2007-07-01から1ヶ月間の記事一覧

きょうの聖教新聞  2007・7・17

★名字の言 ▼壮年・男子部の支部勤行会が行われた休日の朝。一人の地区部長が晴れ晴れと語った。「今、男子部の皆さんと一緒に勤行・唱題し、その力強さに決意を新たにすることができました」 ▼年齢とともに、どうしても臆する心が出てくる。その心の壁を破る…

きょうの聖教新聞  2007・7・16

★名字の言 ▼会館を訪れると、さわやかな笑顔で、車いすの青年が迎えてくれた。牙城会として着任する時、彼は使命に生きる喜びをかみしめているという ▼体の運動神経などに障害を起こす進行性筋萎縮症と闘いながら、創価大学を卒業。だが、病魔との闘争は、そ…

小説「新・人間革命」 友誼の道63  7月14日

上海は新中国の発展を支える工業都市である。その上海で生産される新しい重軽工業製品のすべてを展示しているといわれるのが、上海展覧館である。 十一日午前、一行は、ここを訪れた。 展覧館は、尖塔のある宮殿のような建物であり、広々としていた。そこに…

きょうの聖教新聞  2007.7.15

★名字の言 ▼緑の楽園の美しい写真が本紙に掲載された。インド・創価菩提樹園である(9日付)。菩提樹が茂り、色鮮やかな花々が咲き香る園林に、無冠の友や守る会などの皆さんや代表の県の同志の氏名が永久保管されることが決まっている ▼名誉会長の提案を受…

小説「新・人間革命」  友誼の道62  7月13日

魯迅は、面倒をみた青年たちから、非難を浴びることもあった。それでもなお、青年の可能性を信じ抜いた。 さらに、政府の弾圧によって、青年たちが殺害されると、紅涙したたる追悼の筆を執る。 魯迅が亡くなる十一日前に撮った写真も、青年と語り合う姿であ…

きょうの聖教新聞 2007・7・14

★名字の言 ▼休日の朝。子どもたちも参加して、町内の清掃活動が行われた。張り切ってゴミを拾うお父さん、お母さん。その後姿をちらりと見ながら、子どもたちも大活躍。微笑ましい光景だった。何よりも環境を守り、地域を愛する心を、親から子へ伝える貴重な…

小説「新・人間革命」  友誼の道61 7月12日

日本に留学した魯迅は、最初、東京の弘文学院で日本語などを学んだあと、仙台医学専門学校に進んだ。 しかし、二年目には、突如、彼は医専を退学してしまう。 その経緯については、魯迅の小説集『吶喊』の「自序」に詳しい。 彼は教室で、幻灯(スライド)に…

小説「新・人間革命」 友誼の道60  7月11日

「タン能生存、我当然仍要学習……」(もし私が生きていくことができるならば、もちろん、私は学び続けていく) その文字に、山本伸一の目は釘付けになった。 魯迅が亡くなる二カ月前に書いた手紙の一節である。 伸一の一行は、メッキ工場の視察に続いて、魯迅…

きょうの聖教新聞  2007・7・13

★名字の言 ▼イチロー選手が、米大リーグ・オールスターズ戦、日本人初の最優秀選手に選ばれた。ランニングホームランという、これまた大リーグ球宴初という快挙だ ▼そのイチローが“もう、どん底の、まっただ中”と、評した時期がある。1996年前後。バッテ…

きょうの聖教新聞  2007・7・12

★名字の言 ▼昭和32年4月16日、青年部の室長であった若き池田名誉会長は大阪・四条畷市を初めて訪れた。同志を励まし、「不撓」との揮毫を認めて語った。「不撓とは屈せず、たゆまずということです」 ▼同年7月17日、雷鳴が轟き、激しい雨が大地をたた…

きょうの聖教新聞  2007・7・11

★名字の言 ▼「プロ」について、評論家の草柳大蔵氏が考察している(『花のある人 花になる人』) ▼専門家や玄人を指す場合によく使われる「プロ」という言葉は「プロフェショナル」の略。草柳氏はもうひとつの意味を付け加える。それは「過程」を表す「プロ…

小説「新・人間革命」  友誼の道59  7月10日

翌十日の午前七時半、宿舎を出発した山本伸一の一行は、鄭州から飛行機で上海へと向かった。 途中、南京の空港を経由しての旅である。南京上空から、中国最長の大河である長江(チャンチヤン)が見えた。 太陽の光を浴びて、銀の帯のように広がる雄大な流れ…

きょうの聖教新聞  2007・7・10

★名字の言 ▼中国古代・殷の時代。大干ばつが7年続いた。“人間をいけにえにして雨乞いをするしかない”との声があがった。時の国王・湯王は、毅然と言い放つ。「雨乞いをするのは人民のためなのだ。人を殺すわけにはいかぬ。もしいけにえが必要だというなら、…

小説「新・人間革命」 友誼の道58  7月9日

「私には、挫折は許されぬ」との戸田城聖の叫びは、山本伸一の胸を射貫いた。 師が大願を成就できるかどうかは、弟子の戦いによって決まる。なれば伸一自身、広宣流布のすべての戦いに、敗北も挫折も、一切、許されないということである。 伸一は、自らに、…

小説「新・人間革命」  7月7日 友誼の道57

山本伸一は、この“五丈原”の歌に、忘れ得ぬ思い出があった。 それは一九五三年(昭和二十八年)の一月五日、戸田城聖のもとに数十人の弟子が集い、都内の中華料理店で行われた新年会のことであった。 この席で、師に“五丈原”の歌を披露したのである。 それは…

