大白蓮華 2010年12月号 巻頭言

「心の財」第一なり
創価学会名誉会長  池田 大作

 晴れ晴れと
  いかなる苦難も
      乗り越えて
  大信心の
     力ためせや

 六十年前の師走、二十二歳の私は、北風に向かって突進(とっしん)していた。
 経済不況の中、恩師・戸田城聖先生の事業は最悪の窮地(きゅうち)にあった。
 多事多難(たじたなん)。頼(たよ)れる味方もいない。
 しかし「心こそ大切なれ」(御書P1192)だ。私には「師弟の心」がある。「広宣流布の信心」がある。これこそ無上の力ではないか。

 私は阿修羅(あしゅら)の如く戦い、先生が第二代会長として大法弘通の指揮を自在(じざい)に執りゆかれる道を開いた。
 今も、年の瀬(せ)に悪戦苦闘(あくせんくとう)される友へ、私は我が事と思い、妻と懸命(けんめい)に題目を送り続けている。
 「どんな運命よりももっと強力なものは心」と、永遠の都ローマの哲人セネカは宣言した。その通りだ。
 人生は誰人たりとも、運命の試練との闘争(とうそう)である。勝つか負けるか。勝負は「心」で決まる。絶対に勝つための心が「信心」である。
 「心こそ大切なれ」の「心」とは、まさに「信心の心」に他ならない。

 日蓮大聖人は「各各(おのおの)師子王(ししおう)の心を取(と)り出して」(御書P1190)と仰せになられた。なぜ「師子王」に譬(たと)えられたのか。「師子王は百獣(ひゃくじゅう)にをぢず」(同ページ)である。
 周りが全部敵であろうが、恐れなく戦い抜く。その最強無敵の勇気を教えてくださっていると拝されてならない。

 蓮祖は、家族の病(やまい)と闘(たたか)う門下へ「此(こ)の経の信心を致(いた)し給(たま)い候はば現当(げんとう)の所願満足(しょがんまんぞく) 有(あ)る可(べ)く候(そうろう)」(御書P1242)と仰(おお)せられ、法華経の「魔(ま)及(およ)び魔民(まみん)有(あ)りと雖(いえど)も皆(みな) 仏法を護(まも)る」「病(やまい)即(そく)消滅(しょうめつ)して不老不死(ふろうふし)ならん」との経文を引かれている。
 信心で乗り越えられない現実も、変えられない未来も断じてない。
 仏法の透徹(とうてつ)した眼(まなこ)から見れば、打ち続く苦難にも一つ一つ深い意味がある。 大変な時にこそ、無量の「心の財(たから)」を積むことができる。一家眷属(いっかけんぞく)が団結して福運を開き、勝ち栄えゆくために、今世の試練(しれん)があるのだ。

 「蔵(くら)の財(たから)」も「身(み)の財(たから)」も大事である。しかし、最後の最後まで勝ち切る力、そして、人生の総仕上げを飾り、未来永遠に常楽我浄(じょうらくがじょう)の生命の旅を続けゆく力は、「心の財(たから)」しかない。すなわち、信心強き人こそ、最も富める「心の長者(ちょうじゃ)」なのだ。

 忘れ得ぬ奈良広布の母は、病弱な夫を抱え関西を走った。家の塀(へい)一面にペンキで悪口を書き立てられたこともある。母は胸を張(は)った。
「中傷(ちゅうしょう)は誇(ほこ)りや。世界最高の妙法と師匠と学会を知った嬉(うれ)しさ! 負けたら信心の実証(じっしょう)は示せない。絶対、負けへん。すべてに逆転勝利しました」
 後輩を慈しむ、九十七歳の錦宝(きんぽう)の母の心は、今も荘厳(そうごん)な太陽と燃える。
 「心の財第一」(御書P1173)の創価の母たちには、いかなる魔軍(まぐん)も敵わない。
 邪宗門(じゃしゅうもん)と戦ったスペインでも、この二十年で三十五倍の躍進を遂げ、社会に深い信頼を広げている。
 恩師は叫ばれた。
 「絶望から立ち上がり、自分も戦い、人をも救う。これほどすごい人生が、一体、どこにあるか! 一人一人の信心の勝利が、広宣流布を大回転させるのだ」と。
 我らには信心がある。「信心強き」が「仏界」である。自らの信心の躍進から、新たな一年を出発だ!

 悠然と
  創価の魂
    忘れるな
   勝ち抜け生き抜け
       勝利の長者と
大白蓮華 2010年 12月号)