2007-04-01から1ヶ月間の記事一覧

小説「新・人間革命」 4月14日 宝塔35

爆風で窓ガラスは吹き飛んだ。多数の乗客が負傷し、車内は大混乱になった。 彼は、一刻も早く、この負傷者の手当てをしなければと考え、乗務員と協力して長与駅まで列車を運転した。 そこで負傷者を降ろし、手当てをしている時、長崎市内に多数の死傷者が出…

きょうの聖教新聞 2007・4・15

★名字の言 ▼アメリカSGIの友からメールが届いた。ニューヨークでフリーライターとして活躍する女性である ▼競争の激しい世界。言葉にならない苦闘を重ねた。でも、と彼女は言う。「私には御本尊があります。どんなに厳しい局面にも『絶対に大丈夫!』とい…

きょうの聖教新聞 2007・4・14

★名字の言 ▼1889年4月14日、歴史家トインビー博士が誕生。2日後の16日、喜劇王チャップリンが生まれた。奇しくも独裁者ヒトラーも同年同月生まれ。20世紀を代表する歴史家と喜劇王は、独裁者の悪行を見過ごさなかった。それぞれの立場で、断固と…

小説「新・人間革命」 宝塔34 4月13日

長崎の青年たちが被爆体験の取材、証言収集を重ねるなかで、長崎原爆の記録に残されていなかった新事実が発掘されたのである。 これまで、被災当日の八月九日午後一時五十分に運行された救援列車による被災者の収容が、国鉄(当時)の救援活動の最初とされて…

Transforming our way of living Thursday, April 12, 2007

Thursday, April 12, 2007 A HUMAN REVOLUTION Transforming our way of living By DAISAKU IKEDA This year, the Doomsday Clock devised by the Chicago-based Bulletin of the Atomic Scientists was advanced two minutes, for the first time in five y…

きょうの聖教新聞 2007・4・13

★名字の言 ▼「人々は生きる目的・意義が不在です。『自分が価値ある存在』と示してくれる哲学を求めています」と指摘するのは、アメリカ実践哲学協会会長のマリノフ博士 ▼人類の英知の結晶である古今東西の哲学を、人生のさまざまな問題を乗り越えるために活…

小説「新・人間革命」 宝塔33 4月12日

山上則義は、広島県青年部として反戦出版に着手することになると、この委員会の委員長を引き受けた。 反戦出版を通して、原爆の悲惨さを伝え残し、平和を叫び抜いていくことこそ、胎内被爆者である自分の使命であると思ったからだ。 使命を自覚すれば、どん…

きょうの聖教新聞 2007・4・12

★名字の言 ▼子どもに時期に、暴言を繰り返し浴びると、脳の言語に関する部分が小さくなるという。調査した友田明美准教授は「つらい経験をして、脳が適応した結果ではないか。回復可能なうちに虐待を発見し、社会的な支援を行うことが重要」と ▼娘が小3の時…

小説「新・人間革命」 宝塔32 4月11日

山上則義が入会したのは、日系カナダ人の婦人から仏法の話を聞いた一週間後の、一九六六年(昭和四十一年)二月のことであった。 その後、彼は、高校に通いながら新聞販売店で働き始めた。ある日、新聞配達中に喀血し、救急車で病院に運ばれた。 小学生の時…

きょうの聖教新聞 2007・4・11

★名字の言 ▼緑萌えいずる春本番。新社会人、新入生にとっては、期待と不安が交錯する日々だが、清々しく新出発を飾りたい ▼全国の小学5年生と中学2年生を対象にした昨年の調査で、2割近い児童生徒が朝食を食べていないことが分かった。(「日本スポーツ振…

小説「新・人間革命」 宝塔31 4月10日

山上則義は、勉強なんかしても仕方がないと思った。高校には進学したが、出席日数が足りずに留年した。 そのころ、今度は母親が入院した。卵巣癌であった。手術を重ねた。 母の体は、原爆の放射能に侵されていたのである。 山上の生活は、一層すさんでいった…

きょうの聖教新聞 2007・4・10

★名字の言 ▼本紙には「戦う」「勝つ」といった勇ましい言葉が多い。私たちは平和と非暴力を掲げるが、それは「戦わない」ことを意味するのではない。非暴力とは「武器をとらない闘争」、文字通り「戦う」ことにほかならない ▼ガンジーの非暴力主義は、しばし…

小説「新・人間革命」 宝塔30 4月9日

広島の原爆は、推定約十四万人(一九四五年末)といわれる人の命を奪っただけではなく、生き残った被爆者の子や孫にまで、多大な影響をもたらし、苦悩の底に叩き落としていったのだ。 そこに、原爆は悪魔的兵器といわざるをえない恐ろしさがある。 『広島の…

小説「新・人間革命」 4月7日 宝塔29

一九九三年(平成五年)夏のことである。 広島を訪れたインドのガンジー記念館館長のラダクリシュナン博士は、金子光子に尋ねた。 「原爆を投下したアメリカをどう思いますか」 彼女は率直に答えた。 「憎んだ時期もありました。でも、恨むことに心を費やす…

きょうの聖教新聞 2007・4・9

★名字の言 ▼「アメイジング・グレース」というと、各種イベントでもよく歌われる歌。250ほど前にイギリスでできた。作者はジョン・ニュートン ▼彼は船長兼貿易商。扱ったのは「人」だ。アメリカへの「奴隷貿易船」の船長だった。彼は、アフリカで拉致した…

