小説「新・人間革命」 陽光50 3月2日

 各演目が終わると、山本伸一はマイクを取って語り始めた。

 「このすばらしい満天の夜空の下、いよいよハワイは、世界的な焦点の地となるべき松明を掲げました。

 皆さんは、世界平和の原型を構築しゆく“核”となり、また、コンベンション大成功への導火線となっていただきたい。

 そして再び、このハワイの地から、私と共に、世界平和の波を起こしましょう。

 今日は、私が皆さんをお見送りします。皆さん方の熱烈な歓迎に対して、感謝の心を込めて送らせていただきます」

 そして、自ら退場口に立ち、ねぎらいと励ましの言葉をかけ続けた。

 声も嗄れた。握手を交わす手もしびれていた。しかし、伸一は自分の体など、かばおうとは思わなかった。

 ――励ましの陽光を、一人ひとりの胸中深く送ることだ。この光ありてこそ、人の勇気が、希望が、使命が目覚める。

 この生命と生命の絆こそが、創価の金剛の団結をつくっているのだ。

 プレ・ハワイ・コンベンションの終了後も、伸一の激励は続いた。

 彼は、グアム島からもメンバーが参加していることを聞くと、代表を会館の仏間に招き、共に勤行し、懇談した。

 グアムはマリアナ諸島南端に位置する、ミクロネシア最大の島である。

 十九世紀末、スペイン領からアメリカ領となり、第二次世界大戦中には、一時、日本軍の占領下に置かれた。

 そして、これを奪還しようとするアメリカ軍との間で、激しい攻防戦が展開されたのだ。

 日米両軍はもとより、罪もない多くの住民も犠牲になった。

 また、二年前の一九七二年(昭和四十七年)一月には、この島で元日本兵横井庄一が発見されている。終戦を迎えても、二十六年五カ月もの間、ジャングルに身を潜め続けてきたのだ。

 彼が日本の土を踏んだ最初の言葉が、「恥ずかしながら、生きながらえて帰ってきました」であった。

 伸一は、そのニュースに接した時、胸が張り裂ける思いがした。

 “恥ずべきは誰なのか! 国のために死ねと教え、民衆に塗炭の苦しみをなめさせた戦争指導者ではないか!”