2008年2月13日付 聖教新聞 新時代 第15回 本部幹部会での名誉会長のスピーチ 上-2
2008年2月13日付 聖教新聞
新時代 第15回 本部幹部会での名誉会長のスピーチ 上-2
小さな集いから大いなる拡大の波
戸田先生 百万の理論より一つの座談会
会場提供者の皆様へ深い感謝を
「成仏」とは「勝つ」こと
一、あらためて「勇気」について述べておきたい。
勇気は、勝つための原動力である。
何ものにも負けない人こそ、真に幸福な人である。つきつめて言えば、自らに勝たなければ、真実の幸福は開けない。
広宣流布も、勝つことによって進んでいく。
勝つことで、わが仏の生命は輝いていく。「成仏」とは、真の勝利の異名なのである。
全員が勝とう!〈「ハイ!」と力強く返事〉
勝つために、題目をあげるのである。勝つために、自身を鍛えるのである。
人類初の宇宙飛行に成功したガガーリンは断言している。
「勝利は、勇敢な者に微笑む」と。
臆病な人には、勝利は微笑まない。逆に、逃げていってしまう(笑い)。
勇気である。信心とは、最極の勇気のことである。仏法の真髄も、勇気である。
信仰の魂は実践
一、フランスの文豪ロマン・ロランは述べている。
「信仰は行為である。信仰は生活されなければなんの意義もない」 (姥原徳夫訳『トルストイの生涯』岩波文庫)
実践が大事であるということだ。学会の考え方と同じである。
実践なき信仰は、真実の信仰とはいえない。「信心即生活」「仏法即社会」である。
なかには、私腹を肥やすために、人々の信仰心を利用して、自らを権威化し、民衆を抑圧する宗教者もいる。こうした悪人には、断じて騙されてはならない。
「信仰は生命の力である。人は信仰なくして生きることはできない」(宮本正清訳「トルストイの生涯」、『ロマン・ロラン全集14伝記1』所収、みすず書房)
これは、トルストイの確信であった。
世界一の信仰をもつ私たちである。
偉大なる生命力を奮い起こして、進んでいきたい。
三類の強敵と戦う誉れ
一、2月は、日蓮大聖人が、流罪中の佐渡で、「関目抄」を完成された月である。
それは、寒風が吹きすさび、雪が降り積もり、八寒地獄を感ずる極限のなかで、執筆なされた。
こうしたことを思えば、いくら寒いといっても、暖房が整っている現代は恵まれている。
過酷な環境のなかで、大聖人は正義の闘争を展開された。
「開目抄」で、蓮祖は仰せになられた。
「法華経の行者がいれば、必ず三類の強敵がある。三類の強敵は」すでにいる。法華経の行者は一体、だれであろうか。探し求めて師とすべきである」(御書230ページ、通解)
いうまでもなく、大聖人の御事であられる。
そして、この仰せのままに、「三類の強敵」と戦い、世界190カ国・地域に「太陽の大仏法」を私めたのが、三代にわたる創価の師弟である。
この師弟の大道を勇み進んで、「永遠の幸福」と「世界の平和」へ、関目、すなわち人類の目を開いてまいりたい(大拍手)。
「座談会で広宣流布はできる」
一、次に、きょうは「座談会」の重要性を再確認しておきたい。
拡大の力は、一にも、二にも、座談会だ。しかし、大幹部でも座談会に出ていない場合がある。それではいけない。
座談会で広宣流布はできるのだ。これは戸田先生の遺言であった。
日蓮大聖人が正法を説き始められたのは、「少少の大衆」(御書894ページ)の会座であった。ここで初めて、正義の師子吼が轟いた。
小さな集い──ここに原点がある。座談会は、ゆっくりと座って語り合う。そうでなければ、本当のことは友の心に入らないものた。
牧口先生は、だれよりも早く座談会の会場に到着された。座談会に行って話すのが、大好きであられた。教育者であり、真剣で、まじめな先生であられた。
リーダーは、座談会で皆が集まった後に、偉ぶって入ってくるようではいけない。まず最高幹部が早めに行って、ていねにあいさつし、温かく友を迎えるのだ。
