2007年11月27日付 聖教新聞  婦人部最高協議会での名誉会長のスピーチ 上-2

2007年11月27日付 聖教新聞
婦人部最高協議会での名誉会長のスピーチ 上-2

 「勇気とは絶望を拒否し進むこと」
 一、私たちが親交を結んだ、大切な友人であるローザ・パークスさんも、どんなに有名になろうと、その誠実な人間性が少しも変わらなかった方である。
 いうまでもなくパークスさんは、アメリカの「バス・ボイコット運動」の端緒を開いた、「アメリ公民権運動の母」である。人種差別撤廃の象徴的存在であられた。
 最近も、パークスさんの本格的な評伝が日本で発刊された(ダグラス・ブリンクリー著、中村理香訳『ローザ・パークス岩波書店)。
 評伝には、知人の次のような証言が記されている。
 「彼女からは謙虚さを教わりました」
 「(驚嘆すべきことは)彼女には、名声によって影響を受けるということがなかったことです。
 彼女はまったく変わらず、簡素で謙虚そのものでした」等々──。
 第一級の人物は、皆、謙虚である。誠実である。
 〈この評伝では、パークスさんと池田名誉会長の友情にも言及。「人権への関心において、池田博士は今世紀の多くの人々よりも先を行っていました」とのパークスさんの言葉も紹介されている。
 「八十歳になるまで外国はカナダとメキシコにしか行ったことがなかった」パークスさんは、1994年5月に来日し、信濃町聖教新聞本社で名誉会長と再会。
 創価大学では創大名誉博士号受章記念の講演を行い、「池田博士は、20世紀から21世紀への公民権運動、人間のための権利の獲得のために献身される精神的リーダーであります」等と語った。
 評伝には「東京への旅は彼女(パークスさん)の人生において最も忘れられないものとなった」と綴られている〉
 パークスさんは、長年にわたる黒人差別に対して、「ノー!」と勇気の声を出した。彼女の行動は、時代を揺り動かしていった。
 彼女は「勇気を持つということは、何があっても絶望に身を任せることを拒否し、前進しつづけることだ」(同)と語っている。
 この「勇気」を、パークスさんは、創価の女性にも見いだしてくださっていた。その信頼と期待は、まことに大きかった。
 一、パークスさんは、創価女子短大生との笑顔はずむ語らいのなかで、こう語られた。
 「最も尊敬する人は、私の母です。なぜなら母は、尊い意志をもって自分の尊厳を守ることを教えてくれたからです」
 どんな尊大な権力者よりも、どんな驕った有名人よりも、人間の誇りをもって生き抜く無名の母が偉大である。
 パークスさんは、母への深い尊敬を込めて、こうも述べられている。
 「私は、母レオナ・マッコーレーのおかげで、人種差別のなかで生きながらも、自尊心を持ち、ほかの黒人たちを誇りに思いながら育つことができました。
 どのくらいお金を持っているか、どんな家に住んでいるか、どんな服を着ているかということで人を判断してはいけないと、母は私に教えてくれました。
 人は、自尊心と他人に対する尊敬の念によって判断されるべきだと、母は教えてくれました。
 後年、私が自分に課せられた困難な仕事を成し遂げられたのも、この母の忠告のおかげです」(高橋朋子訳『勇気と希望』サイマル出版会
 人間は、だれ人たりとも尊厳である。わが生命の力を、自分自身が、誇り高く発揮していくのだ。
 決して卑屈にならない。そして、他者に尊厳を見いだし、尊敬していけるかどうか。ここに、パークスさんのお母さんは、人間の偉さの基準を置いておられた。

