たちです。
 関西校で新校歌作成の取り組みが本格化した1990年2月、私は自由の天地アメリカで、平和への指揮を執っていました。そして3月4日、アメリカから帰国したばかりの私のもとに届けてくれたのです。
 歌の完成を、私は、本当に楽しみにしていました。
 全力でぶつかってきた学園生の思いに応えたいと、思索を凝縮させ、ペンを走らせました。歌詞に大幅な直しを入れさせてもらいました。
 曲づくりにも、「学園生が庭園の池のほとりで、仲良く語り合っているような、流れるようなメロディーで」等とアドバイスをしました。
 何度も作曲を重ねた末に、最終の案となる曲が完成したのは、15期生の卒業式の3日前、3月13日でした。
 翌14日、それを聴いた私は、「とてもいい」と感動した。限界を打ち破り、何度も何度も挑戦した学園生の心意気が本当にうれしかった。ここに歴史的な師弟共戦の歌が完成したのです。
 一、校歌の3番の歌詞はこうです。
 
 ああ関西に
 父子の詩
 これぞ我らの
 誉れの曲
 ともに誓いを
 果たさむと
 世界を結べや
 朗らかに
 君も王者と
 栄光の旗
 君も勝利と
 栄光の旗

 東京の校歌には、深く掘り下げられた「学園の原点」があり、関西の校歌には、世界に飛翔しゆく「学園の栄光」が留められています。
 その後も私は、東西の女子学園生の歌として、妻とともに「幸福の乙女」をつくりました。
 また関西校に学園歌「関西創価 わが誇り」、関西学園寮歌「我らの城」を贈った。
 皆、私が学園生と一体となってつくった「師弟の詩(うた)」です。

 「おそれるな!私が導く限り」
 一、師弟の絆ほど、美しく、強いものはない。
 師弟とは、ある意味で、親子以上の関係です。親子は動物にもありますが、師弟は人間にしかない。師弟があってこそ、本当の学問があり、英知があります。
 師弟あればこそ、弟子は困難に飛び込んでいける。師弟がなければ、命を懸けた信念の戦いを貫くことは難しい。
 人格を鍛える根本の力も師弟です。それが、師弟に生き抜いた私の実感です。
 一、今、世界の各地、社会の各界で、学園出身の先輩方の活躍が生き生きと広がっている。
 立派な学園の伝統を築き上げてくださった先生方、また職員の方々、そして陰に陽に学園を護り支えてくださっている、すべての皆様に私は心から感謝申し上げたい。

創価学園 特別文化講座 創立者 ダンテを語る 5-2に続く


ブログ はればれさんからのコピーです。