生意気で偉ぶっているのは、信心ある者の姿ではない。偉ぶらない人間が本当に偉い。それが真の信心の世界である。
牧口先生は、まず、会場を提供してくださるご家族に、笑顔であいさつをされ、深く感謝なされた。
大切な他人の家をお借りするのだから、最大の礼儀を尽くすのは、当然である。感謝の心を具体的に伝えることだ。
各家庭には、それぞれの状況がある。そのなかで会場を提供してくださっている。幹部がツンとして、まるで自分の家のように威張るようであれば、和合の学会を壊してしまう。喜んで迎えていただけるよう、礼儀正しくあらねばならない。
会場の掃除や片付けを申し出るなど、自分の家以上に、こまやかに心を配ることである。
牧口先生は、その家の方がお茶を出そっとすると、「お茶は結構ですから、こちらへ来てお話をいたしませんか」と声をかけ、気をつかわせないようにされた。
ちょっとした、小さなことが大事なのである。
たとえば、父親が会社で嫌な思いをして家に帰った時も、娘がニコツと笑顔で迎えたら、もうそれだけで元気になる(笑い)。それが娘から「お父さん、もう帰ってきたの」(笑い)と言われ、そのうえ妻からは「ご飯は、まだできていませんよ」(爆笑)。これではかわいそうである。
温かな振る舞いは、相手を思いやる心から生まれるのである。
2月闘争の拠点
一、牧口先生は、青年のように目を輝かせ、「自行化他の題目を唱えることが一番大事です」「折伏が宗教の生命です」と、力強い声の響きで語られた。
私の妻の実家も、草創期の個人会場であった。牧口先生も、戸田先生も、お迎えした。
人類初の宇宙飛行を遂げたガガーリン 勝利は勇敢な者に微笑む
牧口先生を駅まで迎えに行き、手を引いてご案内したのが、小学生の妻であった(大拍手)。
あの蒲田支部の「2月闘争」でも、そこは拡大の拠点の一つとなった。有名な座談会場だった。拠点がしっかりしていたことも、蒲田が伸びた一因だったといえよう。
一、戸田先生は、ある座談会の参加者に、親しく呼びかけられた。
「今日は、ひとつ楽しくやろう。さあ、みんなこっちへきなさい」
そして「私の話は芸術だよ。よく聞いておきなさい」と声をかけていかれた。まさに先生の話は汲めども尽きぬ智慧とユーモアにあふれていた。
また、もしも最初から「私の話は仏法だよ」と言われたら、来た人も、嫌になってしまったかもしれない。学会の会合に仏法の話が出るのは、決まりきっている。
「折伏だ」「広宣流布だ」と、いつも同じ言い方ばかりだと、心に残らない場合もあろう。
あえて先生は「芸術だよ」「楽しくやろう」と言われた。そうやって皆の心を解きほぐし、大きく引きつけていかれたのである。
さらに、ある座談会で戸田先生は、その会場のお宅のお子さんで、病気と闘う青年を、抱きかかえるように激励された。
「体を大事にしなさい。体が大事であれば、自分の信心を大事にすることだ。題目を唱えきりなさい。きっとよい結果があらわれるよ」
悩んでいる人がいれば、全魂を込めて、真心から励ますことだ。
幹部は決して威張ってはいけない。よく気をつけないと、だんだん慢心に陥ってしまう。
皆を心から敬い、仏のごとく迎えるのだ。振る舞いが大事である。
世界中のリーダーの皆さん、頼みます!〈「ハイ」と大きな返事が〉
青年よ座談会に勇んで集い合え
一、戸田先生は、出席した座談会で青年部が活躍している姿を見ると、心から喜ばれた。
「ここの座談会は青年が集まる座談会だ! うれしい、うれしい!」
青年がいれば、皆がうれしい。多宝の友も、元気になる。
懸命に戦う青年ほど、美しいものはない。地域の方々にまで、さわやかな希望が広がる。
青年部は「わが地域の座談会に、勇んで集い合っていただきたい。婦人部も、壮年部も、応援をお願いします!
