07年10月11日 聖教新聞  随筆 人間世紀の光 143-2   山本 伸一

07年10月11日 聖教新聞
山本 伸一
随筆 人間世紀の光 143-2

 世界の指導者との対話 

     ◇
 一九九八年、中国では「百年に一度」といわれる長江の大洪水が起こった。
 当時、副総理であった温総理は、江沢民主席らと共に、現地へ何度も何度も足を運ばれて、被災者を見舞い、警備兵をねぎらわれている。
 大雨の中、ぬかるんだ道を歩き通して、危険な堤防の状況を、自分のその目で視察された。
 そして堤防が決壊するたびに、直ちに現場に急行し、泥まみれになりながら、人びとを励まし、救援・再建の陣頭指揮を執られたのだ。
 ある現場では、洪水を分散させ、下流の大都市を守るには、"大堤防爆破もやむなし"という意見が大勢のなかで、温総理は、あらゆる情報を冷静に精査して、大堤防を守る決断を下した。この英断が被害を最小限に食い止めたと、今もって感謝されている。
 思えば、周恩来総理も、大災害の際には、即座に駆けつけ、危険を顧みず、一軒一軒を回られた。
 そして「私は人民の雑用係です」と言って、皆に温かな励ましの声をかけながら、復興への手を一つ一つ打っていかれたことは、有名な史実である。
 温家宝総理は就任の折、周総理も大切にされていた「鞠躬尽瘁(心身を尽くし抜く)」という言葉にも触れて、強い決意を語っておられた。
 周総理と温総理が、人民のために戦い勝ってきた歴史的輝きの姿は、二重写しとなって、私の胸に迫ってくる。
 お二人とも、平和への大革命家であられた。そして平和主義の大先達であられる。
 温総理は、こう訴えられた。
 「困難を知ることは難しくない。大事なことは、困難に立ち向かい、困難を知りながら敢えて進むことだ。そして永遠に退くことなく、断じて勝利していくことだ」
 日本への訪問も、温総理は、幾多の困難が立ちはだかるなか、この決定した断固たる信念で断行してくださった。
 ご存じの通り、「氷を溶かす旅」は大成功であった。
 温総理が来日の折、贈ってくださった自筆の書には──
 「慈航創新路
  和諧結良縁」
 (慈航は新たなる路を創る
  和諧は良縁を結ぶ)
 と流麗に認められている。
 総理は「創価」という言葉から「慈悲」と「創造」の二つの意義を汲み取られ、この書に織り込んでくださった。
 文化の大国の哲人宰相から頂戴した、かけがえのない友誼と信頼の宝である。
 温総理も、私からの返礼の漢詩を喜んでくださったと伺った。
 この九月、両国の国交正常化三十五周年を祝う北京での諸行事も、総理のご出席のもと、晴れ晴れと行われ、慶賀にたえない。
     ◇
 周恩来総理、そして温家宝総理にゆかりの南開大学とは、創価大学も、またアメリ創価大学も、有意義な交流を結ばせていただいている。
 この南開大学には、学生の有志の方々によって、光栄にも「周恩来池田大作研究会」が結成されている。
 先日も、その英才たちから、嬉しい便りをいただいた。
 その香しき文面には、中秋の名月に寄せて、大詩人・蘇軾(そしょく)の詩が引かれていた。
 「ただ願わくは
  人長久にして
  千里に嬋娟(せんけん)(月)を
  共にせんことを」
 ──互いに、いつまでも健在で、千里の彼方に離れていようと、心は共に、美しき名月を仰いで、賞(め)でようではないか、と。
 この詩に託して、南開大学の俊英は、こう綴ってくれた。
 「遠く離れていても、池田先生と共に名月を観賞できることに、私たちは最高の幸福を感ずるものであります」と。
 私は冴えわたる月光の如き、若き英知の光彩に感動しながら、このお手紙を拝受した。
 そして、この友誼の大月天が、両国の青年の心を黄金の光で、無窮に照らしゆくことを祈りつつ、中国の方角へ向かい、妻と二人して合掌した。
     ◇
 世界の識者との対談の席で、相手の方々が、思わず居住まいを正して語られる場面がある。
 それは、ご自身の「師匠」のことを話される時だ。

 師を思えば力が!

