07年9月18日 聖教新聞 山梨最高協議会での名誉会長のスピーチ 上-1

07年9月18日 聖教新聞
山梨最高協議会での名誉会長のスピーチ 上-1

常勝の人材城を築くには
「一人を大事に」「皆を尊敬」
人を見下す魔性を許すな いざ出陣!わが同志と共に 

一、きょうは、ご苦労さま!
 すがすがしく前進する山梨を久方ぶりに訪れ、元気な皆様にお会いすることができた。
 これほどうれしいことはない。
 待望の大月池田文化会館の開館も、おめでとう!(大拍手)
 ここから、きょうから、世界広布の新しい一歩を踏み出してまいりたい。
 北欧ノルウェーの国民詩人ビョルンソンは戯曲に綴った。
 「最も強いものとは、新しくする意志のあるもののことだよ!
 永遠の炎、爆発する力! 開拓者にはそれがあるんだ。
 それが肝心なところだ。開拓者に勇気があればあるほど、続くものは多くなる」(毛利三彌訳「人の力を超えるもの」、『ノーベル賞文学全集19』所収、主婦の友社
 わが信頼する同志の皆様は、たくましき広宣流布の開拓者である。
 この北欧の大詩人が謳い上げたごとく、創価の人材山脈には、「永遠の炎」がある。「爆発する力」がある。そして「開拓の勇気」がある。
 法のため、人のため、皆様は、本当によく戦ってこられた。
 一人一人が大成長しておられる。
 堂々と前進また前進を続けておられる皆様に、心から感謝申し上げたい(大拍手)。
 「山梨といえば、16世紀の武将・武田信玄が有名である。
 上杉謙信と覇を競った「川中島の戦い」。徳川家康織田信長の連合軍を破った「三方原(みかたがはら)の戦い」。武田軍団は「最強」とさえ言われた。
 信玄に対する人物評はさまざまだが、戦乱の世に、飢饉や疫病にも襲われるなか、戦い続け、防ち抜いた。甲州の黄金時代を築いた足跡は、歴史に不滅である。
 我らの広宣流布の言論戦にあっても、山梨は、皆が刮目(かつもく)する、偉大なる人材城を築いていただきたい。首都圏を、さらには日本と世界を、堂々とリードしていっていただきたい。
 そうした期待をこめ、数ある信玄の逸話の一端に触れておきたい。

 「実力主義」の人材登用 
 一、信玄は、実力主義で人材を登用した。適材適所で人を生かした。
 社会的地位や肩書などではなく、「行動」と「結果」を重視したのである。
 甲州武士の歴史物語に『甲陽軍鑑(こうようぐんかん)』がある。
 このなかに信玄の言葉として、忠義を尽くし功労を立てた武士には、立場や身分にかかわらず、その手柄に応じた恩賞を与えることが記されている。〈品第三十九〉
 さらに『甲陽軍鑑』に、信玄の戒めとして次のように綴られている。
 「ほんとうの手柄のないものは、そのためかならず軽薄をもって上辺(うわべ)をつくろい、お追従(ついしょう)などいってごまかそうとする。またほんとうの忠節や忠功の人をそねみ、悪口をいって、自分につごうのいい仲間だけをほめてしまう」(品第三十九。上野晴朗著『武田信玄潮出版社から)
 どす黒い嫉妬は許さない。本当に戦っている人に最大に報いる。それが信玄の心であった。
 一、『甲陽軍鑑』のなかでも、国を滅ぼす武将についての指摘は重く、鋭い。〈以下、佐藤正英校訂/訳『甲陽軍鑑ちくま学芸文庫を参照。品第十一~十四〉
 その一つ、「愚かな武将」は、「わがまま」で「自惚れ」。「家臣の誉めるままにいい気になって、自分がなすことのよしあしもわからなくなってしまう」
 また、「利口過ぎる武将」──すなわち、ずる賢い武将も、「すぐ天狗になるかと思うと、意気消沈しやすい」「口では立派そうなことをいっていても、心底は無慈悲である」。
 そして「臆病な武将」は「愚痴っぽく」「他人を猜(そね)み、こびへつらい」「ことをこねくりまわしすべてを遅怠させる」。
 さらに、「強過ぎる武将」は、「前もって考えず」、正しい「諌言」も聞かず、「気負ってばかり」で、ついには滅びると述べている。
 ともあれ、悪い人間がリーダーになれば、皆が苦しむ。よい人間がリーダーになれば、皆が力を発揮する。
 すべては「人」で決まるのである。

