9月号 巻頭言

        行学の二道は人間の最極の光道

 初代・牧口常三郎先生の座右の御書がある。私は、この御書を、学会の根本の宝として大切にしている。その中に、ひときわ強く赤線が引かれ、二重丸が付された一節がある。
 「行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ」(1361ページ)
 牧口先生は、この諸法実相抄の仰せ通り「行学の二道」に励み抜かれた。紛然と競い起こる「三障四魔」を受け切られ、法難の獄中でも御書を身読なされた。
 軍部権力の圧迫を恐れて、臆病にも御書を削除した宗門とは、天地雲泥である。
 苛烈な取調べに対しても、牧口先生は「立正安国」の大精神を厳然と訴え、看守にまで大誠実の仏法対話をされた。さらにまた獄死に至るまで、仏法を根幹として世界の大哲学を学び続けられたのである。
 これが、全世界の新しき光となって進みゆく創価学会創立者が開かれた「行学の二道」である。ここにこそ、仏法の真髄の行動、そして人間にとっての最極の実相が明確にしめされているのだ。

「行学は信心よりをこるべく候」(同ページ)-。「信心」が深まれば「行学」は前進する。「行学」が前進すれば「信心」は深まる。この因果の連動の中でこそ、悪を滅し善を生じゆける「功徳」が湧く。「幸福」が決まる。永遠の「福運」が積める。「行学の二道」がなければ、飛行機が、方角も、高度も、目的地もわからぬまま、燃料を補給せずに、飛んでいくようなものだ。ひとたび乱気流にあえば、たちまちに墜落してしまうだろう。行学を貫く人こそ、人間にとって尊極の勝者の道を歩む人であり、永遠に不退必勝に人なのだ。

 十九世紀のイタリア統一の大英雄マッツィーニは、「あの人は正しい人だ」という評判を聞くと、こう問い返したという。「彼によっていくたり(何人)の人間が救われたか」と。人気などは、うつろな虚像に過ぎない。行動こそが、充実した人間の実像なのだ。
 わが創価の母たちは、どんなに悪口罵りされようとも、勇敢に粘り強く、妙法という究極の幸福の法則を、一人また一人と語り抜いてこられたのである。かくも神々しき英姿が、どこにあろうか。
 あの忌まわしい戦争のせいで、学校にも通えなかった草創の婦人部の方が、ある大学教授を美事に祈伏した。その報告を聞かれた戸田城聖先生が、会心の笑みを浮かべて、誉め讃えておられた姿を、私たちは忘れることができない。
 狡賢い退転・反逆の徒に共通していることは、地道にして真剣な「行学の二道」を怠っているという事実の一点だ。慢心である。傲慢である。見栄っ張りである。
 行学の動きが止まれば、絶対的幸福への生命は停滞する。その淀みに、必ずといってよいほど、増上慢と堕落と怨嫉が生ずる。
 戸田先生は「行学の実践なき幹部は、会員を惑わすだけだ」と、それはそれは厳粛に戒められた。

 戸田大学の講義では、万般の学問とともに、教学の研鑽も含まれていた。「証の重」たる「当体義抄」を、日寛上人の文段を通して、深く鋭く学ばせていただいた。
 まさに剣豪の修行の如き厳格なる鍛錬であった。小さく質素な紙である。笑った人もいた。しかし私は、何よりも誇り高き英知の記別として、報恩の誓願を込めて拝受した。
 この一念が、今日、世界から二百に及ぶ名誉学術称号に結実したと、私は確信する。これが、因果微妙なる「蓮華の法」を行じ抜いた師弟の実証であるからだ。

 この秋十月、日本では青年教学の「二級試験」が行われる。世界の五大陸でも、民族や言語を越えて、求道の友が勇んで教学試験や研修に取り組んでいる。新たな行学の旋風が、爽やかに広がり始めた。久遠元初以来の壮挙である。仏法の夜明けである。世界広布の夜明けである。
 釈尊、そして日蓮大聖人のお喜びは、いかばかりであるかと、私は感涙にむせぶのだ。我らの師である牧口先生も、戸田先生も、どれほど喜んでおられることであろうか。私の魂は、太陽の如く煌々と輝きを増している。

 私の尊敬するトインビー博士は、たとえ気分が乗らなくとも、必ず毎朝、行動を自ら開始しゆくこと、そして自身のきょう一日の一頁を開きゆくことを、絶対の日課として峻厳に課しておられた。一行でもよい、御書を拝することだ。一文一句でもよい、仏法を語ることだ。「行」を立て、「声」を発し、「体」を動かすことで、新しき生命が、大宇宙の運行のリズムと合致しながら、回転を始める。永遠の師・大聖人の仏法を広め、そして人生の師・戸田先生との誓いを果たすために、私は断固として「行学の二道」に励んできた。いな、励んでいく決意は微塵も変わらない。「行学の二道」を離れて、「師弟の光道」はないからだ。

  新しき
   世紀の人材をば
     つくりゆけ
   行学 楽しく  
     不滅の城かな