秋期彼岸勤行法要での名誉会長のスピーチ 中 2008年9月28日付 聖教新聞
2008年9月28日付 聖教新聞
秋期彼岸勤行法要での名誉会長のスピーチ 中
最後の最後まで立ち止まるな! 師弟の道が勝利の道
強盛に祈りが「不可能を可能に」
さあ勇気を出せ
「きょうの法要の会場は「師弟会館」と名づけられている。
師弟の精神が輝く、厳粛な信心の道場である。
ご存じの通り、西洋哲学の偉大な源流となったのは、古代ギリシャの哲学者ソクラテスとプラトンの師弟である。
それに続く時代、アテネには、多くの市民から尊敬され、哲学の興隆をもたらしたゼノン(=キプロスのゼノン、紀元前335頃~263頃)とその弟子たちがいた。
その教えが、後に、あのローマ帝国の指導者や知識人に大きな影響を与えたことは有名である。気骨ある生き方を伝える、多くの逸話がある。
ある時、哲人ゼノンは、友人から偽りの証言をするよう頼まれて逃げているという青年を、厳しく戒めた。
「その男は不当で不正なことを君にしながら、恐れもせず恥ずかしがってもいないのだ。それなのに君は、正義のためにその男に逆らう勇気もないのか」(プルタルコス著、田中龍山訳『モラリア7』京都大学学術出版会)
黙っていてはならない。気弱になってはいけない。
悪に対しては、正義の声を上げる。断固として抗い、戦い、打ち破っていく。これが本当の青年である。
また、「どのようにしたら青年が一番誤りを避けることができるか」──この点を尋ねられたゼノンは、「一番尊敬し、畏れている人が目の前にいるなら」誤ることはないと語った(中川純男訳『初期ストア派断片架1』京都大学学術出版会)。
師匠という"人生の座標軸"を持った人は強い。最高に価値ある青春を生き、正しい人生を歩みゆくことができるのである。
さらに、ゼノンは語っていた。
「自惚れほど具合いの悪いものはないね、とくに若者たちの場合にはなおさらに」(ディオゲネス・ラエルティオス著、加来彰俊訳『ギリシア哲学者列伝』岩波文庫)
うぬぼれや慢心から堕落が始まる。
「自分はまだまだ、これからだ!」「もっともっと高みを目指すんだ!」──青年は、そういう向上と挑戦の心を持って、前進を続けてほしい。
若き日に、どれだけ自分を鍛え抜けるか。強い自分をつくれるか。それが一生の土台となるからだ。
求めて訓練を
一、ゼノンは、時に応じ、人に応じて、相手の心に入る言葉をかけていった。あえて厳しい表現で、自省を促すこともあった。
師が弟子を叱咤するのは、弟子を信頼し期待しているからにほかならない。
良き弟子は、その師の深き慈愛を噛みしめながら、薫陶を受けていくのだ。
一、戸田先生の訓練が、どれほど激しいものであつたか。私は、それを一身に受け切った。
要領のいい先輩の中には、私を「防波堤」として、すべて押しつけ、先生から叱られることを上手に避けている人もいた。
残念ながら、戸田先生から甘やかされた人間や、先生に気をつかわせた人間は、皆、正しき弟子の道をまっとうできなかった。
要領ではない。策でもない。
体当たりで、師匠の薫陶を受けていくことだ。どんな厳しい訓練も、求めて受けきっていくことだ。
それでこそ、鋼のような人格が鍛え上げられるのだ。
「すべて師匠から学んだことです」
一、私が2度、語り合ったインドのグジュラール元首相は、「独立の父」マハトマ・ガンジーを師匠と仰いでおられる。
元首相自身、10代のころからインドの独立運動に参加し、大学生の時には当局の弾圧を受けて獄中生活を経験されている。
1997年10月、インドの首相官邸でお会いした際、こう語っておられたことが忘れられない。
「私たちがやっていることは、すべてマハトマ・ガンジーから学んだことです」
師匠の教えを決して忘れない。わが生涯を、師の理想の実現に捧げる──その崇高なお心と行動に、私は深く感動した。
私もまた、戸田先生の後を継ぎ、師の心をわが心として、生き抜いてきた。すべてをなげうって、戦い抜いてきた。
御聖訓には「湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり」(御書1132ページ)と仰せである。
私はこの御文を命に刻み、強き祈りと行動で「不可能を可能」にしてきた。
行くところ、行くところで勝利の旗を打ち立ててきた。
現実に勝利の歴史を残せなければ、真実の仏法者とはいえない。本物の弟子ではない。
古代ギリシャの大詩人ホメロスが綴った叙事詩『イリアス』。
