07年10月11日 聖教新聞   随筆 人間世紀の光 143-1 山本 伸一

07年10月11日 聖教新聞
随筆 人間世紀の光 143-1 山本 伸一
 世界の指導者との対話 

我らは「精神世界」の開拓者
輝く「友の道」開く その「人生」に誉れあり

 私の永遠の師匠は、戸田城聖先生である。
 その弟子として、師匠と共に、三世永劫にわたる人間の極致、そして大宇宙の本源まで説き明かした大仏法を知った喜びに、私は感涙にむせんだものだ。
 ともあれ、大切な人生だ。大切な一生だ。
 長い長い価値ある旅路を、永久不滅の正義と大勝利の金字塔を打ち立てゆく天地まで、歩み、走りゆくのだ。
 嵐が何だ! 怒涛が何だ!
 中傷批判が何だ!
 名声が何だ! 財宝が何だ! 権力が何だ!
 偉ぶった、嫉妬深い畜生どもが何だ!
 私には、大法という金剛不壊の宝の中の究極の宝がある。
 朝な夕な、常に語り、常に励ましてくださる師匠が胸に生きている私は、最高に幸福者だ。永遠に幸福者である。
 私は勝利者だ。三世にわたる祝杯を上げながら、光り輝く"不滅の正義"という松明を高く掲げているからだ。
     ◇、
 戸田先生は、よく言われた。
 「中国では『高徳の人物との一夜の対話は、十年の読書にも勝る』という言葉がある。
 第一級の人物に会っていくことだ。その語らいは、百科事典を凝結した如き内容にもなるだろう。自分自身の心の世界を豊かに広げてくれる」
 その通り、私は世界の著名な指導者と、たびたび対話し、深い思い出を残してきた。多くの方々が、尊く立派な人格者であられた。
 自分自身の哲学によって立ち、その信念に基づいた論調は明快であり、人柄は誠実であった。いわゆる、はったりやごまかしや気取りなどは、まったくない。
 胸襟を開き、本当に充実した対話の歴史を作ることができた。
     ◇
 忘れ得ぬ会見の一人は、アメリカの大経済学者のレスター・サロー博士である。
 博士は、現代経済学の最先端をリードしてこられた。
 『ゼロ・サム社会』『資本主義の未来』など、世界的なべストセラーも多数である。
 世紀の転換期である一九九九年の年頭と秋に、二度、対話を重ね、さまざまな角度から深い論究ができた。
 私にとっても、まことに実り多い対話となった。
 博士は語られた。
 「『まず自分が変わる』ことが先決です」「変化は、トップからやるべきです」
 「本当のリーダーは、『この人についていきたい』と人に思わせ、納得させる人です。
 皆が自発的についていくのがリーダーです」と。
 私たちと相通ずる、明快な指導者諭であった。
 惰性ではない。刷新である。
 押しつけではない。励ましである。
 リーダー率先の決意新たな「人間革命」への挑戦から、一切の回転が始まるのだ。

