小説「新・人間革命」 陽光44 2月23日

 ロサンゼルスを発つ四月十日も、山本伸一は出発間際まで、メンバーの激励を重ねた。

 伸一の激励は、あらゆるメンバーに及んだ。

 陽光が大地の隅々まで降り注ぐように、“あの人は”“この人は”と、陰で働く人、目立たぬ努力の人、献身の人などを次々と照らし出していったのである。

 伸一の宿泊場所となったマリブ研修所の管理者や、食事の準備にあたってくれたメンバーにも、記念品をプレゼントし、句などを詠んでは贈っていった。

    

 此の国に 君ありにけり  金の宿

 朝夕に  ともに語りし   君が味

  

 また、日本からUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)に留学している一人の青年にも句を詠んだ。

  

 海を越え  わが師子生立て 嵐にも

    

 われらは、何のためにこの世に出現したのか。

 地涌の菩薩なれば、広宣流布のためである。

 広宣流布とは、一切衆生の成仏得道の法である妙法を弘めゆくことだ。

 それは、人びとの仏の生命を涌現せしめ、大いなる生命力を、善なる心を、正義の意志を、勇気を、希望を、呼び覚ますための聖業である。

 その行為を、平易な言葉で表現するなら、「励まし」といえよう。

 ゆえに伸一は、わが人生は、人への「励まし」のためにあると決めていたのである。

 本来、地涌の菩薩の使命をもつ私たちは、友を、家族を、自分に連なるすべての人びとを励ますために、生を受けているのだ。

 いかなる苦境にあろうが、病床にあろうが、体が動けなくなろうが、生命ある限り、人を励まし続けるのだ。

 たとえ言葉がしゃべれなくなっても、表情で、微笑で、眼差しで励まし、地涌の使命を果たし抜くのだ。

 そこには、人間としての、能動性、主体性がある。その時、生命は、美しき太陽の輝きを放ちゆくのだ。

 それが、「生きる」ということなのだ。