そのなかで、敵に囲まれた仲間の兵士たちに向かって、一人の勇者がこう叫ぶ場面がある。
「さあ、勇気を出せ」「戦うしか道はない。死にものぐるいで戦うのだ」(小野塚友吉訳『〔完訳〕イリアス』風濤社)
大事なのは「勇気」だ。
どんな劣勢をも、はね返してみせるとの「死にものぐるい」の強き一念だ。
皆さんもまた、わが舞台で、断じて「師弟の勝利」の証しを打ち立てていただきたい(大拍手)。
ギリシャの哲人は教える「労苦を惜しまぬ人」に栄冠
真の後継者とは
一、大哲学者ゼノンには、多くの優秀な弟子たちがいた。
そのなかで、真実の後継者となったのは、一体、だれであったか。
いわゆる「頭のいい」弟子であったのか。そうではなかった。
それは、「労苦をいとわない人」(前掲『初期ストア派断片集1』)と謳われ、愚直なまでに、師匠に仕えきった弟子クレアンテスであった。
クレアンテスについては、次のように記録されている。
「彼はぜノンの門に入ってからは、まことに健気な心がけで哲学に励み、最後まで同じ教義を守りつづけた。彼は労を惜しまぬことで人びとの評判になっていた」(前掲『ギリシア哲学者列伝』)
彼は貧しかった。悠々と哲学を探究できる境遇ではなかった。
地味な仕事をして生活の糧を得ながら、向学の心を燃え上がらせて、師を求め、師から学んだ。
ある時、マケドニアの王が、クレアンテスに対して、なぜ水汲みの仕事をしているのかと聞いた。
彼は答えた。
「ただ水を汲んでいるだけでしょうか」「庭に水をまくのも、その他すべてのことも、これひとえに哲学のためにしていることではないでしょうか」(同)
またある時、マケドニアの王が、クレアンテスに聞いた。
「まだ麦を挽いているのか」
彼は胸を張って答えた。
「挽いていますとも、王様。ゼノンからも哲学からも離れないために」(前掲『初期ストア派断片集1』)
彼にとっては、すべてが哲学を学ぶための道であった。
師ゼノンもまた、こうした仕事を通して弟子を訓練していたのである。
派手な活躍にだけ目を奮われ、地道な努力を忘れては、本当の「人間」はできない。
だれも見ていないところで、コツコツと頑張れるか。そこに、その人の真価が現れるのである。
一、じつは、当初、この弟子クレアンテスは進歩が遅く、他の弟子たちからも馬鹿にされたという。
しかし、彼は、自分を「口の小さな器」や「青銅の記録板」になぞらえた。
口の狭い器は、水を入れにくいが、ひとたび入れると、水をよく保存する。
青銅の記録板は、文字を書くのに手間がかかるが、ひとたび記録すれば消えにくい。
教えを受け取るのに時間がかかるが、受け取った教えは、しっかり保っている──そのように語っていたのである(同)。
大切なのは、前進を続けることだ。立ち止まらないことだ。
「良くなっていくのは少しずつであるが、しかし、その『少しずつ』は決して小さなことではないのだ」(前掲『ギリシア哲学者列伝』)
これはゼノンの言葉ともされる。
一歩一歩を踏みしめながら、自分らしく進んでいくことだ。
気弱になるな!うぬぼれを捨てよ!
一歩一歩 胸張り進め
師の行動を継承
一、クレアンテスは、同門の人から、鈍い点を「ロバ」と呼ばれて嘲笑されても、だからこそ、ロバのように「自分だけがひとりゼノンの荷物を運ぶことができるのだ」と語っていた(同)。
弟子クレアンテスは、だれが何と言おうと、どのような境遇になろうと、師匠に学び、師匠に仕えることを喜びとし、誉れとしていたのである。
紙が買えなかった彼は、陶器の破片などに師匠の教えを書き残したという。そして「彼はそのような人間だったので、ゼノンには他にも数多くの著明な弟子たちがいたけれども、彼がその学派を継承することになったのである」(同)。
だれよりも、師匠の教えを守り、広めゆかんとする心が、彼を後継者にした。
彼は師匠の教えを聞いただけではない。その通りに実践した。生き方を、まっすぐに継承していった。ゆえに「第二のゼノン」(前掲『初期ストア派断片集1』)となったのである。
この不二の弟子クレアンテスは、優れた著作の数々を残したと伝えられる。
彼の生き方は、師弟において何が大切かを教えてくれている。
いわんや、仏法の「師弟」の世界は峻厳である。世間的な肩書や学歴などは関係ない。大事なのは「心」だ。「行動」だ。
いざという時に、師匠にまっすぐに仕えた人、身をもって仏法を学び、一生涯、正義を貫き通す人が、偉大なのだ。その人こそが、真実の弟子なのである。 (下に続く)
