【第6回】 異体同心──皆が心を一つに団結 (2018.6.23)

アフリカ11カ国の代表が参加し、盛大に開催されたSGI交流交歓会。
創価の同志は異体同心の団結で、日々、広布にまい進する(本年3月、千葉文化会館で)
 
連載「世界宗教の仏法を学ぶ」では、池田先生の指導や励ましを教学のテーマ別に掲載。
併せて、それらに関する仏法用語や日蓮大聖人の御書などを紹介します。
第6回のテーマは「異体同心」です。
 
小説「新・人間革命」第13巻「光城」の章
【あらすじ】1968年(昭和43年)秋、各地で芸術祭が開催される。
芸術部の首脳と懇談した山本伸一会長は、“芸術祭を成功させるうえで、一番大切なことは何か?”との質問に対して、「皆が仲良く、団結して行っていくことです」と答える。
 
質問した芸術部の幹部が、再び尋ねた。
「一人ひとりの“個性”を尊重することと“団結”とは、どうも相反することのように思えるのですが……」
伸一は、ニッコリと頷いた。
「大事な質問です。実は、その原理が『異体同心』ということなんです。
世間では、団結というと、よく『一心同体』と言われる。
これは、心も体も一体ということであり、心を同じくするだけでなく、行動や形式も同じことを求める。
つまり、全体主義となり、どうしても、個性は抑圧されることになる。
それに対して、大聖人は『一心同体』ではなく、『異体同心』と言われた。
これは“異体”である個人、また、それぞれの個性や特性の尊重が大前提になっています。
その一人ひとりが“同心”すなわち、広宣流布という同じ目的、同じ決意に立つことから生まれる、協力、団結の姿が異体同心です。
つまり、それは、外側からの強制によるものではなく、個人の内発的な意志による団結です。だから強いんです。
また、自主性が基本にあるから、各人が個性、特質をいかんなく発揮できるし、それによって、さらに全体が強くなる。
たとえば、城の石垣というのは、同じ形の石ではなく、さまざまな形の石を組み合わせ、積み上げていくから、堅固であるといわれている。
野球をするにも、優秀なピッチャーばかり集めたからといって、勝てるものではない。
『異体』すなわち、いろいろな人材が必要なんです。
芸術部員は、一人ひとりが力もあり、強い個性をもっているだけに、皆が心を一つにして団結すれば、すごいパワーが発揮できます。
学会の強さは、この『異体同心』の団結にありました。
その力によって、常に不可能の壁を破り、新しい歴史を開いてきた。
さらに、皆が仲よく団結しているということは、それ自体が、各人の境涯革命、人間革命の証なんです。
なぜなら、我欲が強く自己中心的な人、傲慢、見栄っ張り、嫉妬心が強い人、わがままな人などは、団結することができないからです。
そして、結局は、組織をかき乱し、皆に迷惑をかけ、最後は、自分から学会を離れていってしまうことになる。
しかし、そうなれば、自分が不幸です。最後は哀れです。
だから、広宣流布のために団結しようと決め、自分を見つめて、わがままや慢心に挑戦し、人間革命していくことが大事になるんです」
「わかりました。芸術部もしっかり団結して、最高の芸術祭を行ってまいります」
芸術部の幹部が答えると、伸一は頷いた。
 
理解を深めるために
御本尊への信心を同じくする
 
「異体同心」の「異体」とは、各人の個性や特質、年齢や性別、さらに社会的地位や職業が異なっていることを指します。
「同心」とは、志、目的を同じくして、力を合わせることです。
私たちで言えば、御本尊への信心を同じくすることであり、また広宣流布という目的観・使命感を同じくすることです。
同じ心に立って、各人が広布のために自身の力を存分に発揮し、自身の役割と使命を果たしていくことで、広宣流布が前進するのです。
この「異体同心」と正反対なのが「同体異心(体同異心)」です。
表面的には同じ行動をとっているようでも、心がバラバラであれば、力を十分に発揮することはできません。
日蓮大聖人は御書で、「異体同心なれば万事を成じ同体異心なれば諸事叶う事なし」(1463ページ)と仰せです。
そして、周の武王率いる800の諸侯の軍が、70万騎の殷の紂王の軍勢を打ち破った古代中国の故事を挙げられ、勝負は人数の多少ではなく、戦う心が一致しているかどうかで決まると示されています。
異体同心とは、広宣流布を進めるに当たって、私たちが信心で団結をしていく時に、最重要とすべき指針なのです。
 
日蓮大聖人の御書から 「生死一大事血脈抄」について
広宣流布の大願」も必ず成就
 
日蓮大聖人は「生死一大事血脈抄」で、「総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり」(御書1337ページ)と仰せです。
大聖人はこの御文で、広宣流布を目指す大聖人門下の在り方について、具体的な指標を示されています。
それが「自他彼此の心なく」「水魚の思を成して」「異体同心にして」の3点です。
「自他彼此の心なく」とは、「自分」と「他人」、「彼」と「此」とを切り離して考える、差別や対立の心を持たないということです。
それは、「自己中心」の心を乗り越えていく挑戦であるともいえます。
「水魚の思を成して」とは、水と魚のように、切り離すことができない関係をいいます。
私たちに置き換えれば、互いをかけがえのない存在として尊重し合い、支え合っていくことです。
 
「異体同心にして」とは、一人一人が個性や特質、立場は違っても、同じ目的観、価値観を持つこと。
私たちでいえば、広宣流布へ心を合わせて前進していくことです。
大聖人は、御自身の弘通の目指すところは異体同心の実現にあり、異体同心の信心によって「広宣流布の大願」も成就することは間違いないと教えられているのです。