小説「新・人間革命」 懸け橋28  8月31日

 山本伸一たちは、さらに大クレムリン宮殿を見学した。

 ロシア皇帝の宮殿は、きらめくシャンデリア、豪華な調度品の数々に装飾されていた。レーニンの私室とは対照的に、贅沢の限りを尽くしたものであった。

 それを支えていたものは、権力の下で虐げられてきた「農奴」たちであった。

 民衆を足蹴にし、君臨してきた権力の横暴が革命を招いたのは、歴史の必然といってよい。

 伸一は、戸田城聖のもとで学んだ、ホール・ケインの『永遠の都』の一節を思い出していた。

 「民衆は真の主権者である、その主権者を圧迫する階級こそ反逆者ではないか」(注)

 万人に「仏」の生命を見る仏法は、本来、民衆を王ととらえる思想でもある。民衆が本当の主権者となり、幸福を享受できる社会の建設が、われらの広宣流布なのだ。

 クレムリンを出た伸一たちは、北側の城壁の外にある無名戦士の墓を訪れた。平和への誓いを託して、献花するためであった。

 この墓は、第二次世界大戦の犠牲者を弔うためにつくられたものだ。

 幅四、五メートルほどの平らな石の上に、ヘルメットが置かれ、その前に、平和への祈りを込めた火が、赤々と燃え続けていた。

 石の前に、じっとたたずみ、涙ぐむ、老夫婦の姿があった。息子を亡くした人なのであろうか。

 そこに、戦争の傷跡を見た。それは、世界共通の、人類共通の痛ましい光景である。

 一行は、人の背丈ほどの花輪を先頭に、整然と墓の前に進み、献花すると、犠牲者の冥福を祈って、題目を三唱した。

 捧げた花輪には白地のリボンがつけられ、そこに金文字のロシア語で、「世界平和への祈りを込めて」と書かれていた。

 この日の行事を終えて伸一がホテルに戻ると、「ジェジュールナヤ」という、各フロアで部屋の鍵を管理している係りの人が、微笑みを浮かべて語りかけてきた。肉付きのよい、人のよさそうな婦人である。

 「今日はクレムリンで最高会議を訪問されたのですね。さっき、テレビのニュースでやっていましたよ」



引用文献:  注 ケイン著『永遠の都』戸川秋骨訳、改造社=現代表記に改めた。