秋期彼岸勤行法要での名誉会長のスピーチ 中〔完〕
秋期彼岸勤行法要での名誉会長のスピーチ 中
最後の最後まで立ち止まるな! 師弟の道が勝利の道
強盛に祈りが「不可能を可能に」
さあ勇気を出せ
「きょうの法要の会場は「師弟会館」と名づけられている。
師弟の精神が輝く、厳粛な信心の道場である。
ご存じの通り、西洋哲学の偉大な源流となったのは、古代ギリシャの哲学者ソクラテスとプラトンの師弟である。
それに続く時代、アテネには、多くの市民から尊敬され、哲学の興隆をもたらしたゼノン(=キプロスのゼノン、紀元前335頃~263頃)とその弟子たちがいた。
その教えが、後に、あのローマ帝国の指導者や知識人に大きな影響を与えたことは有名である。気骨ある生き方を伝える、多くの逸話がある。
ある時、哲人ゼノンは、友人から偽りの証言をするよう頼まれて逃げているという青年を、厳しく戒めた。
「その男は不当で不正なことを君にしながら、恐れもせず恥ずかしがってもいないのだ。それなのに君は、正義のためにその男に逆らう勇気もないのか」(プルタルコス著、田中龍山訳『モラリア7』京都大学学術出版会)
黙っていてはならない。気弱になってはいけない。
悪に対しては、正義の声を上げる。断固として抗い、戦い、打ち破っていく。これが本当の青年である。
また、「どのようにしたら青年が一番誤りを避けることができるか」──この点を尋ねられたゼノンは、「一番尊敬し、畏れている人が目の前にいるなら」誤ることはないと語った(中川純男訳『初期ストア派断片架1』京都大学学術出版会)。
師匠という"人生の座標軸"を持った人は強い。最高に価値ある青春を生き、正しい人生を歩みゆくことができるのである。
さらに、ゼノンは語っていた。
「自惚れほど具合いの悪いものはないね、とくに若者たちの場合にはなおさらに」(ディオゲネス・ラエルティオス著、加来彰俊訳『ギリシア哲学者列伝』岩波文庫)
うぬぼれや慢心から堕落が始まる。
「自分はまだまだ、これからだ!」「もっともっと高みを目指すんだ!」──青年は、そういう向上と挑戦の心を持って、前進を続けてほしい。
若き日に、どれだけ自分を鍛え抜けるか。強い自分をつくれるか。それが一生の土台となるからだ。
求めて訓練を
一、ゼノンは、時に応じ、人に応じて、相手の心に入る言葉をかけていった。あえて厳しい表現で、自省を促すこともあった。
師が弟子を叱咤するのは、弟子を信頼し期待しているからにほかならない。
良き弟子は、その師の深き慈愛を噛みしめながら、薫陶を受けていくのだ。
一、戸田先生の訓練が、どれほど激しいものであつたか。私は、それを一身に受け切った。
要領のいい先輩の中には、私を「防波堤」として、すべて押しつけ、先生から叱られることを上手に避けている人もいた。
残念ながら、戸田先生から甘やかされた人間や、先生に気をつかわせた人間は、皆、正しき弟子の道をまっとうできなかった。
要領ではない。策でもない。
体当たりで、師匠の薫陶を受けていくことだ。どんな厳しい訓練も、求めて受けきっていくことだ。
それでこそ、鋼のような人格が鍛え上げられるのだ。
「すべて師匠から学んだことです」
一、私が2度、語り合ったインドのグジュラール元首相は、「独立の父」マハトマ・ガンジーを師匠と仰いでおられる。
元首相自身、10代のころからインドの独立運動に参加し、大学生の時には当局の弾圧を受けて獄中生活を経験されている。
1997年10月、インドの首相官邸でお会いした際、こう語っておられたことが忘れられない。
「私たちがやっていることは、すべてマハトマ・ガンジーから学んだことです」
師匠の教えを決して忘れない。わが生涯を、師の理想の実現に捧げる──その崇高なお心と行動に、私は深く感動した。
私もまた、戸田先生の後を継ぎ、師の心をわが心として、生き抜いてきた。すべてをなげうって、戦い抜いてきた。
御聖訓には「湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり」(御書1132ページ)と仰せである。
私はこの御文を命に刻み、強き祈りと行動で「不可能を可能」にしてきた。
行くところ、行くところで勝利の旗を打ち立ててきた。
現実に勝利の歴史を残せなければ、真実の仏法者とはいえない。本物の弟子ではない。
古代ギリシャの大詩人ホメロスが綴った叙事詩『イリアス』。
そのなかで、敵に囲まれた仲間の兵士たちに向かって、一人の勇者がこう叫ぶ場面がある。
