大白蓮華 巻頭言 2018年 10月号

2018年(平成30年)10月号(No.828
 
今日も「衆生所遊楽」の大合唱
池田 大作
 
毎朝、私たちは「勤行(ごんぎょう)」という生命の目覚(めざ)めの賛歌(さんか)を謳(うた)い上げて出発する。
その清々しい声は、十方世界に轟(とどろ)き渡り、仏天をも呼び動かしていくのだ。
日々、読誦(どくじゅ)する法華経寿量品の自我偈(じがげ)には、「衆生所遊楽(しゅじょうしょゆうらく) 諸天撃天鼓(しょうてんぎゃくてんく) 常作妓楽(じょうさっしゅぎがく)」とある。
戸田先生は、この経文を通して、笑いながら語られた。 — みんな本当は、この人生を楽しみ切るために生まれてきた。
楽しむためには、苦しみが塩のようにちょっぴり必要だ。みんなは塩の方が多すぎるんだよ、と。
そして、どんなに苦悩の渦巻(うずま)く娑婆(しゃば)世界にあろうと、 妙法とともに、「天(てん)の鼓(つづみ)」を撃(う)つ如く希望のリズムを作り、「妙(たえ)なる名曲」を奏(かな)でるように喜びの、共嗚(きょうめい)を織(お)り成(な)して、「遊楽」のスクラムを広げていくよう励まされたのだ。
御義口伝(おんぎくでん)に「妙音(みょうおん)とは今日蓮等の類(たぐ)い南無妙法蓮華経と唱え奉る事は末法当今(まっぽうとうこん)の不思議(ふしぎ)の音声(おんじょう)なり、其(そ)の故(ゆえ)は 煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)生死即涅槃(しょうじそくねはん)の妙音(みょうおん)なり」(774ページ)と説かれる。
題目の力は広大無辺(こうだいむへん)である。偉大な文化の力用(りきゆう)を体現する妙音菩薩の光明(こうみょう)も、厳然と具(そな)わっている。
この妙音を唱え、壮麗(そうれい)な法華経の会座(えざ)さながらに、人間芸術の真髄(しんずい)の価値を創造していくのが、創価学会である。
広布の大行進は、音楽隊、鼓笛隊、合唱団、また芸術部をはじめ尊(とうと)き宝友(ほうゆう)の奮闘(ふんとう)ありて、何と明るく賑(にぎ)やかであろうか。
とりわけ、災害の被災地での「希望の絆(きずな)」コ ンサー卜など、心の福光(ふっこう)のエールを送り続ける大活躍に、 私は胸を熱くする。たゆまぬ信心と努力、そして麗(うるわ)しい団結で、創価芸術の華(はな)を咲かせてくれているではないか。
文化を尊重(そんちょう)する宗教であってこそ、民衆から愛される。 いかなる差異(さい)も超(こ)えて、世界市民を結ぶことができる。
庶民の真心で支えてきた民音東京富士美術館の文化交流も、一段と平和の光彩(こうさい)を放(はな)つ時代に入った。
誓願(せいがん)を貫(つらぬ)く人生は、それ自体が感動の叙事詩(じょじし)であり、感激の絵巻(えまき)である。
今日も、最も誇り高き無冠(むかん)の名優(めいゆう)たちと「衆生所遊楽」の大合唱を謳(うた)い上げようではないか!
 
 広布劇
  歌あり 舞あり
   名画あり
  悲劇も転じて
    歓喜の凱歌へ​