さあ新時代の2月闘争だ。青年部が座談会を軸にして、広宣流布を拡大する──戸田先生が、どれほど喜ばれるか。
そして3・16「広宣流布記念の日」の50周年を、新しき師子の陣列で、晴れ晴れと迎えていただきたい。
一、昭和31年5月。私が指揮を執る大阪支部が「1万1111世帯」の大折伏を達成した。戸田先生は、かつてない拡大を、こう讃えてくださった。
「この大阪の素晴らしい拡大の結果に学んで、他の地域でも、大阪のように座談会を主力にしてやろうという方針となった。その意気に燃え上がってきた所で、多くの弘教ができたのである」
常勝の歴史は、座談会によって築かれたのだ。
一、私は戸田先生の指導を、きちんと記録し、残してきた。
先生は強調された。
「座談会をやって、二人でも三人でもいれば、御本尊の話、学会の話をして、みな、感激に満ちて帰っていく。そこから、いまの組織が発祥し、できあがっていったのである」
戸田先生が拡大の中心軸に据えられたのは、座談会であった。
「われわれは最初、座談会をやったときは、一人か二人、あるいは三人のため、遠いところまで出かけたものである。その原点へもどって、まじめに、真剣に、会員を育ててもらいたい」
今年、座談会に出た人は?〈「ハイ」と全員から元気な返事が〉
座談会に行かなくなったら、もう折伏の戦列から離れてしまっている。
戦後、出獄された戸田先生は、「学会の再建にあたっては、座談会の復活が根本である」と一貫して訴えていかれた。
そして、こう言われていた。
「百万言の耳当たりの良い理静よりも、一つの座談会の実践のほうが、
はるかに広宣流布の歯車を回すことになる」
多忙であっても、できる限り時間をこじあけて座談会に集い、広布の息吹を呼吸していくのだ。
「本当に正しい折伏の場は、創価学会の座談会以外に絶対にない」
「大聖人の仏法の座談会である。慈愛に満ちあふれた、この世でいちばん楽しい会合であるべきだ」
この先生の叫びを心に刻みたい。(下に続く)
新時代 第15回 本部幹部会での名誉会長のスピーチ 上〔完〕
ブログ はればれさんからのコピーです。
新時代 第15回 本部幹部会での名誉会長のスピーチ 上-2
小さな集いから大いなる拡大の波
戸田先生 百万の理論より一つの座談会
会場提供者の皆様へ深い感謝を
「成仏」とは「勝つ」こと
一、あらためて「勇気」について述べておきたい。
勇気は、勝つための原動力である。
何ものにも負けない人こそ、真に幸福な人である。つきつめて言えば、自らに勝たなければ、真実の幸福は開けない。
広宣流布も、勝つことによって進んでいく。
勝つことで、わが仏の生命は輝いていく。「成仏」とは、真の勝利の異名なのである。
全員が勝とう!〈「ハイ!」と力強く返事〉
勝つために、題目をあげるのである。勝つために、自身を鍛えるのである。
人類初の宇宙飛行に成功したガガーリンは断言している。
「勝利は、勇敢な者に微笑む」と。
臆病な人には、勝利は微笑まない。逆に、逃げていってしまう(笑い)。
勇気である。信心とは、最極の勇気のことである。仏法の真髄も、勇気である。
信仰の魂は実践
一、フランスの文豪ロマン・ロランは述べている。
「信仰は行為である。信仰は生活されなければなんの意義もない」 (姥原徳夫訳『トルストイの生涯』岩波文庫)
実践が大事であるということだ。学会の考え方と同じである。
実践なき信仰は、真実の信仰とはいえない。「信心即生活」「仏法即社会」である。
なかには、私腹を肥やすために、人々の信仰心を利用して、自らを権威化し、民衆を抑圧する宗教者もいる。こうした悪人には、断じて騙されてはならない。
「信仰は生命の力である。人は信仰なくして生きることはできない」(宮本正清訳「トルストイの生涯」、『ロマン・ロラン全集14伝記1』所収、みすず書房)
これは、トルストイの確信であった。
世界一の信仰をもつ私たちである。