「さあ、勇気を出せ」「戦うしか道はない。死にものぐるいで戦うのだ」(小野塚友吉訳『〔完訳〕イリアス』風濤社)
大事なのは「勇気」だ。
どんな劣勢をも、はね返してみせるとの「死にものぐるい」の強き一念だ。
皆さんもまた、わが舞台で、断じて「師弟の勝利」の証しを打ち立てていただきたい(大拍手)。
ギリシャの哲人は教える「労苦を惜しまぬ人」に栄冠
真の後継者とは
一、大哲学者ゼノンには、多くの優秀な弟子たちがいた。
そのなかで、真実の後継者となったのは、一体、だれであったか。
いわゆる「頭のいい」弟子であったのか。そうではなかった。
それは、「労苦をいとわない人」(前掲『初期ストア派断片集1』)と謳われ、愚直なまでに、師匠に仕えきった弟子クレアンテスであった。
クレアンテスについては、次のように記録されている。
「彼はぜノンの門に入ってからは、まことに健気な心がけで哲学に励み、最後まで同じ教義を守りつづけた。彼は労を惜しまぬことで人びとの評判になっていた」(前掲『ギリシア哲学者列伝』)
彼は貧しかった。悠々と哲学を探究できる境遇ではなかった。
地味な仕事をして生活の糧を得ながら、向学の心を燃え上がらせて、師を求め、師から学んだ。
ある時、マケドニアの王が、クレアンテスに対して、なぜ水汲みの仕事をしているのかと聞いた。
彼は答えた。
「ただ水を汲んでいるだけでしょうか」「庭に水をまくのも、その他すべてのことも、これひとえに哲学のためにしていることではないでしょうか」(同)
またある時、マケドニアの王が、クレアンテスに聞いた。
「まだ麦を挽いているのか」
彼は胸を張って答えた。
「挽いていますとも、王様。ゼノンからも哲学からも離れないために」(前掲『初期ストア派断片集1』)
彼にとっては、すべてが哲学を学ぶための道であった。
師ゼノンもまた、こうした仕事を通して弟子を訓練していたのである。
派手な活躍にだけ目を奮われ、地道な努力を忘れては、本当の「人間」はできない。
だれも見ていないところで、コツコツと頑張れるか。そこに、その人の真価が現れるのである。
一、じつは、当初、この弟子クレアンテスは進歩が遅く、他の弟子たちからも馬鹿にされたという。
しかし、彼は、自分を「口の小さな器」や「青銅の記録板」になぞらえた。
口の狭い器は、水を入れにくいが、ひとたび入れると、水をよく保存する。
青銅の記録板は、文字を書くのに手間がかかるが、ひとたび記録すれば消えにくい。
教えを受け取るのに時間がかかるが、受け取った教えは、しっかり保っている──そのように語っていたのである(同)。
大切なのは、前進を続けることだ。立ち止まらないことだ。
「良くなっていくのは少しずつであるが、しかし、その『少しずつ』は決して小さなことではないのだ」(前掲『ギリシア哲学者列伝』)
これはゼノンの言葉ともされる。
一歩一歩を踏みしめながら、自分らしく進んでいくことだ。
気弱になるな!うぬぼれを捨てよ!
一歩一歩 胸張り進め
師の行動を継承
一、クレアンテスは、同門の人から、鈍い点を「ロバ」と呼ばれて嘲笑されても、だからこそ、ロバのように「自分だけがひとりゼノンの荷物を運ぶことができるのだ」と語っていた(同)。
弟子クレアンテスは、だれが何と言おうと、どのような境遇になろうと、師匠に学び、師匠に仕えることを喜びとし、誉れとしていたのである。
紙が買えなかった彼は、陶器の破片などに師匠の教えを書き残したという。そして「彼はそのような人間だったので、ゼノンには他にも数多くの著明な弟子たちがいたけれども、彼がその学派を継承することになったのである」(同)。
だれよりも、師匠の教えを守り、広めゆかんとする心が、彼を後継者にした。
彼は師匠の教えを聞いただけではない。その通りに実践した。生き方を、まっすぐに継承していった。ゆえに「第二のゼノン」(前掲『初期ストア派断片集1』)となったのである。
この不二の弟子クレアンテスは、優れた著作の数々を残したと伝えられる。
彼の生き方は、師弟において何が大切かを教えてくれている。
いわんや、仏法の「師弟」の世界は峻厳である。世間的な肩書や学歴などは関係ない。大事なのは「心」だ。「行動」だ。
いざという時に、師匠にまっすぐに仕えた人、身をもって仏法を学び、一生涯、正義を貫き通す人が、偉大なのだ。その人こそが、真実の弟子なのである。 (下に続く)
秋期彼岸勤行法要での名誉会長のスピーチ 中〔完〕