小説「新・人間革命」 懸け橋69  10月20日

コスイギン首相もまた、山本伸一との会見に深い意義を感じ、大いに満足したようであった。

 伸一の招待に尽力し、会見に同席したソ日協会のコワレンコ副会長は、後に、次のように記している。

 「会談が終わって、コスイギンは私に向かって、こう質問しました。

 『コワレンコさん。こういう優れた日本人をどこで見つけてきたのですか。どこで発見したのですか』と」

 そして、首相は、さらに、こう述べたという。

 「これからは密接に関係を保つことを、コワレンコさん、あなたに命令します。

 もし、クレムリン(政治局)で困難な問題が起こるなら、直接、私に電話しなさい」

 さらに首相は、帰宅後、愛娘のリュドミーラ・グビシャーニに、伸一との会見について、こう語ったのである。

 「今日は非凡で、非常に興味深い日本人に会ってきた。複雑な問題に触れながらも、話がすっきりできて嬉しかった」

 ともあれ、一民間人である山本伸一の手によって、歴史の歯車は、音を立てて回転し始めようとしていた。日ソの新たな友好の道が開かれただけでなく、中ソの対立の溝にも、一つの橋が架けられようとしていたのである。

 身を挺しての奮闘の持続が巨岩を動かす。

 伸一は、コスイギン首相との会見に続いて、正午からは、ソ連対文連友好会館を訪れた。

 今回のソ連訪問によって、日ソ両国の文化交流が推進されたことを確認するとともに、一層の交流促進への意思を明らかにするため、一行と対文連とのコミュニケ(声明書)を発表することになっていたのである。

 これには、ポポワ議長をはじめとする対文連の関係者のほか、ソ日協会のコワレンコ副会長、B・I・ウグリノビッチ事務局長らが出席した。

 日ソ両国の旗が立つテーブルに、ポポワ議長と伸一が着き、日露両文のコミュニケに調印した。

 コミュニケには、九月八日以来の友好交流の足跡が詳述され、「今後の日ソ両国民間の相互理解を深め、善隣友好関係を強化し、文化、科学、教育分野における交流を拡大する意思を表明した」と記されていた。