信心しきった人が勝つ 2017年10月8日

ひとたび戦いを起こしたならば、断じて勝たねばならない。
勝って、広宣流布の偉大な歴史を残すことだ。
人ではない。自分である。
自身が、 どれだけ真剣に行動したか。
「私が戦う!」という情熱がなければ、勝利の勢いは生まれない。
同じ戦うならば、前向きにいかなければ、つまらない。
自ら動いて、気持ちよく戦ってこそ喜びもわく。
“生き生きと” 挑戦することである。
“生き生きと”進むところに、福運はついてくる。
 
人生は、「これ以上無理だ」とあきらめる自分、「もうこれくらいでいいだろう」と妥協しそうになる自分との戦いである。
「断じてあきらめない」「断じて負けない」と、自己との闘争に勝ちゆくことだ。
 
「いまだ こりず候」── ここに、日蓮仏法の真髄の負けじ魂がある。
正義の魂は絶対にこりない。
第六天の魔王の方が「こりた」と音をあげるまで、攻めて攻めて攻め抜くのだ。
 
広宣流布」と「信心」── これだけは、断じて忘れてはならない。
大変な時に、頑張った分だけ、功徳が増していく。
途中に何があろうとも、信心しきった者は、最後は必ず勝利する。
 
10年前の2007年(平成19年)11月。
258回目の関西指導の折、池田大作先生は車中から、中之島大阪市中央公会堂をカメラに収めた。
白い花こう岩を配した赤れんがの壁に、青銅のドーム屋根。
明年で開館100年の歴史を刻む公会堂が常勝の空に向かい、堂々と、そびえ立っている。
不敗の原点である「大阪大会」(1957年)から60年。その舞台となった公会堂で、池田先生は師子吼した。
最後は、信心しきったものが、また、正しい仏法が、必ず勝つ──と。
我らの「異体同心」の祈りと行動に勝る力はない。
いかなる試練も、互いに励まし合いながら乗り越え、威風堂々と勝ち進もう。
地涌の我らは、勝つために生まれてきたのだから!