大白蓮華 2016年(平成28年)9月号(No.803)

多宝の命に永久の勝閲を

 我らには、朝な夕な謳(うた)い上げる生命の讃歌(さんか)がある。   
 妙法という大宇宙の根本の法則(ほうそく)に合掌(がっしょぅ)する「勤行」の会座(えざ)である。三世十方(さんぜじゅっぽう)の仏菩薩と一体となって、諸天(しょてん)を動かし、国土まで照(て)らしゆく荘厳(そうごん)な儀式(ぎしき)だ。

 仏法の最極の経典たる法華経の方便品(ほうべんぼん)と寿量品(じゅりょうほん)を、今や世界中の友が、日々たゆまず読誦(どくじゅ)している。
      
 「常説法教化(じょぅせっぽうきょぅけ) 無数値衆生(むしゆおくしゆじょぅ) 今人於仏道(りょうにゅぅおぶつどう) 爾来無量劫(にらいむりょうこう)」」自我掲(じがげ)には、尽(つ)きることのない仏の智慧(ちえ)と慈悲(じひ)と寿命(じゅみょう)が明かされる。

 この永遠なる大境涯に、私たちは連なっている。
寿量文底の大法を行ずる境地は、まさに赫々たる久遠の大生命なのだ。その模範(もはん)こそ、学会と共に広宣流布に生き抜いてきた多宝の方々といってよい。


法華経の展開では、学んだ無数の仏子たちもまた、 仏から寿命(じゆみょう)の長遠(ちょうおん)なることを大功徳(だいくどく)に包(つつ)まれる。

それは、多宝会(たほうかい)・宝寿会(ほうじゅかい)・錦宝会(きんぽうかい)の先輩方の福徳(ふくと)あふれる生命の輝(かがや)きにふれ、創価家族が皆、歓喜に満ちていくことにも通ずると、私は思ってきた。
生身の人間であるから、加齢(かれい)とともに生老病死(しょうろうびょうし)の悩(なや)みは避(さ)けられない。使命ゆえにしかし日蓮大聖人は、故(ゆえ)に枝(えだ)をまげらる」
諸難(しょなん)も襲(おそ)い来る。

「松は万年のよはひを持つとされ、「法華経の行者(ぎょうじや)は久遠長寿(くおんちょうじゅ)の如来(にょらい)なり、修行の枝(えだ)をきられ・まげられん事疑(ことうたがい)なかるべし」(1136ページ)我らはと仰せになられている
   
「久遠長寿(くおんちょぅじゆ)の如来(にょらい)なり」との大確信に立っ一切を悠然(ゆうぜん)と乗り越(こ)えていくのだ。

 功労の
  父母(ちちはは)ありて
    広布あり
  健康長寿を
      皆で祈らむ

 5年前の東日本大震災で、広布の会場だった自宅まで流されてしまった東北の多宝の母がいる。仮設住宅に住まわれ、地域の友と励まし合ってこられた。
「よし、この命を広布のために、皆のために使おう。ここからが、私の本当の人生だ!と誓うと、朝、起きるのが楽しくなりました。学会と共に負けない人生こそが、私の最高の誇りです」と。

 こうした不屈(ふくつ)の「地涌(じゆ)の菩薩(ばさつ)」の汗と涙で築(きず)き上げられてきた民衆の連帯こそが、創価学会である。

人類の希望と光る「平和」「文化」「教育」の大城を、
我が大勝利の人生の誉(ほま)れと胸を張(は)って頂(いただ)きたい。
 一人一人ので心の財は永遠に不滅(ふめつ)であり、後継の人材たちも厳然(げんぜん)と受け継(つ)いでいくであろう。
 日本も世界も、空前の高齢社会へ突入(とつにゅう)していく。
 その活路(かつろ)を開きゆく光こそ、妙法の蘇生(そせい)の哲理(てつり)であり、創価の希望のスクラムであるといってよい。
 多宝の父母は太陽である。太陽が輝くところ、青年部も未来部も元気に育つ。地域の信頼(しんらい)も広がる。
     
 大聖人は、遠く離れた千日尼(せんにちあま)に書き送られている。
 「我等は穢土(えど)に候へども心は霊山(りょうぜん)に住(すむ)べし、御面(おんかお)を見てはなにかせん心こそ太切に候へ、いつかいつか釈迦仏のをはします霊山会上(りょうぜんえじょう)にまひりあひ候はん」(1316ページ)と。

 御本仏と一緒に、妙法と一緒に、我らは師弟(してい)して、生命の常楽我浄(じょうらくがじょう)の旅を続けゆこうではないか!
 誇り高き多宝の命(いのち)に、永久(とわ)の勝鬨(かちどき)あれ!