2008年2月14日付 聖教新聞 新時代 第15回 本部幹部会での名誉会長のスピーチ 下-1

2008年2月14日付 聖教新聞
新時代 第15回 本部幹部会での名誉会長のスピーチ 下-1

青年よ立ち上がれ
突破口を開く新たな2月闘争を
師の大願を果たすのが弟子

 一、座談会について、戸田先生は、こうも語られていた。
 「創価学会の妙法流布は、海外であっても、どこへ行っても、最後まで、座談会中心の個人折伏が原則である」
 その通りだ。心が通い合うのが座談会である。
 先生は、「座談会は、幹部の"独演会"ではいけない。"全員参加"を忘れてはならない」と厳しかった。
 「『座談会に、あんな幹部に来てもらってはたまったものではない』とか、『幹部づらして、あんなうるさいのが来ては困る』とか、そんな苦情がくる。幹部は、自分が好かれているように思っているが、案外きらわれている場合もあるから気をつけよ」
 全リーダーが肝に銘ずべきご指導である。
 さらに先生は、座談会の会場の意義について、こう教えられた。
 「拠点は重要な信心の『城』である。私たちがお世話になっている、この『城』は大切な広宣流布の発信地であり、人材錬磨の偉大なる『城』である」
 広布の法城を提供してくださる尊き皆様に心から感謝し、この2月も、伝統の座談会から、人材・拡大の大波を起こしてまいりたい(大拍手)。

 弘教の輪の中へ
 一、戸田先生は、女子部の人材グループである「華陽会」で、『三国志』を通して指導された。
 「多くの人物が戦場で尊い命を捨てているが、革命というものは、すべて流血がつきものである。
 しかし、学会は宗教革命であり、断じて無血革命である。これは、あなたたちがやっていくのだよ」
 「まったく正しい道だから、しっかり進んでいきなさい」──こうおっしゃった。
 女子部がはつらつと座談会に出ている。弘教の輪の中に入っている。それだけで、皆が安心する。希望がわく。女子部の皆さんは、非常に大事な一人一人なのである。
 また、男性の諸君は絶対に、尊き女性を下に見るようなことがあってはならない。最も折伏をしているのは婦人部の方々である。
 青年部は、婦人部・壮年部の先輩方に負けないよう、折伏をはじめ、すべての戦いをリードしていくのだ。
 ともあれ、「広布第2幕 池田華陽会」の結成、おめでとう!
 これまで、戸田先生と私が名付けた会の皆が原動力となって、学会は大きく発展してきた。世界的な規模になった。
 21世紀の「平和革命」「幸福革命」を、よろしく頼みます!

 1年で4倍に!
 一、昭和26年(1951年)の、晴れわたる5月3日。戸田先生は、学会の第2代会長に就任された。今でも忘れない光景である。
 会長推戴のために署名した同志は、約3000人。それが、当時の学会の実力であった。
 戸田先生は、生涯の願業として、「75万世帯の折伏」を宣言。しかし、遅々として進まない。
 翌27年の年頭、学会の世帯数は約5730。この年の1月の折伏成果は、12支部の平均で約50世帯である。
 当時は、「A級支部」でも、折伏は「1カ月で100世帯前後」が限界とされていた。戸田先生の大願を成就するためには、まず、この「壁」を突破せねばならなかった。
 先生は「このままでは、広宣流布は5万年もかかってしまう」とおっしゃっていた。本当に真剣な先生だった。
 そして24歳の私を、蒲田支部の幹事に任命された。
 「師匠への報恩」の要諦とは何か。それは、日寛上人が示されているように、身命を惜しまず「邪法」を退治し、「正法」を私通することである。
 私は、日蓮大聖人への報恩、そして人生の師匠である戸田先生への報恩のために、前人未到広宣流布の拡大を誓った。
 ふるさとである大田の同志も、私の心を心として、一緒に戦ってくれた。そして2月に、壁を破る「201世帯」の折伏を達成したのである。
 蒲田支部は、その後も5月には300世帯、11月には400世帯を突破した。
 蒲田の躍進が大きな牽引力となって、この年、会員数は2万2000世帯を超えた。1年で約4倍の拡大が成し遂げられたのである。

