随筆 民衆凱歌の大行進 No.12 (2014.9.23付)

「行学の二道」を励みゆけ
「御書」を拝し「境涯」を開こう!
苦難は誉れ 透徹した信心の眼《まなこ》を磨け
教学試験を通し自他共に大成長を!
 この生命
  御書と共に
    勝ち開け
  変毒為薬の
   宝剣かかげて
 若き日、師・戸田城聖先生と湘南電車(東海道本線)に乗っていた時のことである。車中でも、先生は御書の講義をしてくださっていた。
 ちょうど車窓から太平洋の眺望が開けた。
 先生は「あの太平洋のような大境涯の信心で、この御書を拝することだ。そうでなければ、凡夫が御本仏のお心に近づくことはできないのだ」と語られた。
 「御書」を開くことは「境涯」を開くことだ。御書を拝して、広大無辺なる御本仏のお心に迫り、自らの小さな殻を打ち破る戦いをするのだ。
 先日、新時代の第1回を飾る全国男子部幹部会が、四国で開催された。
 四国では、婦人部と女子部一体のサンフラワー大会も行われている。
 四国出身の哲人・中江兆民は、「哲学なき人民は、なにをしても深い意味がなく、浅薄さをまぬがれない」と叫んだ。
 生命尊厳の大哲学を掲げた地涌の友の総決起を、“志国《しこく》”の先哲たちも、さぞかし喜ぶことであろうと、私は確信する。
        ◇
 大聖人は仰せである。
 「日蓮は日本国のはしら(柱)なり」(御書312㌻)、また「日蓮は一閻浮提第一の聖人なり」(同974㌻)と。
 人びとを不幸に陥れる思想の乱れを正し、人類を救済しゆく世界の柱。その確信と情熱が、御書には満ち溢れている。
 困難に打ち勝つ哲学!
 人生を生き抜く智慧
 正と邪を見抜く英知!
 人類を結びゆく熱願!
 新時代を照らす希望!
 御書を学ぶことは、大聖人の大精神を、わが生命に響かせゆくことだ。
 今月28日には「教学部初級試験・青年部教学試験3級」が行われる。また11月には「教学部任用試験」が予定されている。
 受験者の皆さんにとって、忙しい中、試練の挑戦であろう。しかし、だからこそ、その求道の功徳は、どれほど大きいことか。
 大聖人は、法華経について質問された女性門下を、「御尋ね候事ありがたき大善根にて候」(同1402㌻)と、最大に讃嘆されている。
 温かく教え、励まし、共に研鑽される先輩方にも感謝したい。その労苦は、三世に崩れざる「心の財」を積む栄光の汗となる。
 役員に当たってくださる皆さんも、お世話になりますが、一切無事故の運営を、どうか、よろしくお願いします。
如説修行の師弟
 大聖人が「竜の口の法難」に遭われ、発迹顕本なされた天地・神奈川の鎌倉に立つSGI(創価学会インタナショナル)教学会館は、今年で開館15周年を迎えた。
 海外からも多くのメンバーがこの会館を訪れ、地元の同志が温かく歓迎してくださっている。
 大聖人は法難を振り返り、述べておられる。
 「仏になる道は必ず身命をすつるほどの事ありてこそ仏にはなり候らめ」(同891㌻)
 命にも及ぶほどの大難と戦い、断固と打ち勝ってこそ、仏の境涯を開くことができる、と。
 横暴な軍部政府の弾圧によって投獄された初代会長・牧口常三郎先生は、法華経を如説修行された大聖人の仰せを、身をもって読まれた。
 本年11月には、牧口先生の殉教から70年の節目を迎える。
 獄中からご家族にあてた手紙に、こうある。
 「ただ経文を以て信仰して居るので安心してゐる」「何の不安もない。必ず『変毒為薬(毒を変じて薬と為す)』となると存じます」、さらに「三障四魔ガ紛起スルノハ当然デ、経文通リデス」と。
 ここには恐れや悲壮感など微塵もない。
 牧口先生と共に正義の獄中闘争を貫かれた戸田先生も、後に語られた。
 「法華経の意味をかすかながらも身読することができました。なんたるしあわせでございましょうか」
 御本仏の仰せの如く!
 御聖訓のままに!
