巻頭言7月号 2007年

 断固たる破邪顕正の闘志たれ!      創価学会名誉会長  池田 大作

 晴れわたる
   不軽の心の
      広宣の
   友の功徳は
      億万劫かな

 蓮祖大聖人は、「不軽菩薩の人を敬いしは・いかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」(1174ページ)と断言なされた。
 「人を敬う」-ここに、法華経の修行の肝心がある。
 「人の振舞」-ここに、仏法の出発があり、結論がある。
 「常不軽」。すなわち「常に人を軽んじない」という名の如く、この菩薩はあらゆる人びとを侮らず、「あなた方は皆、菩薩道の修行をすれば、必ず仏になることができる」と礼拝していった。人間を尊敬し一人の人を大切にする、この究極の対話を、大聖人の仰せの通りに実践しているのが、わが学会員の皆様方である。「人を敬う」不軽の行動は、必然的に「人を軽賎する」増上慢の勢力からは、妬まれ圧迫される。難こそ正義の誉れなのだ。それは、「生命の仏性」と「権力の魔性」との戦いといってよい。
 私の親友である「アフリカの人権の英雄」マンデラ氏が喝破されたように、不正と戦うのは人間性を守り抜くためである。
 「長く長く続いた異常な人間破滅の歴史を乗り越えて、すべての人々が誇りをもてる社会に生まれ変わらなければならない」
 この「正義の岩窟王」の魂は、創価三代の師弟の精神と深く強く響きあってきた。だからこそ、二十七年半・一万日にも及ぶ獄中闘争を勝ち越えたマンデラ氏は、多くの青年が待つ東京の聖教新聞社へ、満面の笑みを浮かべながら、おいでくださったのだ。

 信教の
  自由を守れや
      断固して
  正義の剣持ち
      邪義を倒さむ

 初代・牧口常三郎先生、そして第二代、戸田城聖先生に続いて、第三代の私も、まったく無実の冤罪によって不当に逮捕・投獄された。
 昭和三十二年の七月、「大阪事件」である。無罪判決までの四年半、裁判所での公判に何をおいても足を運び続けながら、祈り抜いてくださった忘れ得ぬ御夫妻もいる。
 わが関西の友は、全生命を奮い立たせながら、常勝を誓った。
 「権力の魔性には、絶対に負けたらあかん!」
 「正義の師弟に敵対する輩は、断じて許さへん!」
 この烈々たる「関西魂」は、五十年後の「師弟の月」「正義の月」「青年の月」の七月に、いやまして熱く燃え盛っている。
 不軽菩薩の姿は「心に畏るる所無かりき」と記されている。日本中、いな全世界の創価の同志の神々しき勇気の心も、その通りである。学会は正しい。学会は強い。そして学会は美しい。

 人権の
  革命ありて
     常勝を

 御聖訓には、「法華経の敵をだにも・せめざれば得道ありがたし」(1494ページ)と仰せである。「人間を軽賤する」増上慢を、徹底して打ち破っていく闘争こそ、一生成仏と広宣流布の大直道なのである。
 「邪悪」を破折せざれば、「正義」を顕現する資格はない。必ず「破邪」があってこそ、初めて「顕正」があるのだ。
 ヨーロッパでいち早く法華経に注目していた大哲学者カントは、「汝らの権利を他人の蹂躙に委ねるな」と厳命している。
 「創価学会は、世界のすべての人々に『信教の自由と権利』を保障する団体です。この学会を、私たちの『連帯』と『精神』と『モラル』の力で支えていきましょう」とは、SGI創価学会インタナショナル)の深き理解者である、ブラジルの大音楽家ビエイラ氏の宣言であられた。
 ともあれ、仏法は勝負である。人生も勝負である。「立正安国」を決するのも、勝負である。ゆえに断じて勝たねばならない。アメリカの女性参政権に尽力した作家のオルコットは叫んだ。「勝利したときこそ、大いに喜ぶ権利を得るのです」

 断固たる
   破邪顕正
      正義をば
   断じて貫け
      仏になるため