きょうの聖教新聞 2007・4・8

★名字の言 ▼プロ道化師の大棟耕介さんは、無償で入院中の子どもたちを元気づける活動を続けている ▼赤く丸い鼻に派手な衣装。コミカルなしぐさに歓声が上がる。その光景に、あるお母さんは「心が震えました」と手紙に綴った。脳の手術後、半年間、話せなかっ…

きょうの聖教新聞 2007・4・7

★名字の言 ▼米大リーガーのイチロー選手を記者が訪ねた時のこと。「少し、打ち込みの時間をくれませんか」と待たされた。しばしバットを握り、納得がいくまでボールに向かった。その凄まじさに記者は約束の時間が過ぎても、声を掛けられなかった ▼彼は一貫し…

小説「新・人間革命」 宝塔28 4月6日

母親の励ましを支えに金子光子は、懸命に生き抜いていった。 和裁を教える資格を取り、着物も仕立てるようになる。人生の峰に挑み、社会に目を向けるなかで、彼女は思う。 “私よりも、もっと、もっと、辛い思いをしている人もいる。戦争で苦しめられた人を、…

きょうの聖教新聞 2007・4・6

★名字の言 ▼「逆転は僕らの代名詞」-選抜高校野球の決勝戦。殊勲打を放った選手の言葉が胸に響いた。逆転また逆転で勝ち進んだ優勝校の常葉菊川(静岡)は、終盤に持てる力を発揮し栄冠をつかんだ ▼勝因の一つは、監督の方針通り「攻めの野球」に徹したこと…

小説「新・人間革命」 宝塔27 4月5日

反戦出版委員会のメンバーは、話し合いを重ねた末に、手記のなかで、信仰によって原爆症や差別に打ち勝った部分は極力削ってもらい、被爆体験とその後の苦闘に焦点を絞った。 たとえば、十四歳の時に被爆し、大火傷を負った金子光子という婦人の手記も、入会…

きょうの聖教新聞 2007・4・5

★名字の言 ▼イタリアのルネサンスの都フィレンツェ市が池田SGI会長の平和と人道の功績を讃えて、「平和の印章」を贈った。(3月25日)授与式の会場は、14世紀建造のブェッキオ宮殿内の「500人広間」 ▼当時のフィレンツェ政府は、ダ・ビンチとミケラ…

小説「新・人間革命」 宝塔26 4月4日

『広島のこころ―二十九年』には、最終的に五十五人の貴重な証言が掲載されることになった。 全四章からなり、第一章の「あの日 私は」では、原爆投下の一九四五年(昭和二十年)八月六日を中心に、被爆体験がつづられている。 ――体の皮は、はがれて足まで下…

きょうの聖教新聞 2007・4・4

★名字の言 ▼桜花爛漫の春。新年度の始まりに、新たな決意に燃えている人も多い。人生は挑戦の連続。経験の積み重ねで、生き方も豊かになる。そして、その過程で味わう「感動」から、生きる力が育まれる ▼脳科学者の茂木健一郎氏は指摘する。「感動というのは…

小説「新・人間革命」 宝塔25 4月3日

被爆した人たちの反応は、青年たちが考えていた以上に、厳しいものがあった。 「あんたぁ、わしにピカ(原爆)のことを書け、言うんね! 勘弁してつかーさいや。恐ろしゅーて、もう思い出しとうもないんじゃ」 被爆体験の執筆を断る人も少なくなかった。考え…

きょうの聖教新聞 2007・4・3

★名字の言 ▼未開の大地であった南極大陸に、日本の昭和基地が開設されて、本年で50周年。邦人で初めて南極上陸に成功したのは、それからさらに45年前、探検家・白瀬のぶに率いられた一隊であった ▼「わたしは、人が鍬や鎌で雑草を切りそろえた跡を、何の…

小説「新・人間革命」 宝塔24 4月2日

沖縄の青年たちが、反戦出版の第一巻『打ち砕かれしうるま島』発刊の最終校正に追われていたころ、広島と長崎の青年たちも、反戦出版の編纂作業に追い込みをかけていた。 広島の青年部では、広島の原爆投下二十九年にあたる、この一九七四年(昭和四十九年)…

きょうの聖教新聞 2007・4・1

★名字の言 ▼3月7日付本紙で批評家・小林秀雄氏と池田名誉会長の交流を紹介した。氏と親しかった画廊主の吉井長三さんから「(名誉会長が小林氏に贈った)紅枝垂は毎春元気に美しい花を咲かせております。今年は開花が早いようです」との便りを頂戴した。一…

小説「新・人間革命」 宝塔23 3月31日

沖縄では、一九七六年(昭和五十一年)六月には、名護の高校生と中学生が、父母や親戚などに聞いた戦争体験をまとめた『血に染まるかりゆしの海――父母から受け継ぐ平和のたいまつ』が完成する。 翌年には、娘たちが母親に取材した戦争体験を収録した、『沖縄…

きょうの聖教新聞 2007・4・1

★名字の言 ▼国内生産量が最も多いイモといえばジャガイモ。鹿児島県、長崎県などでも栽培されるが、栽培の大半(77%)を占めるのが北海道。まさにジャガイモ王国だ ▼北海道でジャガイモが本格的に栽培されたのは明治時代。1873年(明治6年)、開拓使…