イタリアの作家 母を悲しませるようではちっぽけな人物にすぎない

 戸田先生は、それはそれは喜ばれた。この「2月闘争」から、75万世帯達成へ向けて、全学会に大折伏の勇気と確信がみなぎっていったのである。
 一、戸田先生に「大作、お前が立ち上がってくれないか!」と言われ、私は、先生の事業の挫折をはじめ、すべての問題を引き受けた。自身の肺病とも闘った。
 先生は私に、通っていた夜学も断念するように言われた。その代わり、学問は「全部、私が教える」と──。壮絶な師弟の共戦であった。
 私一人を信頼される先生に、私は結果で報いた。幾多の危機も乗り越え、先生に会長に就任していただいた。
 「全部、大作がやってくれた」と、先生の喜ぶお姿が今も目に浮かぶ。師匠に満足していただき、笑顔になっていただくのが、弟子の誉れである。

諸葛孔明 よく戦う者ば怒らず よく勝つ者ば恐わず

 恩を忘れぬ人に
 一、ここで、『三国志』に登場する諸葛孔明の信念を紹介したい。
 「貴ばるるも驕らず」──自分が尊重されても傲り高ぶらない。
 特に最高幹部は、常に自らに問いかけねばならない。
 「委ねらるるも専らにせず」──権限を委ねられても、自分一人で勝手気ままにはしない。
 すべて、周りとよく相談することである。
 「扶けらるるも隠さず」──人から助けられたことを隠し立てしない。その恩義を忘れない。
 一女子部員、一婦入部員が学会を守ってくれたことが、今までもたくさんあった。私は、大事な方々の恩を絶対に忘れない。
 「免ぜらるるも懼(おそ)れず」──人事で交代があっても、驚かず恐れない。学会の人事でいえば、これまでの自分の役職に後輩が就く場合などが考えられよう。いい人材を、どんどん伸ばしていく。後輩の成長を喜んでいく心が大切である。
 そして、これらの条件を備えた良将の行動は、「壁の汚れざるがごとし」──宝玉が何ものにも汚されぬように、いつも光り輝いているというのである。
 さらに、孔明の言葉に学びたい。皆に、諸葛孔明のような名将になってほしいからである。
 「指導者の道は、多くの人の声を聞くことにある。皆の意見や報告を、きちんと聞くことだ。皆の目を自分の目とし、皆の耳を自分の耳としていくのである。
 多くの人の声を尊重してこそ、智者となることができる。
 そうでなければ、やがて誰も正しい意見を言わなくなる。その結果、邪な人間がはびこり、国の害となってしまうのである」
 非常に重要な話だ。
 また、「驕れる者はみずから墓穴を掘り、自分勝手な者は禍の種をまく」ともある(守屋洋編訳『諸葛孔明の兵法』徳間書店)。
 かつて、学会にもこの言葉のように、傲慢ゆえに学会員を苦しめた者がいた。最高幹部は、よくよく心していきたい。
 一、19世紀、イタリアの作家デ・アミーチスが書いた有名な小説『クオレ』に、「人間の中で最も栄光のある人でも、母親を悲しませ、軽蔑するようでは、ただのちっぽけな人だ」 (千種堅訳、潮文庫)という言葉がある。
 まったくその通りだ。
 母親を大事にすることだ。どれほどの指導者になろうと、政治家になろうと、有名人になろうと、母親を大事にできない、守れない、母に喜んでもらえない人は、「敗北者以下」であると言っておきたい。
 一、孔明は、「よく戦う者は怒らず、よく勝つ者は懼れず」(前掲『諸葛孔明の兵法』)とも指摘している。
 戦いの上手な者は、感情に左右されず、味方を大切にし、敵には断固、勇敢に立ち向かっていくのだ。これが勝利の要諦である。
 名将は威張らない。また、どんなに中傷されようが、恐れないのが名将である。
 中国の人民は、抗日運動の際に、次のような心で奮起したといわれる。
 ──「三人集まれば諸葛亮」という。民衆には偉大な創造力がある。中国人民のなかには、何千何万の「諸葛亮」がいる。すべての村、すべての町に「諸葛亮」がいる──と。
 わが創価学会も、この方程式である。すべての地区に、広宣流布諸葛孔明がいる。孔明智慧と団結がある。だから強い。いろいろなことを話し合い、作戦を練って、勝ち戦の原因をつくるのだ。仏法の真髄は、この智慧と団結の歩みに、脈打っているのである。

新時代 第15回 本部幹部会での名誉会長のスピーチ 下-1〔完〕


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