 お二人の師弟の死身弘法の大闘争があったからこそ、大聖人の御精神は現代に蘇った。この創価の誉れの原点を、断じて忘れてはならない。
 御書を拝していけばいくほど、創価学会こそが大聖人直結の仏勅の団体であると、深く理解することができる。私たちにとっての不惜身命とは、この学会と共に、師弟の誓いを胸に、どこまでも生き抜くことだ。
「信」の一字で
 戸田先生は、御書を拝する姿勢について、「信の一字をもって、一切をつらぬいていることを、知らなくてはならない」と教えてくださった。
 そして「民衆救済の大確信と、燃ゆるがごとき大聖人の情熱が、その根底をなしていることを、読みとらなくては、また無意味になることを知らなくてはならない」と。
 絶対なる「信」をもって学ぶ。そして民衆救済の大確信のままに、自らも広宣流布に走る。
 この「信」と「行」をもって拝した時、「信心の火が、いやがうえにも、燃えあがる」とも、先生は言われていた。
 ここに、自らの絶望を希望に変え、宿命を使命に転じゆく光がある。
 大聖人は、千差万別の悩みに苦しむ門下それでれに渾身の激励を綴ってくださっている。
 だからこそ、御書を自らの身に当てて拝していきたい。大聖人から直接賜ったお手紙と捉え、実践していくのだ。
 ──あるシンガポールの壮年部員は、交通事故で下半身不随となった。その後も、結核、足の大やけど……次々と起こる宿命の嵐。打ちのめされそうな心を支えたのは、次の一節だったという。
 「必ず三障四魔と申す障《さわり》いできたれば賢者はよろこび愚者は退く」(同1091㌻)
 この難は、私の信心を試しているのだ! そう確信した創価の賢者は今、「自分の姿で仏法の力を証明する」との誇りに燃え、自他共の幸福の道を、雄々しく歩んでくれている。
 御書を心肝に染めた人は強い。その胸には嵐に揺るがぬ柱が立つ。いかなる障魔をも見破り、断ち切っていける。それが。真剣勝負の研鑽で磨いた信仰の利剣なのだ。
        ◇
 今月、新出発の“関西家族”が御聖訓を命に刻みながら、「折伏」「人材」そして「団結」を合言葉に、今再びの大前進を開始している。
 あの昭和31年の「大阪の戦い」の渦中、私は関西の友と、常に御書を拝して勝ち進んだ。
 「各各なにをか なげ(歎)かせ給うべき、迦葉尊者にあらずとも・まい(舞)をも・まいぬべし、舎利弗にあらねども・立ってをど(踊)りぬべし、上行菩薩の大地よりいで給いしには・をど(踊)りてこそい(出)で給いしか」(同1300㌻)
 ある時は、この「大悪大善御書」の一節を通し、同志に呼び掛けた。
 「不可能を可能にする戦いを信心で勝ち取り、世間をアッと言わせようではないか」
 「御書根本」とは、わが大関西に脈々と流れ通う「常勝の鉄則」である。
 大阪の激戦の中、一人の女子部の友に、「決して忘れてはいけないよ」と贈った御文がある。
 それは、「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然《じねん》に仏界にいたるべし」「つたな(拙)き者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし」(同234㌻)との「開目抄」の一節であった。
 「まことの信心」は、苦難の時に試される。
 「まことの師弟」は、一人の時に試される。
 その後、彼女は使命の宝土ブラジルヘ移り住んだ。婦人部のリーダーとして、この御文を抱きしめながら、生涯、戦い抜き、南米広布の盤石なる礎を築いてくれた。
 御書に照らし、妙法に生き抜き、結ばれた絆は三世永遠である。
 彼岸に当たり、亡くなられた全功労者の方々、また、わが同志の先祖代々の諸精霊の追善回向を、私は懇ろに行わせていただいている。
        ◇
 仏法研鑽の波は、世界に大きく広がっている。
 中南米は4月と8月、欧州は7月、北米・オセアニアは8月に教学研修会を開催。今月はSGI青年研修会のため、海外50カ国・地域から250人の若きリーダーが意気高く集った。
 さらにアジアの各国・各地域で教学の研修会が活発に行われ、アフリカ各地でも地道な教学運動が続けられている。
 また教学試験は、近年、世界の50前後の国々や地域で実施されている。男女青年部をはじめ皆、仏法の人間主義智慧を求めて真剣だ。
平和と幸福の道
 “宗教革命とは、人類の幸福への直道なり。
 そのためには、自らが、この大哲理をば実践し、会得しゆくことだ”
 私が若き日の日記に記した信条である。
 人類の平和と幸福の大道を開くため、「異体同心」の法理を学び、実践する創価世界市民は、時代の激流の中で、調和と共生の模範を地球社会に示しているのだ。
 この創価の大運動に、インド文化国際アカデミーのロケッシュ・チャンドラ理事長は、期待を寄せてくださった。
 人類が何千年もの間、抱き続けてきた夢──その夢の中から生まれ、今、聞こえてくる歌声。それが創価学会なのです」
 我らには、「慈悲と哲理」の地涌の誇りがある。
 さあ、御書を幡こう!
 君よ、貴女《あなた》よ、「行学の二道」を励みゆけ!
 今日も、共に最高峰の大哲学を学ぶ喜びに燃えて躍進だ! 「世界広布」即「人類平和」の偉大な夢に向かって!

 辛くとも
  今日も御書を
   拝しつつ
  誇りも高く
    笑顔で飾れや
 中江兆民の言葉は「一年有半」飛鳥井雅道訳(『日本の名著36 中江兆民』所収)中央公論社。牧口先生の獄中書簡は一部補足。