みんなで学ぶ教学〈特別編〉 勤行・唱題 下

みんなで学ぶ教学〈特別編〉 勤行・唱題 下
  

 一遍の題目にも無量の功徳が

日夜朝暮に怠らず磨き続ける

 私たちは勤行・唱題に、どのような姿勢で取り組めばよいのでしょうか。この点について、確認していきましょう。

 戸田城聖第2代会長は、このように語っています。
 「御本尊の前で勤行するときは、日蓮大聖人の御前にいると同じことなのです。かりにも、だらしのない態度であってはならん。居睡(いねむ)りしたり、欠伸(あくび)をしたりするような勤行では決してなりません」

 勤行は日々の信仰実践のなかにおける、最も厳粛(げんしゅく)な儀式です。過剰に緊張する必要はありませんが、真剣な姿勢で祈ることが大切です。

 そのうえで、「苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給(たま)へ」(御書1143ページ)とあるように、苦しければ苦しいままに、うれしければうれしいと、素直な心で御本尊に向かっていけばいいのです。
   そして、根本にすべきは、何があっても、まず”御本尊に向かおう″という一念です。

 日蓮大聖人は、私たちの生命の状態を鏡に誓えて、「深く信心を起こして、日夜朝暮(にちやちょうぽ)に怠(おこた)ることなく磨(みが)いていきなさい。
では、どのようにして磨くのか。ただ南無妙法蓮華経と唱えること、これが磨くということである」(384ページ)と仰せです。


一念を定め 生命を鍛える実践

池田名誉会長の指針から


 異体同心は、いわば「法華経の兵法」の究極であると言えます。「法華経の兵法」とは、要するに「祈り」です。なかんずく、異体同心とは、「心を一つにして祈る」ことにほかなりません。
 異体同心の祈りがなければ、どんな策や方法論を立てても、広宣流布は進まない。
根本の異体同心の強き祈りがあれば、そこには大きな勢いが生まれ、かりに異体異心の者が出たとしても、悠々と吹き飛ばして前進していくことができます。
(『生死一大事血脈抄講義』第8回)

◆ ◇ ◆

 大事なポイントは、「具体的に祈る」ということだ。
 御聖訓には、「大地はささばはづるるとも」 「法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず」 (徽章1351、1352ページ)とまで断言なされている。
 それゆえに、漠然(ばくぜん)とした曖味(あいまい)な祈りではなく、「的(まと)」を明確に定めることだ。つまり「必ず」と腹を決めた誓願(せいがん)である。 そこに牧口先生が、常に言われていた「百発百中」の実証も現れるのだ。
(201O年3月19日付、「随筆 我らの勝利の大道」11)

◆ ◇ ◆

 唱題は、わが生命を大宇宙の根源の法則に合致させ、「本有常住(ほんぬじょうじゅう)の仏界」を開き、あらわしていく、最も崇高な儀式である。
 白馬が大草原を駆けゆくがごとく清々しく、爽やかな音律でありたい。
(2005年7月19日付、各部会同協議会)

◆ ◇ ◆
   
 妙法の功力の基本は「冥益(みょうやく)」。である。祈った願いは、たとえ、すぐには目に見えなくても、必ず結果が顕(あらわ)れてくる。
 地下水も、いつか地表に出る。植えられた種子は、春の”時″を待って、花を咲かせる。大樹も育つには一定の時闇がかかる。仏法は道理である。
 ゆえに「持続」が大切である。一時的に、燃え上がるような信心、修行を狂信的に行ったとしても、「持続」しなければ、真の功徳は味わえない。

 かりに、どうしても勤行できない時があったとしても、それをいたずらに気にかける必要はない。
 「信心」の心があれば、それだけで福運は消えない。一遍の唱題にも、大功徳がある。大事なのは生涯にわたる粘り強い仏道修行である。
(『池田大作全集』第78巻、第1回日米交流研修会)

(2014年3月30日付 聖教新聞