きょうの聖教新聞  2007・7・9

★名字の言 ▼将棋の森内俊之名人がタイトルを防衛。これで名人在位が通算5期となり、永世名人(十八世)の資格を獲得した ▼森内名人は守りが堅いことで知られ、「鋼鉄の受け」などと評されているが、守りが強いだけで勝てるほどプロの将棋は甘くない。本紙の…

きょうの聖教新聞  2007・7・8

★名字の言 ▼二人の胸像は、学生たちに語りかけるように立っている。東北大学の創立100周年を記念して、仙台市内のキャンパスに中国の文豪・魯迅と、恩師・藤野厳九郎の胸像が、このほど設置された ▼仙台医学専門学校(現・東北大学医学部)の教授・藤野は…

きょうの聖教新聞  2007・7・7

★名字の言 ▼才覚に優れた青年は若くして官職につく。名を残そうと、職を退き詩人を目指す。しかし、名はあがらず、生活に困窮し、地方の役人に。そこには、かつて自分がさげすんでいた人間が上役にいた。彼の自尊心は傷つけられ、ついに発狂して行方知れずに…

絵画 7.3大阪大会50周年

絵画 7.3大阪大会50周年 師弟勝利の誓い 先師・牧口常三郎先生 恩師・戸田城聖先生の あの激しき戦時中の 長年の獄中闘争から見れば、 私の獄中闘争は瞬間である。 先師・恩師に 申し訳ない気持ちで一杯だ。 権力と戦い 王難に殉じていくことは、 真の仏法者…

小説「新・人間革命」  7月6日 友誼の道56

山本伸一の一行は、中州賓館に一泊することになり、宿舎に移った。 突然の訪問にもかかわらず、中国人民対外友好協会の河南省分会の関係者が、熱烈歓迎してくれた。 夜には、食事を共にしながら、歓談のひとときがもたれた。 伸一は、河南省分会の責任者に言…

きょうの聖教新聞  2007・7・6

★名字の言 ▼歴史家トインビー博士は、ある学者との語らいで、核兵器による人類滅亡がなければ、西暦2000年には世界規模の独裁制によって辛うじて平和が保たれているかもしれないと憂慮した ▼そして未来を生きる青年に、人類滅亡でも世界独裁制でもない“…

小説「新・人間革命」 友誼の道55  7月5日

山本伸一の一行は、午後からは、新石器時代の村落跡を屋根で覆うようにして造られた半坡博物館や、秦の始皇帝陵、風光明媚な華清池などへ案内された。 夜には、西安でお世話になった人びとを「西安人民大厦」に招待して答礼宴を開催した。 翌六月九日は、上…

きょうの聖教新聞  2007・7・5

★名字の言 ▼山の中腹、28㌶のほとんどがブドウ畑だった。取材で訪れた和歌山・有田川町。同県はミカンが有名だが、柑橘類の価格が下落し、「ミカンに代わるものを」と、収益性を検討した結果、ブドウ栽培になった ▼だが、成功への道のりは楽ではなかった。…

我らの七月三日を記念して!             (長編詩)

我らの七月三日を記念して! (長編詩) 七月三日! この日を記憶する人は さらに 「正義の剣」を持ち さらに偉大なる 「広布の英雄」として 立ち上がる。 無実の青年に手錠をかけた その権力者たちを倒せ! 一生涯かかって倒せ! 師は怒った。 あの手錠を …

小説「新・人間革命」 友誼の道54  7月4日

山本伸一は陝西省博物館に続いて、一キロほど南にある大慈恩寺も見学した。七世紀に建立されたものという。 玄奘三蔵がインドから持ち帰り、漢訳した多くの仏典などを保存するために建立されたのが、この寺の大雁塔である。 大雁塔は、創建時は五層で、その…

きょうの聖教新聞  2007・7・4

★名字の言 ▼劉邦は中国で前後400年にわたって栄えた漢の初代皇帝。彼は、張良、はんかいなど多彩な人材に恵まれたことでも有名だ。そして、人材育成の要となったのが、参謀のしょう何だった ▼韓信は、元逃亡兵ながらしょう何に異例の登用をされたものの、…

小説「新・人間革命」 友誼の道53  7月3日

山本伸一を団長とする訪中団一行は、七日夜、歓迎宴に招待され、ここでも、また新しき友情が織りなされた。 翌八日午前、一行は、西安の陝西省博物館(現在は陝西歴史博物館)を訪問。周・秦・漢・隋・唐など、幾つもの王朝が興亡した陝西の歴史文物の展示を…

きょうの聖教新聞  2007・7・3

★名字の言 ▼50年前(昭和32年)の7月、大阪拘置所の独房内の温度は40度を超えた。想像を絶する環境の中、不当逮捕された青年部の池田室長(当時)への過酷な取調べが続いた ▼差し入れの食事は、箸をつけた形跡もなく戻ってきた。「体を苛まれながら、…

小説「新・人間革命」 友誼の道52  7月2日

八路軍の西安弁事処の周りには、国民党の幾つもの監視所があった。しかし、西安地区の多くの人民がこの事務所を支持し、陰に陽に守ってくれたという。 案内者は、誇らかに語った。 「この事務所が破壊されたら、人民は黙っていなかったでしょう」 民衆の支持…

きょうの聖教新聞  2007・7・2

★名字の言 ▼今年は日本人初のノーベル賞受賞者・湯川秀樹博士の生誕100周年。このほど、博士が70年以上前に考えた「中間子理論」の正しさが、検証された ▼1秒間に約50兆回の計算能力をもつスーパーコンピュターを、筑波大学と東京大学が、約3000…