大白蓮華 2016年(平成28年)7月号(No.801)

「賢者はよろこび愚者は退く」
創価学会名誉会長  池田大作

 幸福は、いずこにあるか。いかにして勝ち開くか。
 大文豪トルストイは、一つの結論として語った。
 「幸福とは、人生における自分の使命を、喜んで果たしゆく中にある」と。
 財宝(ざいほう)でもなければ、名声(めいせい)でもない。安逸(あんいつ)でもない。
 むしろ、逆境(ぎゃっきょう)や誹膀(ひぼう)や艱難(かんなん)をも、勇(いさ)んで迎(むか)え撃(う)ちながら、使命を遂行(すいこう)していく。この戦い続ける命の燃焼(ねんしょう)にこそ、喜びがある。誇りがある。充実(じゅうじつ)がある。
 ここに、幸福の内実(ないじつ)があるのではないだろうか。

 争(あらそ)いが絶(た)えない、闘諍言訟(とうじょうごんしょう)という末法の悪世(あくせ)で、広言流布の大願を掲(かか)げ、「声仏事を為(な)す」と、信念の対話を繰(く)り広げゆく我が創価の友の顔を見よ!
 何と誉(ほま)れ高く、何と清々(すがすが)しい光を放っていることか。

 御本仏・日蓮大聖人は、竜の口の法難をはじめ、身命(しんみょう)に及ぶ大難を勝ち越えられて、仰せになられた。
 「ついにをそれずして候へば、今は日本国の人人も道理(どうり)かと申すへんもあるやらん」(1138ページ)

 すなわち、いささかも恐れなく、終始一貫(しゅうすいっかん)して、正法正義を師子吼(ししく)なされてきた。だからこそ、敵対(てきたい)してきた人々さえも、”大聖人の仰(おっしゃ)ることが道理ではないか”と感服(かんぷく)せしめるに至(いた)ったのである。

 この大聖人の忍難弘通(にんなんぐつう)に、我らは真っ直ぐに連(つら)なり、今、世界にまで共鳴(きょうめい)と信頼を広げている。

 マハトマ・ガンジーが洞察(どうさつ)した、偉大な運動が経(へ)る五段階、つまり無関心(むかんしん)・嘲笑(ちゅうしょう)・非難(ひなん)・抑圧(よくあつ)を突(つ)き抜(ぬ)けた尊敬(そんけい)の段階に入っていることを自負(じふ)したい。


 強盛の
  祈りで開けや
   わが人生
  いかなる試練も
     逆転勝利を

 恩師・戸田城聖先生は、いかなる苦境(くきょう)にある同志も抱きかかえながら、徹(てっ)して励まし抜かれた。
 「何かあっても、信心を強くしてくれる宝なんだ。大きな宿命(しゅくめい)と戦う人ほど、大勢の悩む人を救っていける使命があり、力を出せる。そして、どんな国土も、妙法の力で必ず変えていけるんだよ!」と。
 この通りに、「人間革命」即「立正安国」の蘇生(そせい)の実証を、わが友はたくましく打ち立ててきた。

 あの伊勢湾台風(いせわんたいふう)の折、自(みずか)らも被災(ひさい)しながら救援(きゅうえん)に奔走(ほんそう)してくれた忘れ得ぬ中部の父母がいる。幾多(いくた)の苦難(くなん)を踏(ふ)み越(こ)え、大変であればあるほど、打開(だかい)した喜びは大きいと微笑(ほほえ)む。「これからが庶民の幸福を勝ち取る本当の戦い」と、ますます意気軒昂(いきけんこう)である。

 池上兄弟への御聖訓(ごせいくん)には、「必ず三障四魔(さんしょうしま)と申す障(さわり)いできたれば賢者(けんじゃ)はよろこび愚者(ぐしゃ)は退(しりぞ)くこれなり」(1091ページ)と記(しる)されている。
 人生も、社会も、世界も試練(しれん)が尽(つ)きることはない。
 それゆえに、思いも寄らぬ事態が出来(しゅったい)しようとも、「退(しりぞ)く」ことなく「よろこび」立ち向かう連帯を鍛(きた)え広げることが、確かなる幸福と平和の大道である。
 そのための生命の錬磨(れんま)こそ、日々の信行学の実践であり、たゆまざる希望拡大の学会活動なのである。

 栄光の男女青年部の結成より、65周年——。
法華経に説かれる通り、全世界の大地から、地涌(じゅ)の賢者(けんじゃ)が躍り出る時が到来(とうらい)した。「賢者はよろこび」と勝利の舞(まい)を共に舞いながら、いざや前進だ!