2008年6月30日付 聖教新聞  各部合同協議会での名誉会長のスピーチ 下-1

2008年6月30日付 聖教新聞
各部合同協議会での名誉会長のスピーチ 下-1

創価の対話は人類の希望!

戸田先生
 わが崇高なる学会に一人たりとも魔を寄せ付けるな

 一、時間の許す限り、若き皆さんのために語りたい。
 さらに、戸田先生の折々の話から学びたい。
 「いま、こうして(第2代)会長をしていることは、初代会長の恩をこうむっているのはいうまでもないが、私は、(牧口)先生を、親子として、弟子として、一生涯、自分の生きているあいだは大事にしていく決心であります」
 この麗しい絆があったからこそ、学会は強かった。
 戸田先生を迫害する者を、私は絶対に許さなかった。いかなる戦いも、同志のために「必ず勝ちます」と先生に申し上げ、そして実際に結果を出してきた。
 この覚悟があるかどうか。それが重要である。
 一、私が第3代会長に就任した日、家に帰ると妻は、「きょうから、わが家には主人はいなくなったと思っています。きょうは池田家のお葬式です」と言って私を迎えてくれた。
 広宣流布のため、学会の勝利のため、全力を尽くせるように──そういう決心であり、姿勢であったのだと思う。
 それまでも激務に次ぐ激務であり、きょうぐらいはお赤飯でも炊いて、お祝いを、と思っても不思議ではない。しかし、妻は美しい心で待っていた。御本尊の前で決然としていた。その心がけに、私は今も感謝している。

 さあ行きましよう! 心は一つ!
 一、これまで、学会が非難中傷を浴びたとき、自らの保身しか考えない人間もいた。
 傑出した仕事をする人に焼きもちを焼く。そういう人間が幅をきかせる、嫌な時代もあった。
 戸田先生は言い残されている。
 「わが学会は、宇宙最極の和楽の世界である。決して、魔に崩されてはならない。
 厳然と、わが崇高なる学会に、一人たりとも魔を寄せ付けるな!」
 「恩知らずが、組織の中にのさばると、妙法の功徳は、毒に汚される。功徳が消えるだけでなくして、魔物が動き始める」
 「裏切り者、不知恩の者と戦うのが、仏法の慈悲だ」「恩を受けながら、感謝のない人間に福運はない」
 私のこれまでの体験からいって、いずれの指導も、まったくその通りである。
 「希有の大哲人でありながら、国賊の汚名を着せられ、闇から闇へ葬り去られようとした牧口先生を、いつの日か必ずや、全世界に宣揚してみせる!」──こう決意され、実行された戸田先生であられた。私もまた、この恩師の言葉通りの結果を残してきた。
 一、「詩聖」と呼ばれるダンテの傑作『神曲』には、"師弟の旅"が描かれている。
 戸田先生も読まれていたし、私も読んだ。
 ダンテは師であるウェルギリウスに敬愛を込めて語った。
 「さあ行きましょう、二人とも心は一つです、あなたが先達、あなたが主君、あなたが師です」(平川佑弘訳、河出書房新社) 有名な旅の始まりの場面だ。
 また旅の途中、ダンテは語る。
 「私がいかほど先生に恩を感じているか、私は生きている限り、世に語り世に示すつもりです」(同)と。
 師弟一体であってこそ、偉大な歴史を創ることができるのである。

