希望の虹 世界の偉人を語る

 
【第1回】 喜劇王チャップリン   (2014.4.1)
お母さんを心にもつ人は強い 虹は、天からのおくりものです。
 雨がふった後、空に、赤・だいたい・黄・緑・青・あい・むらさきの7色のきれいな光をはなちながら、大きな橋のようにかかります。
 はじめて見た時は、みなさんもおどろいたり、わくわくしたことでしょう。
 私も、世界のあの地この地で、友と虹を見た思い出があります。
 私が世界で最初に訪れたアメリカのハワイは、虹がよく見られる島です。ここには、「雨がふるから虹も出る」という、ことわざもあります。いいことは、困難を乗り越えてこそ、やってくるという意味です。
 虹は「希望」です。雨にも嵐にも負けない希望です。
 世界の偉人たちは、困難の嵐を乗り越えて、使命の大空に「希望の虹」をかけてきました。これから、みなさんといっしよに学んでいきましょう。
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 昨年の5月、イギリスから、一通の手紙をいただきました。送り主は、女優のキエラ・チャップリンさん。「喜劇の王様」とよばれた、チャーリー・チャップリンのお孫さんです。
 みなさんは、チャップリンは、どんな人か知っていますか?
 チョビひげに、てっぺんが丸い黒ぼうし、だぶだぶのズボンに、ぶかっこうなくつをはいて、ステッキをふりながら歩く。きどらない、ほほえましい紳士の姿で、世界中の人たちに笑いと感動を届けた、20世紀の名優です。
 作った映画の数は、80本をこえます。今年は、チャップリンが映画デビューしてから100周年になります。
 私も大ファンです。人間を愛し、勇敢に信念をつらぬいて生きたチャップリンのことを、折々に、世界の友に語ってきました。
 お孫さんも、そのことを「祖父が知れば、とても誇りに思うと確信します」と喜んでくれました。
 じつは、私たちの少年部歌のタイトル「Be Brave!」(勇気を出して!)」は、チャップリンの「街の灯」という映画にでてくる、はげましの言葉でもあります。
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 チャーリー・チャップリンは、1889年4月16日、イギリスの首都ロンドンで生まれました。
 お父さんのチャールズと、お母さんのハナは、二人とも歌が上手で、劇場の舞台に出ていました。お金持ちとはいえませんでしたが、4歳年上の兄シドニーと家族4人で楽しく暮らしていました。
 しかし、お父さんはお酒ばかり飲んで、そのうち家を出て行ってしまい、お母さんが一人、働いて兄弟を育てました。その無理が、体をいためつけたのでしょう。
 チャップリンが5歳になった時のことです。お母さんは舞台で歌を歌っていると、とつぜん声が出なくなってしまいました。
 お客さんがおこって、大さわぎになりました。こまりはてた劇場の支配人は、かわりに息子を出してはどうか、と言ったのです。
 お母さんのためならばと、チャップリンは勇気を出して、舞台に立ち、歌を歌いました。そのかわいらしさにお客さんは、大喜び。これが彼の初舞台になりました。
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 お母さんの声は元に戻らず、歌の仕事がなくなって、生活はどんどん苦しくなりました。
 しかし、どんなにびんぼうでも、お母さんは明るく、やさしかった。服を作ってくれた。子どもの前で、おどったり、身ぶり手ぶりのパントマイムやおしばいも見せてくれました。
 それが、のちに、チャップリンが俳優になって、かつやくするための、大きな力になったのです。
 どこの家でも、お母さんは太陽です。わが家も、私が小学2年生の時、父が病気でたおれ、生活が大変になりました。けれども、母は「うちは、びんぼうのよこづなだよ」と朗らかに笑っていました。その声が、家族を明るく勇気づけてくれたのです。
 チャップリンのお母さんは、その後、重い病気になって入院してしまいました。彼はお兄さんと、まずしい子どものためのしせつへ入り、11歳のころから、印刷工場で働くなど、いろんな仕事をしなければなりませんでした。
 でも、チャップリンは負けなかった。どんな大変な時も、自分は世界一の俳優になるんだという夢をあきらめず、努力をかさねた。その負けない心の中には、あざやかな「希望の虹」がかがやいていたのです。
 やがて舞台に出るようになったチャップリンは、才能がみとめられ、アメリカに渡り、映画俳優となって大成功をおさめました。
 しかし、どんなに有名になっても、チャップリンはお母さんへの感謝を忘れませんでした。
 「わたしがこの世界でまがりなりにも成功できたとすれば、それはすべて母のおかげです」と。
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 やがて、ドイツではヒトラーという人物が、大げさな演説で人気を得て、権力をうばい取りました。そのころは世界中で景気が悪くなり、仕事のない人もあふれていて、人々の不安につけこんでいったのです。
 しかし、チャップリンは、ヒトラーのインチキを見やぶり、戦争を起こすのではないかと感じていました。
 みんなを目覚めさせなければI-彼は正義の行動を決意します。
 1939年の9月1日、ヒトラーは強力な軍隊で領土を広げ、第2次世界大戦が始まりました。
 当時、私は11歳。今の皆さんと同じ年代でした。
 ヒトラーが起こした戦争は、あっという間にヨーロッパ中に広がり、たくさんの命がうばわれました。
 チャップリンは、映画を武器に平和への戦いを開始しました。
 この映画「独裁者」で、チャップリンヒトラーと同じチョビひげ姿で登場します。そして最後にヒトラーとはまったくちがう誠実な言葉で、独裁者の言いなりになってはいけない!と演説をするのです。
 「絶望してはいけません」
 「あなた方は、人生を自由で、美しくまたすばらしい冒険にあふれたものにする力を持っています。ですから、民主主義の名の元にみんなの力を集め、ひとつの世界を作ろうではありませんか」
 そして、この大演説は、一人の女性に呼びかけて終わります。
 「人間の魂には翼を与えられていたけれども、いまやっとはじめて空を舞いはじめた。にじの中へ、光の中へと」
 「ハナ! 顔を上げて!」
 そうです。10年前に亡くなったお母さんの「ハナ」という名を、映画のヒロインにつけたのです。
 「お母さん」を心にもっている人は強い。負けない。「お母さんのために」とがんばれば、必ず正しい道、勝利の道を進んでいけます。
 どうか、みんなも、お母さんを大切に、お父さんも大切にして、親孝行していってください。
 そして、勉強やスポーツ、自分の目標に挑戦して、自分らしく「希望の虹」をかけていってください。
 その虹が21世紀の大空にかかるのを楽しみにしています。
 私にとって、一番の「希望の虹」は、少年少女部のみなさんです。
 来月また、語り合いましょう!