偉大なる生命力を奮い起こして、進んでいきたい。
三類の強敵と戦う誉れ
一、2月は、日蓮大聖人が、流罪中の佐渡で、「関目抄」を完成された月である。
それは、寒風が吹きすさび、雪が降り積もり、八寒地獄を感ずる極限のなかで、執筆なされた。
こうしたことを思えば、いくら寒いといっても、暖房が整っている現代は恵まれている。
過酷な環境のなかで、大聖人は正義の闘争を展開された。
「開目抄」で、蓮祖は仰せになられた。
「法華経の行者がいれば、必ず三類の強敵がある。三類の強敵は」すでにいる。法華経の行者は一体、だれであろうか。探し求めて師とすべきである」(御書230ページ、通解)
いうまでもなく、大聖人の御事であられる。
そして、この仰せのままに、「三類の強敵」と戦い、世界190カ国・地域に「太陽の大仏法」を私めたのが、三代にわたる創価の師弟である。
この師弟の大道を勇み進んで、「永遠の幸福」と「世界の平和」へ、関目、すなわち人類の目を開いてまいりたい(大拍手)。
「座談会で広宣流布はできる」
一、次に、きょうは「座談会」の重要性を再確認しておきたい。
拡大の力は、一にも、二にも、座談会だ。しかし、大幹部でも座談会に出ていない場合がある。それではいけない。
座談会で広宣流布はできるのだ。これは戸田先生の遺言であった。
日蓮大聖人が正法を説き始められたのは、「少少の大衆」(御書894ページ)の会座であった。ここで初めて、正義の師子吼が轟いた。
小さな集い──ここに原点がある。座談会は、ゆっくりと座って語り合う。そうでなければ、本当のことは友の心に入らないものた。
牧口先生は、だれよりも早く座談会の会場に到着された。座談会に行って話すのが、大好きであられた。教育者であり、真剣で、まじめな先生であられた。
リーダーは、座談会で皆が集まった後に、偉ぶって入ってくるようではいけない。まず最高幹部が早めに行って、ていねにあいさつし、温かく友を迎えるのだ。
生意気で偉ぶっているのは、信心ある者の姿ではない。偉ぶらない人間が本当に偉い。それが真の信心の世界である。
牧口先生は、まず、会場を提供してくださるご家族に、笑顔であいさつをされ、深く感謝なされた。
大切な他人の家をお借りするのだから、最大の礼儀を尽くすのは、当然である。感謝の心を具体的に伝えることだ。
各家庭には、それぞれの状況がある。そのなかで会場を提供してくださっている。幹部がツンとして、まるで自分の家のように威張るようであれば、和合の学会を壊してしまう。喜んで迎えていただけるよう、礼儀正しくあらねばならない。
会場の掃除や片付けを申し出るなど、自分の家以上に、こまやかに心を配ることである。
牧口先生は、その家の方がお茶を出そっとすると、「お茶は結構ですから、こちらへ来てお話をいたしませんか」と声をかけ、気をつかわせないようにされた。
ちょっとした、小さなことが大事なのである。
たとえば、父親が会社で嫌な思いをして家に帰った時も、娘がニコツと笑顔で迎えたら、もうそれだけで元気になる(笑い)。それが娘から「お父さん、もう帰ってきたの」(笑い)と言われ、そのうえ妻からは「ご飯は、まだできていませんよ」(爆笑)。これではかわいそうである。
温かな振る舞いは、相手を思いやる心から生まれるのである。
2月闘争の拠点
一、牧口先生は、青年のように目を輝かせ、「自行化他の題目を唱えることが一番大事です」「折伏が宗教の生命です」と、力強い声の響きで語られた。
私の妻の実家も、草創期の個人会場であった。牧口先生も、戸田先生も、お迎えした。
人類初の宇宙飛行を遂げたガガーリン 勝利は勇敢な者に微笑む
牧口先生を駅まで迎えに行き、手を引いてご案内したのが、小学生の妻であった(大拍手)。
あの蒲田支部の「2月闘争」でも、そこは拡大の拠点の一つとなった。有名な座談会場だった。拠点がしっかりしていたことも、蒲田が伸びた一因だったといえよう。
