巻頭言 5月(2007年)

             「立正安国」は人類の希望の旗

 仏法は
   すなわち
      社会の法なれば
   賢き智慧にて
      栄光勝ち取れ

 人生の真の「生き甲斐」とは、何か。
 トインビー博士の答えは明快であった。
 「私たちが住んでいるこの宇宙を変えようと努力することです」と。
 人間として生まれてきたからには、この世界を少しでもよく変えていくべきだ。そこに本当の充実があ るーこれが人類史を見晴らしてこられた博士の結論であった。
  だからこそ、大乗仏教の真髄を実践して、現実社会を変革しゆく、創価の「立正安国」の民衆運動  を、歴史に輝く精神的偉業として賛嘆なされたのだ。その主役として戦う、わが同志の顔は、何と誇り 高いことか!

 苦楽をば
    共に法戦
       尊くも
    三世の安国
       残せしうれしさ

 日蓮大聖人の御一代の化導は「立正安国論」に始まり「立正安国論」に終わる。「立正」(正を立て  る)とは、邪悪を打ち倒し、正法を流布して、生命の尊厳、人間の尊重という哲理を確立しゆくことで ある。
  そして、「安国」(国を安んずる)とは、民衆の安穏と幸福を実現し、社会の繁栄と世界の平和を建 設することに他ならない。
  この人類の希望である「立正安国」の法旗を高々と掲げて、日本の軍国主義と戦い抜いてこられたの が、初代・牧口常三郎先生であり、二代・戸田城聖先生であられる。
  思えば六十年前の八月十四日、私が戸田先生に初めてお会いした座談会で、先生が講義されていた御 書も「立正安国論」であった。
 日寛上人は、「立正安国」の意義は「閻浮(全世界)及び未来に通ずべし」と記されている。
 「立正安国論」の諫暁(文応元年=1260年)から満七百年の節に、第三代会長に就任した私は、そ の方軌に則り、一閻浮提の指導者と対話を広げ、人類の未来を照らしゆく、平和と文化と教育の人材の 城を築いてきた。
  今、私が対談を進める中国の知の至宝・じょ宗い先生も感嘆されていたことがる。
 それは、立正安国論に認められた「国」の文字の大半に「くに」-つまり「口」に「民」が入った文字 が用いられていることである。「民衆」こそが、根本であり、眼目なのだ。
  なかんずく、現実に立正安国を推進されているのは婦人部の皆様方である。健気な母たちが、足を鉄 板のようになるまで歩き抜いて、正義と平和の勝利の道を開いてきたのだ。

  世界の知性が宗教を判断する重大な基準がある。それは、その信仰者が「何を説いたか」ではなく   「何を行ったか」である。
  仏教学の権威として名高い、ハーバード大学・クィーン博士は、明晰に論じておられた。
  「現実社会の真っ只中に入り、自らの主張と行動を明らかにする。良き社会の建設のために戦うとの  生き方を堅持し、社会に価値を創造するーこうした生き方こそ、本来の仏教の精神に根差したもので  す。
    そうでなければ、宗教は社会から遊離し、やがては“精神の死”を迎えるでしょう」
   この博士が「行動し社会に貢献する仏教の模範」「社会悪と戦う健全な団体」と信頼してくださっ   ているのが学会である。
    御聖訓には「結句は勝負を決せざらん外は此の災難止み難かるべし」(998ページ)と仰せで   ある。
    「立正」とは、正義が断じて勝つことだ。そこに「安国」が広がる。この師弟栄光の旗を、私は    わが青年に託したい。

   新しき
     世紀を築かむ
         偉大なる
     使命に燃えたる
         常勝青年部