 サロー博士の卓見 

 「二十一世紀のフロンティア(開拓最前線)とは、何でしょうか?」
 私が尋ねると、サロー博士は即答された。
 「地理的な探検はやりつくされていますが、『精神世界の探検』には、ニューフロンティアが残されています。
 そこで、宗教の問題になります」
 「宗教には『人間を向上させる力』があります。
 『人間は、より良くなれるんだ』ということを、宗教は資本主義社会の中で教えるべきです」
 時代の「急所」を突いた論点であった。
 「精神の世界」「生命の世界」こそ、いよいよ本格的に人類が挑むべき、最大のニューフロンティアである。
 「人間を向上させる力」をみなぎらせた仏法を実践しゆく、わが創価の青年群こそ、この新たな人類史を開拓しゆく"先鋒"であることを、誉れも高く自負されたいのだ。
 なお、サロー博士と私は、関西の中小企業にみなぎる、突破口を開く技術力や、変革を推進しゆく創造性などについても、大いに語り合った。
 「関西こそ、人材が雲集する、日本で最も魅力的な天地であれ!」──これが、サロー博士の期待であった。
 ともあれ、まず「新しい自分」を作り、そして「新しい人材」を育てること。これが「今」を勝ち抜く要諦である。
     ◇
 戸田先生にお会いした十九歳の頃に、本を繙いて学んだ詩歌や名文は、今も私の胸に光っている。
 青春時代に読み、わが心に刻まれた詩人の声、そして文豪や哲人の文章を、私は自分自身の大いなる人間の成長のためにと、書き留めてきた。
 私にとって、宝石の如く輝きわたる一文また一文である。
 これからの若き弟子のために、これからの広宣流布という道を戦い、切り開いていく後輩のために、私は折々に、その読書ノートを開いてきた。
 さらにまた、年々歳々、新たに学び生命に刻んできた、思い出に残る幾つもの箴言を、そのまま紹介させていただいている。
 「怖れることはない」
 「善徳にはいかなる道もとざされることはないのだ」
 これは、古代ローマの大詩人オウィディウスの名作で読んだ言葉であった。
 正義に生きゆく人生には、この「勇気」と「確信」がみなぎっている。
 この詩人は、さらに語った。
 「怠惰は私には死と考えられる」
 そして、「新しいということもすべての中で最も貴重であり、遅れた賛辞には感謝の念も遠ざかります」と。
 反応は、スピードが大事である。遅くなってしまえば、真心は十分に伝わらない。
 創価学会は、打てば響く、誠実な反応の早さで、勝ってきたのだ。
 この点、イギリスの詩人ジョン・ダンも、「やろうと思っただけでは遅れを取る。今すぐ実行せよ」と綴っていた。
 なお、このダンは、友情を讃え、こうも言い切っている。
 「君は僕である。
 (友達なら、そんなことは当り前の話)」
 さらに!
 「何事が起ろうとも、そこから利益をひきだす力は私の中にある」
 これは、スイスの大恩想家ヒルティの断言であった。
 仏法の「変毒為薬」の法理に通ずる至言として、若き私の魂に強く響いた言葉である。
     ◇
 私が、大中国の偉大な人民の指導者・温家宝総理と再会したのは、今年の爛漫の春、四月十二日であった。
 ご多忙のところ、長時間を割いてくださり、忘れ難い歴史の劇となった。

まず 自分が変われ!
 勇んで登攀を! 断じて勝利の峰へ!

 周総理と温総理 

 この語らいの中でも話題となった、温総理の尊く光る名言の一節がある。
 それは、「私は人民の子である。我々が成し遂げた一切は、人民のおかげである」と。
 いかなる立場になっても、「人民の子」であるという原点を忘れない。そして、すべての目的は「人民のため」であり、すべての功績は「人民のおかげ」であるという精神を、貫き通しておられる。
 ここに、温総理が周恩来総理と並び称されて、「人民の良き総理」と敬愛される所以がある。
 温総理ご自身、中国の大発展を指導し切ってこられた周恩来総理を、心から尊敬されている。
 温総理にとって、周総理は、同じ南開中学で学んだ、同窓の大先輩でもある。
 温総理は、十四歳の時、周総理から、この南開中学に届いた"体も強く、頭も強い、英知の人材と育ちゆけ!"との激励のメッセージを胸に刻んで、向学の青春を歩んでこられた。
 母校を大切にされる温総理もまた、一九九〇年、激務のなか、南開中学を訪問され、後輩たちを励まされている。
 母校に到着した温総理が真っ先に向かったのは、校内に立つ周総理の銅像であった。
 温総理は、その像を仰ぎながら、周総理との思い出を、若人たちに感慨深く語られたのである。
 温総理は、私との会談でも、「青年の交流」を重視する心情を述懐されていた。
 「人民のため」、そして「青年のため」「未来のため」──周総理の精神を、そのまま継承しておられる姿に、私は深く感銘した。

随筆 人間世紀の光 143-2に続く

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