 民の生活を守れ 
 一、信玄は中国古典の素養も深かったようだ。
 実弟・信繁によるとされる武田家の家訓にも、中国の古典の引用が多い。書経からは、次の言葉も引かれている。
 「徳とは善政を施すことであり、為政とは民の生活を守ることである」(佐藤正英訳)
 また、信玄が制定した法律に「甲州法度之次第」がある。その中には、信玄自身が法度の趣旨に反したことがあれば、"貴賎を問わず陳状をもって申し立てよ"と明確に記されている。
 「民の芦」を「天の声」として重んじる。そうした理念がうかがえよう。

 「人は石垣」「人は城」 
 一、武田信玄は、地域の経済を発展させ、人々の喜らしを安定させる指導者としても、類いまれな手腕を発揮した。
 甲府盆地は昔から水害が多かった。よく知られるように、信玄は大規模な治水に力を入れた。それにより、新田開発も進んでいった。
 「信玄堤」と呼ばれる堤防は、子々孫々に恩恵をもたらしたのである。
 どれだけの人が幸福になったのか。それが、地域の発展を示す、根本の指標といえよう。
 一、口先だけ、要領だけでは、皆の心はつかめない。人も育たない。
 未来の決勝点を目指して、粘り強い行動を重ねることだ。
 「人は石垣」「人は城」──何よりも、一人一人を大事にすることだ。皆を尊敬することである。傲慢に見下すことなど、あってはならない。それは権力の魔性の姿だ。
 友を守る。友に尽くし抜く。それを貫いてこそ、何があっても揺るがない、正義の「石垣」が築かれる。人材の「城」が、そびえ立つ。
 育て上げられたその人自身が、難攻不落の「城」となるのである。

 歌声とともに勝利の大行進! 
 一、戸田先生は、天下の要所である山梨をこよなく愛し、大切にされた。この地で、青年を薫陶してくださった。
 山梨には、創価の師弟の深い緑がある。重大な使命の天地なのである。
 山梨創価学会の前進は、まことに立派である。偉大なる広宣流布の歴史を現実に大きく切り開いてくださっている。
 私はいつも、戸田先生のお心を思い、そして、広宣流布の新時代を展望して、山梨を訪問させていただいている。

ノルウェーの詩人
「新しくする意志」がある者こそ最強!

 一、武田軍の心意気を歌った「武田節」は、多くの人に愛されてきた。
 勇ましい「武田節」の歌詞は、学会魂と響き合う。
 どうだろう、ひさびさに、皆で歌おうではないか!(大拍手)
 〈ここで、参加者が、名誉会長とともに、力強く「武田節」を歌った〉
 いい歌だ(大拍手)。
 この「武田節」を声高らかに歌いながら、山梨の皆様は、朗らかに前進していっていただきたい。
 皆、武田節の英雄として!
 心も軽く! ゆとりと微笑みをもって!
 歌にこめた「戦う心」は、一念三千の法則で、勝利のリズムをつくり、大いなる前進の力となっていく。
 学会は、歌を歌いながら勝ってきた。大事なことは、いかなる苦難も吹き飛ばすような強さと明るさで、生きて生きて生き抜くことだ。
 我らには「法華経の兵法」がある。
 楽しく肩を組みながら、わが同志とともに、常勝の大行進を続けていこう(大拍手)
 〈武田信玄については編集部でまとめる際、柴辻俊六編『武田信玄大事典』新人物往来社小和田哲男著『史伝 武田信玄』学研M文庫、笹本正治著『武田信玄ミネルヴァ書房、同『武田信玄』中公新善、平山優著『武田信玄吉川弘文館小和田哲男著『甲陽軍鑑入門』角川ソフィア文庫酒井憲二編著『甲陽軍鑑大成』汲古書院、磯貝正義・服部治則校注『戦国史料叢書 甲陽甲鑑』人物往来社などを参照した〉

師弟直結の輝く模範を
精神の土台ができれば未来は必ず大発展!

山梨最高協議会での名誉会長のスピーチ(上)-2に続く