冷戦の壁を越えたゴルバチョフソ連大統領とサッチャー英首相の出会い
合えば心は開かれる
大詩人ダンテ「命ある限り 師恩を語り抜く」

 「21世紀の道を歩むために」対話を
 一、東西の冷戦を終結させた立役者であるゴルバチョフソ連大統領とは、これまで9度にわたって語り合った。
 初めての会見は、1990年7月27日、モスクワのクレムリン
 世界的な作家のアイトマートフ氏など、各界の識者が同席されたことも、懐かしい思い出だ。
 〈アイトマートフ氏は今月10日に死去。名誉会長は弔電を送り、心からの哀悼の意を表した〉
 ご存じのように、ゴルバチョフ大統領とは、すでに12年前に、1冊目の対談集『二十世紀の精神の教訓』を発刊した。世界でも10言語で出版され、幸い、大きな反響が広がっている。
 それに続いて大統領から、「ぜひ、池田会長と新しい対談集を」との要請をいただいた。
 タイトルも、大統領の提案で、『二十一世紀の道を歩みゆくために(仮称)』として、現在、準備を進めている。
 〈大統領は、先日もインタビューに答え、情熱を込めて語っている。
 「池田会長は、哲学者であり、文学者であり、大組織の指導者であり、教育者であり、人間主義者です。そして、世界中の多くの人々が信奉する仏教の代表者であることを、私は重要視しております。これほどに希有な方は、との世に二人といないと感じております」と〉
 一、ゴルバチョフ大統領は、私と共通の友人である、イギリスのサッチャー元首相との思い出を語ってくださった。
 〈名誉会長とサッチャー首相はこれまで2度、会談している〉
 それは、大統領が1984年の暮れ、ソ連の代表団の団長として、イギリスを訪れ、初めてサッチャー首相と会った時のことである。
 二人は、会談の前の昼食会で、激しい議論からけんかを始めてしまい、お互いにそっぽを向いてしまった。
 "このままでは、会談は、初めから大失敗となってしまう"──同席者は皆、心配した。
 その時、聡明なライサ夫人が、かたわらで、大統領の心を落ち着かせてくれたという。
 やはり、女性の存在は大きい。女性の意見を大切にできない男性に、大事業は成せない。
 そこで、大統領は、少し間をおいて、サッチャー首相に、こう語りかけた。
 ──首相は、信念を持った方ですね。あなたの隣にいる人間(私)も同じです。
 しかし私は、あなたを共産党に入党させよ、というような指示は、(ソ連の)政治局から受けておりません!(どうぞ、ご安心ください)──と。
 この当意即妙のユーモアで、サッチャー首相は大笑いし、皆も笑い出した。
 それで雰囲気が和らぎ、その後、3時間にわたって、核軍縮の問題などをめぐり、実りある会談を行うことができた、というのである。
 そしてサッチャー首相は、大統領のことを「一緒に仕事ができる」と信頼するに至ったのだ。

 「何でも率直に語り合いましょう」
 一、私は、ゴルバチョフ大統領と初めての会談の折、開口一番、こう切り出した。
 「きょうは、大統領と"けんか"をしに来ました!
 火花を散らしながら、何でも率直に語り合いましょう。人類のため、日ソのために!」
 "けんか"と聞いて、通訳も驚いた(笑い)。
 しかし、私の思いは、しっかりと伝わった。
 大統領は、「私も率直な対話が好きです」と満面の笑顔で応えてくださった。さまざまな課題をめぐって、対話がはずんだ。
 そして、私との会見の席上、ゴルバチョフ大統領は、ソ連の最高指導者として初となる訪日を、翌春に実現すると明言したのである(大拍手)。
 〈名誉会長と会う2日前、大統領は日本の議員団と会見。しかし、交渉は行き詰まり、大統領は訪日の再考まで口にした。非常に厳しい状況の中で行われた名誉会長との会見は、各界の注目を集めていた〉
 このように私は、一民間人として、世界の指導者とお会いし、誠実に対話を重ねてきた。
 アメリカとの間で緊張が高まっていたキューバを訪れた。
 ソ連と中国の橋渡し役にもなった。
 "世界が、よりよくなればいい"──ただそれだけを願い、平和への急所を見つめて、行動してきたつもりである。
 今、創価の対話は、人類の希望と輝いているのである(大拍手)。
 〈ゴルバチョフ大統領は語っている。
 「池田会長は、民間外交の第一人者です。それゆえ、私たちも、すぐに信頼関係を築き、心を開いて対話することができました。すくに、分かり合えることができたのです。池田会長は、開かれた対話の精神を持たれ、その貢献には、絶大なるものがあります」〉

平和の種を!友情の花を! 地域から世界を変えていけ

各部合同協議会での名誉会長のスピーチ 下-2に続く

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