 信心の労苦が最も尊い 
 一、17世紀フランスの文人ラ・ブリュイエールは、鋭く世相を見つめた。
 彼は、私が講演したフランス学士院の淵源であるアカデミー・フランセーズの会員であった。
 「うそのお偉方はすさまじくて寄りつけない。彼はそのいんちきを知っているから、隠れている。少くとも正面切って出て来ない。
 姿を見せても、唯人を欺くに必要なだけ、自分の正体を即ち本当の卑賤ぶりを見られないために必要なだけ、の程度にしておく。
 本当の偉い人は、物事にとらわれず、優しく、親しみやすく、平民的である」(関根秀雄訳『カラクテール』岩波文庫。現代表記に改めた)
 仏法の世界は「平等大慧」である。特別な人はいない。皆が本来、仏である。皆が尊貴である。
 そのなかでも、私たちは、信心強く、広布のために苦労して戦う人を、最も大切にするのだ。
 万が一にも、社会的な肩書や立場、名声や人気などを重んじて、真面目な学会員を軽んずるようなことがあれば、清浄無比なる和合僧を破壊してしまう。
 後世のために、あえて、この点は厳重に戒めておかねばならない。
 一、釈尊の弟子の一人である耆婆(ぎば)は、名医であった。
 多くの難病を治療し、「医王」と讃嘆された。開腹手術や頭手術も行ったと伝えられている。大国・マガダ国の大臣ともなり、社会的地位や名声も、大変に高かった。
 彼は反逆の堤婆達多と戦った。また、阿闍世王(あじゃせおう)を釈尊に帰依させてもいる。
 その耆婆が、ある時、師匠である釈尊仏弟子たちを家へ招いたことがあった。
 しかし耆婆は、もの覚えが悪く、愚鈍とされている須利槃特(すりはんどく)だけは、わざと招かなかった。耆婆は須利槃特をバカにしていたのである。
 釈尊は、大切な弟子を見下す、耆婆の傲慢を戒めた。
 皆、かけがえのない尊貴な弟子ではないか。それがわからず、仏弟子を見下す者こそ愚かであり、自分で自分を傷つけているのである。
 師の厳愛に、耆婆は目を覚まし、激しく後悔する。そして、同志とともに、師の広大無辺の境涯に学び、偉大な使命の生涯を全うしていったのである。
 創立の父・牧口常三郎先生がよく拝された御聖馴に、「上根(機根の優れた人間)に会っても、自分を卑下してはならない」「下根(機根の劣った人間)に会っても、僑慢になってはならない」(御書466ページ、通解)という一節がある。

正義を叫んたパークスさんの母の教え
 人間の偉さの基準は他者を尊敬できるかどうか
17世紀フランスの文人の観察眼
 本当に偉い人は優しく親しみやすく庶民的

 この御文を通して、牧口先生は言われた。
 「名門の人や、高位・高官だからといって、へつらうのも法を下げる。
 いばって、信用をなくすのも法を下げることになる」と。
 戸田先生もまた、「傲慢」「慢心」を幾度となく戒めておられた。その一端を学び合いたい。
 「真の信仰にめざめたわれわれには、福運を消し、自分自身をも破壊させる慢心の振る舞いだけは、けっしてあってはならない」
 「腹の中で学会員を小馬鹿にしたり、大した人間でもないのに自分を偉そうに見せたり、学歴があるからといって尊大ぶる愚劣な幹部もいる」
 「学会員を馬鹿にする者は誰であろうと、私は許さない!」
 「和合僧を尊重して、我見や増上慢の幹部や議員を叱り飛ばし、異体同心の理想的な広宣流布の前進へと戦う人こそが、信心強盛な仏法者である」
 婦人部の皆様方が先頭に立って、聡明に、毅然と学会精神の真髄を堅持して、世界第一の和合の世界を厳護していただきたい(大拍手)。

 古い星も若い星によって元気に 
 一、いわゆる「権力者」と、真の「指導者」とは、どこが違うのか。
 それは、他者に奉仕しているか、どうか。後継の人材を育てているか、どうか。ここで見極めることができよう。
 ローザ・パークスさんは、「未来の世界がどうなるかは、私たちが今どのように生きるかにかかっています」と強調されていた(高橋朋子訳『ローザ・パークスの青春対話』潮出版社)。
 未来のために、今、自分に何ができるか。
 一流の人物は、この一点を見つめながら、命ある限り行動を続ける。そして、荘厳な夕日に照らされた全山紅葉の山並みのように、人生の総仕上げを果たしていく。
 イギリスの大歴史学者であるトインビー博士も、そうであった。
 さらにパークスさんは、「青少年たちは、いつの時代でも、ベストをつくすよう、そして社会問題への答えを追及するよう励まされなければなりません」(同)とも述べておられた。
 言葉だけの抽象論ではない。具体的に、人々のため、社会のために、一緒に行動していくなかでこそ、後継の青年が育っていくのである。
 まさに、学会活動の姿である。
 「大白蓮華」の12月号に、壮大な大宇宙で観測される、興味深い事実が紹介されていた(「仏法は希望の生命学」)。
 それは、「老いた星も、若い星に近づくことで、元気になる」というのである。
 浅井和美博士(理学)が、次のように語っておられる。
 「年老いた中性子星も、近くに若い星が接近していると、強い重力に引っ張られて、若い星からガスが中性子星へと流れ込むのです。
 これが回転エネルギーを与えることになり、自転はどんどん速度を上げます」
 「こうした振る舞いは、高齢の方が、若者との交流を通して、以前にもまして、明るく元気に歩んでいる姿と重なります」
 我々は、まさに老若男女が一体となり、平和と幸福の軌道を前進している。天空はるかな星々のドラマも、広宣流布の運動の力強さを象徴しているといえよう。
 自信をもって、「団結第一」で進みたい。助け合い、切磋琢磨しながら、堂々と進もう!(大拍手)
    (下に続く)

婦人部最高協議会での名誉会長のスピーチ 上〔完〕

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