2008年2月18日 聖教新聞 創立者 永遠に学び勝ちゆく女性 キュリー夫人を語る-3-2

2008年2月18日 聖教新聞
創価女子短期大学 特別文化講座
創立者 永遠に学び勝ちゆく女性 キュリー夫人を語る-3-2

 科学の世界の新しい扉を開く
 一、結婚から2年が経ち、マリーは長女イレーヌを出産して母となりました。博士号を取得する研究の取り組みも始まりました。
 当時、フランスの物理学者アンリ・ベックレルは、「ウラン化合物が不思議な放射線を発すること」を報告していました。
 この現象の正体は何か? なぜ、このような現象が起きるのか?
 まだ、ほとんど誰も手をつけていなかったこの現象の究明が、マリー・キュリーの挑戦となりました。
 さまざまな実験を重ねた末に、キュリー夫妻は放射線を発する性質を「放射能」と名づけました。
 さらに、調べている物質のなかに、まだ人類に知られていない元素があることを突き止めていったのです。
 この解明によって、マリーは、物理学における「新しい世界」の扉を大きく開く一人となりました。
 すなわち、マリーをはじめ、優れた科学者たちの心血を注いだ研究の積み重ねによって、それまで物質の最も小さい単位と考えられていた「原子」は、さらに小さい「素粒子」で構成されており、そこには限りない可能性が広がっていることが明らかになっていったのです。

 故郷を忘れない
 一、ピエールとマリーは、初めて発見した元素を「ポロニウム」と名づけました。
 マリーの祖国ポーランドへの、万感の思いを込めた命名です。
 彼女は、その研究論文を、かつてお世話になったポーランドの恩人に送りました。
 今なお圧制のもとで苦しんでいる故郷の人々の存在は、彼女の胸から片時も離れることはなかったのです。
 現在、うれしいことにこのポーランドでも、またフランスでも、さらにヨーロッパ各地をはじゆ世界中で、短大白鳥会のメンバーが生き生きと活躍されています。

 ヤング・ミセスの溌刺(はつらつ)たる活躍
 一、さらにマリーは、第2の未知の元素を発見しました。
 二人はその元素を「ラジウム」と名づけました。ラジウムとは「放射」を意味するラテン語に由来します。
 これらは、若き妻として家庭を支え、母として幼子を育みながら積み重ねていった業績です。
 いわゆる「ヤング・ミセス」と呼ばれる年代に、マリーは、現実と悪戦苦闘しながら、その持てる生命の智慧と力を、遺憾なく発揮していったのであります。
 皆さんの多くの先輩方も、全国各地で、「ヤング・ミセス」のリーダーとして溌剌と前進されています。
 短大出身者の弾けるような生命の息吹と、同窓の麗しき励まし合いの絆は、新時代の希望と光っており、私と妻は、いつも喜んでいます。

 明確な実証を
 一、マリーにとって、果てしなく困難な作業が待っていました。
 ラジウムの存在を完全に証明するために、"実際に手に取れる形"で取り出すことに挑み始めたのです。
 理諭だけでは、まだ不十分だ。目に見える形で、決定的な証拠で万人を納得させる必要がある──これがマリーの固い決意でした。
 理論や説明で納得してくれる人もいるかもしれない。しかし、そうでない人もいます。そうした人に対しては、反論の余地のない、明確な実証を示していく。目に見える結果があってこそ、その正しさを完全に立証できるのです。
 ピエールとマリーは、懸命に働きました。当時のノートには、マリーの筆跡と、ピエールの筆跡が、交互に記されています。まさしく、夫婦一体の協同作業でした。

 不遇な環境で地道な労作業
 一、ラジウムを取り出すためには、本来、大きな実験室が必要でした。しかし、キュリー夫妻に、満足な設備はありません。パリ大学にある多くの建物の一つを貸してもらおうと奔走しましたが、結局、認められませんでした。
 やむなく二人は、物理化学学校の医学生の解剖室だったという、物置小屋のような建物を借りることにしたのです。部屋には何の装置もなく、使い古したテーブルと、あまり役に立たないストーブ、そして黒板があるだけでした。
 雨が降れば雨漏りした。冬は身を切るような寒さに悩まされた。夏は焼けるような暑さ。化学処理で生じた有毒ガスを排気する換気装置もありませんでした。
 「馬小屋ともジャガイモ貯蔵庫ともつかないもの」と形容される倉庫です。
 ラジウムが含まれていると思われる鉱物の調達にも苦労しました。さまざまに手を尽くして、やっとのことで、オーストリアの政府が、工業で使った残りかす1トンを無償で提供してくれることになりました。
 科学の歴史を劇的に変えた大発見も、その過程は、あまりにも地道な、単調な作業の繰り返しでした。
 大量の鉱物を大きな容器に入れて、ぐつぐつと煮る。化学処理を行う。それを何度も何度も、繰り返すのです。重い容器を運んだり、何時間も大きな鉄の棒でかき混ぜ続けたり、大変な肉体労働の連続です。一日の終わりには疲労のあまり倒れそうになりました。

ラジウム発見の苦闘
私はあきらめない! どんな場所でも立派な仕事ができる

 自分との戦い
 一、マリーは、こう書いています。
 「実験室における偉大な科学者の生活というものは、多くの人が想像しているような、なまやさしい牧歌的なものではありません。それは物にたいする、周囲にたいする、とくに自己にたいするねばりづよいたたかいであります」(前掲、渡辺慧訳)
 "闘い続ける人"の叫びです。さらにまた、マリーは語っております。
 「みのりの多い多忙の日々の間に、なにをやってもうまくいかない不安な日々がはいりこんできます。そういう日には研究対象そのものが敵対心をいだいているかとさえ思われてきます。こういうときこそ、じぶんの気の弱さや落胆とたたかわなければならないのです」(同)
 この言葉は、科学研究だけでなく、人生の万般に通ずる大切な哲学といってもよいでしょう。
 「なにをやってもうまくいかない」──ラジウムの抽出に挑戦する作業は、ときとして絶望的に思えました。そもそも、こうした作業は化学者の領域であり、ピエールやマリーのような物理学者が得意とすることではなかったのです。
 強い信念を持ったピエールですら、果てしない戦いに疲れ果てて、あきらめかけました。
 この障害を乗り越えるのは難しい。もっと、将来、条件がよくなってから再挑戦したほうがいいのでは?
 ぼろぼろになって研究を続ける妻のことを気遣い、ピエールは、ひとたびの「休戦」を勧告しました。

 志ある人は強い
 一、しかし、マリーはあきらめませんでした。彼女は、「あきらめる」ということを知らなかったのです。
 「ラジウムは必ずある! どんな苦労を払ってでも、必ず取り出してみせる!」
 いざというとき、志の定まった女性というのは本当に強い。
 マリーは、「どんなに不適当な場所にいても、やり方しだいで、いくらでもりっばな仕事ができるものだ」(前掲、木村彰一訳)と自伝に綴っています。
 今、短大に学ぶ皆さんは、自分を鍛える「青春という闘い」の真っ只中にいます。
 また、卒業した皆さんのなかには、描いていた理想と違う、不本意な環境で働いたり、厳しい現実の中で生きている人がいるかもしれない。
 大事なことは、強い自分になることです。「自分しだい」で、新たな道を開くこともできる。必ず立派に成長できる。
 「大変だった。でも、私は勝った!」と、笑顔で後輩に語れる、強い朗らかな皆さん方になってほしいと、私は願っています。

 わが母校
  見つめて勝ちゆけ
    わが友と

     (つづく)

創立者 永遠に学び勝ちゆく女性 キュリー夫人を語る-3〔完〕




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