 昨年の一月、ロシアの名門ウラル国立大学から、名誉博士号を拝受した折であった。
 トレチャコフ総長は、芳名録に、一文字一文字、丁重に著名されながら、こう語っておられた。
 「これも師匠の教えなんです。決しておろそかにせず、丁寧に心を込めて書くんだよと教えてくれたのです」
 総長の恩師は、大数学者のクラソフスキー先生であられる。四十年以上もご一緒に仕事をされてきたという。
 師を語る、その声は、敬愛と感謝に満ちあふれていた。
 師を思えば、人は力が湧く。勇気がみなぎり、喜びがあふれる。背中を押してもらったように、胸を張って前に進めるのだ。
 師恩を踏みにじるような忘恩の人間は、誰一人として、晴れがましい人生を全うすることは絶対にできない。
 「恩知らずで地獄はいっばい」とは、南米ベネズエラの格言である。
     ◇
 あの世界史上に輝くアレキサンダー大王が、十三歳から数年間、大哲学者アリストテレスを師匠として、学問を教わったことは有名である。
 この師匠から、若き大王が学んだものは、何であったか。
 フランスの思想家モンテーニュは、こう指摘している。
 すなわち、それは「勇気と果敢と剛毅と節制と何ものも恐れぬ自信」であったと──。
 苦難に挑む勇気!
 構極果敢な行動!
 嵐に揺るがぬ剛毅!
 勝利のために労を惜しまず、自身を律する節制!
 失敗を恐れず、自らの可能性を信じて挑戦する自信!
 すべて、戦う厳たる青年の美徳といってよい。
 モンテーニュは、そうした魂が「師弟」を通して受け継がれたと洞察したのだ。
 弟子が師匠から何を学び、何を継承していくか──。
 私も、世界広宣流布の大業を実現するために、戸田先生から、万般の学問と、一切の戦いを学んだ。
 あらゆる激戦の最前線を切り開きながら、「絶対勝利の信心」の極意を体得した。
 今、そのすべてを、わが池田門下の弟子たちに、滔々と伝え抜いていく時が到来しているのだ。
     ◇
 本年五月、欧州マケドニアから賓客をお迎えし、八王子の創価大学でお会いした。
 美しき湖畔の古都オホリッドの名に由来する、「オホリッド・ヒューマニズム・アカデミー」のプレブネス会長のご一行である。
 マケドニアは、アレキサンダー大王の深き縁の大地だ。
 光栄にも、プレブネス会長は論じてくださった。
 ──アレキサンダー大王は「世界の扉」を開いた。
 そして、二千三百年を経た現代において、戸田会長の弟子である池田博士が、「人類の希望の扉」を開いたのである──と。
 世界を結ぶ創価の師弟に寄せられた信頼として、謹んでご紹介させていただきたい。
     ◇
 アレキサンダー大王の心は、常に兵士と一体であった。
 大王は、生死を共にしゆく勇者を「この男もまた、アレキサンダーなり」と宣言した。
 自分と一緒に、自分と同じく勇敢に戦う者は、皆、アレキサンダーだというのだ。
 戸田先生も、「全員が戸田城聖たれ!」と訴えられた。
 私は、この戸田先生の若き分身として、日本中、世界中を走り抜いてきた。
 人と会い、人と語り、友情を結び、一瞬の邂逅(かいこう)を永遠の出会いにする思いで、仏縁を全地球に広げに広げてきた。
 若き君よ! 青年たちよ!
 君もまた山本伸一となって、私に続いてくれ給え!
 人を当てにするのではない。自分自身が「希望」の太陽となって、行く所、向かう所に、勇気の光を送りゆくのだ!
 雄渾なる前進また前進で、勝利また勝利の大光を自分らしく赫々と放ちゆくのだ!
 君たちよ! 二十一世紀の新世界の扉を開きゆく、若き創価アレキサンダーたれ!

 法難に
  断固と護れや
      師弟城

 喧燥の
  嵐に勝ちゆけ
      師弟山

 (随時、掲載いたします)

 オウィディウスは『転身物語』田中秀央・前田敬作訳(人文書院)、『悲しみの歌/黒海からの手紙』木村健治訳(京都大学学術出版会)。ダンは『ジョン・ダン全詩集』湯浅信之訳(名古屋大学出版会)。ヒルティは『ヒルティ著作集1 幸福論1』氷上英廣訳(白水社)。モンテーニュは『エセー』原二郎訳(岩波書店)。アレキサンダーの話はプルタルコス『英雄伝』、アッリアノス『アレクサンドロス大王東征記』等を、また、温家宝総理の事跡は『人民中国』(二〇〇三年五月号)等を参照。

随筆 人間世紀の光 143〔完〕

ブログ はればれさんからのコピーです。