巻頭言 2007年1月号

  祈りは前進勝利の力
 悠然と
  君が心に
    初日の出
  この一年の
    勝利は確かと

 昇りゆく元朝の太陽を見つめ、心も新たに敬虔な祈りを捧げるー。これは、太古より、人間の胸奥から本然的に湧き出ずる心情であったに違いない。
 祈りは、人間のみができる荘厳な営みである。動物は祈れない。「祈りは自分に善を吹き込むことである」とは、大文豪トルストイの言であった。
 この「祈り」を、最も深い生命の極致の法則に則り、しかも最も生き生きと現実の生活に即して、誰もが実践できる軌道としたのが、大仏法であり、勤行なのである。


 日蓮大聖人は仰せになられた。「口に妙法をよびたて奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ、梵王・帝釈の仏性はよばれて我等を守り給ふ、仏菩薩の仏性はよばれて悦び給ふ」(557ページ)
 勤行は、清新なる音声の響きで、自らの仏の生命を呼び覚まし、元初の旭日のごとく輝かせゆく儀式である。
 勤行で読誦している方便品の「諸法実相」も、私たちの生命それ自体が「妙法蓮華経のすがた」であることを教えている。
 寿量品の自我げも、「自我得仏来」の「自」で始まり、「速成就仏身」の「身」で終わる。「自身」の永遠の生命の讃歌だ。

 迷いゆく
   暗き社会の
     その中で
   私の夜明けは
     勤行なるかな

 勤行は、日蓮大聖人の御生命そのものである妙法蓮華経の真髄の力を、わが色身に脈動させていく源泉である。仏の勇気と智慧が湧現しないわけがない。「歓喜の中の大歓喜」が込み上げてこないわけがない。
 いかに三障四魔が襲いかかろうとも、勤行の法座に臨めば、師子奮迅の力を出して、反転攻勢に打って出る合図の暁鐘となる。
 梵天・帝釈も、普賢菩薩も、薬王菩薩も、釈迦仏・多宝仏も、大軍のごとく味方し、金剛にして不壊なる大城の生命で、必ず勝利への活路を開いていくことができるのだ。
 なかんずく、創価の母の祈りほど強いものはない。あの大阪事件の無罪判決を勝ち取るまで、84回の公判を見つめながら、丑寅勤行を続けてくれた関西の母たちの必死の祈りを、どうして忘れることができようか。

 国際宗教社会学会の会長であった。亡きウィルソン博士(オックスフォード大学名誉教授)は、「妙法の唱題は、精神を開放する方途である。この実践を通して、積極的な生き方、他者への思いやり、さらに自然との共生の理念を育むことができる」と洞察された。
 仏法を信仰していない博士の親友の大学者も、葬儀の折、博士が大事にされていた題目を唱えて見送られたと伺っている。

 勤行は
  大宇宙の
   音楽が
  命の限り
   愉快に指揮とれ

 ブラジルの天文学者モウラン博士は、私との対談で、「南無妙法蓮華経の音律には、宇宙が創り上げられていくような根源のエネルギーを感じます」と語っておられた。

 「祈りとして叶わざるなし」である。
 いかなる戦いも、祈ることから始まる。
 「法華経に勝る兵法なし」である。
 魔を打ち破る利剣は、題目しかない。
 創価学会の永遠の指針であるー
 1.一家和楽の信心
 2.幸福をつかむ」信心
 3.難を乗り越える信心
 4.健康長寿の信心
 5.絶対勝利の信心
この推進力も、たゆみなき勤行なのだ。

 「広宣流布にために勝たせてくださいと祈ることだ。弾けるような題目をあげるのだ。さあ、一緒に勤行をしよう!」とは、恩師の忘れ得ぬ呼びかけであった。
 勤行の「師子吼」とは、師弟共に唱うる音声の意義である。
 ゆえに、勤行に臨む私の心からは、初代・二代の広宣流布の大師匠が瞬時も離れない。そして、創価の戦友たる全同志を胸に抱いて、妙法の大音声を轟かせゆく日々である。
 新しき「前進・勝利の年」は、はつらつたる勤行の革命から、歓喜踊躍して出発したい。