一、戸田先生は、ある座談会の参加者に、親しく呼びかけられた。
「今日は、ひとつ楽しくやろう。さあ、みんなこっちへきなさい」
そして「私の話は芸術だよ。よく聞いておきなさい」と声をかけていかれた。まさに先生の話は汲めども尽きぬ智慧とユーモアにあふれていた。
また、もしも最初から「私の話は仏法だよ」と言われたら、来た人も、嫌になってしまったかもしれない。学会の会合に仏法の話が出るのは、決まりきっている。
「折伏だ」「広宣流布だ」と、いつも同じ言い方ばかりだと、心に残らない場合もあろう。
あえて先生は「芸術だよ」「楽しくやろう」と言われた。そうやって皆の心を解きほぐし、大きく引きつけていかれたのである。
さらに、ある座談会で戸田先生は、その会場のお宅のお子さんで、病気と闘う青年を、抱きかかえるように激励された。
「体を大事にしなさい。体が大事であれば、自分の信心を大事にすることだ。題目を唱えきりなさい。きっとよい結果があらわれるよ」
悩んでいる人がいれば、全魂を込めて、真心から励ますことだ。
幹部は決して威張ってはいけない。よく気をつけないと、だんだん慢心に陥ってしまう。
皆を心から敬い、仏のごとく迎えるのだ。振る舞いが大事である。
世界中のリーダーの皆さん、頼みます!〈「ハイ」と大きな返事が〉
青年よ座談会に勇んで集い合え
一、戸田先生は、出席した座談会で青年部が活躍している姿を見ると、心から喜ばれた。
「ここの座談会は青年が集まる座談会だ! うれしい、うれしい!」
青年がいれば、皆がうれしい。多宝の友も、元気になる。
懸命に戦う青年ほど、美しいものはない。地域の方々にまで、さわやかな希望が広がる。
青年部は「わが地域の座談会に、勇んで集い合っていただきたい。婦人部も、壮年部も、応援をお願いします!
さあ新時代の2月闘争だ。青年部が座談会を軸にして、広宣流布を拡大する──戸田先生が、どれほど喜ばれるか。
そして3・16「広宣流布記念の日」の50周年を、新しき師子の陣列で、晴れ晴れと迎えていただきたい。
一、昭和31年5月。私が指揮を執る大阪支部が「1万1111世帯」の大折伏を達成した。戸田先生は、かつてない拡大を、こう讃えてくださった。
「この大阪の素晴らしい拡大の結果に学んで、他の地域でも、大阪のように座談会を主力にしてやろうという方針となった。その意気に燃え上がってきた所で、多くの弘教ができたのである」
常勝の歴史は、座談会によって築かれたのだ。
一、私は戸田先生の指導を、きちんと記録し、残してきた。
先生は強調された。
「座談会をやって、二人でも三人でもいれば、御本尊の話、学会の話をして、みな、感激に満ちて帰っていく。そこから、いまの組織が発祥し、できあがっていったのである」
戸田先生が拡大の中心軸に据えられたのは、座談会であった。
「われわれは最初、座談会をやったときは、一人か二人、あるいは三人のため、遠いところまで出かけたものである。その原点へもどって、まじめに、真剣に、会員を育ててもらいたい」
今年、座談会に出た人は?〈「ハイ」と全員から元気な返事が〉
座談会に行かなくなったら、もう折伏の戦列から離れてしまっている。
戦後、出獄された戸田先生は、「学会の再建にあたっては、座談会の復活が根本である」と一貫して訴えていかれた。
そして、こう言われていた。
「百万言の耳当たりの良い理静よりも、一つの座談会の実践のほうが、
はるかに広宣流布の歯車を回すことになる」
多忙であっても、できる限り時間をこじあけて座談会に集い、広布の息吹を呼吸していくのだ。
「本当に正しい折伏の場は、創価学会の座談会以外に絶対にない」
「大聖人の仏法の座談会である。慈愛に満ちあふれた、この世でいちばん楽しい会合であるべきだ」
この先生の叫びを心に刻みたい。(下に続く)
新時代 第15回 本部幹部会での名誉会長のスピーチ 上〔完〕
ブログ はればれさんからのコピーです。