2008年2月26日付 聖教新聞 全国各部協議会での名誉会長のスピーチ-2
2008年2月26日付 聖教新聞
全国各部協議会での名誉会長のスピーチ-2
師弟を忘れて広宣流布はない
一、悪は、必ず明るみに出る。それが歴史の教訓だ。
昭和54年(1979年)、私は第3代会長の辞任を余儀なくされた。
その背後には、どす黒い心の宗門と、私利私欲に狂った反逆者の謀略があった。
「第3代は一生涯、会長として指揮を執れ!」
これが戸田先生の遺言であった。第3代会長を守れば、広宣流布は必ずできる──これが恩師の厳命だったのである。
しかし、邪悪に誑かされた当時の最高幹部は、正義を守ることができなかった。
私の手もとには、多くの純真な学会員の方から届いた手紙が、今も大切にとってある。
私の辞任の報に、「なぜ、辞めなければならないんですか!」「辞めなくてすむように、戦った人間は、いないんですか!」「あまりにも、ひどすぎる!」──そうした、やむにやまれぬ怒りが込められていた。
悲痛なまでの叫びの手紙もあった。それを送ってきた人の名前も、私の胸中から離れない。
今、白日のもとにさらされた迫害の構図を、若き皆様は、わが胸に刻みつけていただきたい。
御聖訓には仰せである。
「この法門を説くと、必ず魔が現れるのである。魔が競い起こらなかったならば、その法が正法であるとはいえない」(御書1087ページ、通解)
難こそ正義の証しだ。
迫害を避け、自分だけ、いい子になって、うまく立ち回る人間は、にせものである。
だれが矢面に立って同志を守り、あらゆる迫害を受けているのか──その正義の人を、守らねばならない。
思えば、戦後、戸田先生の事業が破綻し、最大の苦境にあった時、先生は、やむなく理事長職を辞された。
妙法流布のために、牢獄にまで入った先生である。戸田先生ほど、牧口先生をお守りした人は、いない。
その戸田先生が、責任者の立場を退く──これほど、おかしなことがあろうか。
私は先生の弟子として、断じて先生に会長になっていただくのだと決意した。そこにしか、広宣流布の道はないからだ。
事業の活路を開くため、一人、命がけで戦った。師を軽んずる者には、たとえ先輩であっても、正義を叫び、増上慢を打ち倒した。そして、新しき拡大の突破口を開いていったのである。
将来を決する、大切な皆様であるゆえに、私は、ありのままの真実を申し上げておきたい。ほかのだれでもない、私こそが、学会の真実の歴史を知っているからだ。
牧口先生のもとには戸田先生がいた。
戸田先生のもとには私がいた。
だれが、これからの学会を守るのか。
それは、人ではない。自分自身だ。
幹部だから、先輩だから、立場が上だから、「弟子」なのではない。
真の池田門下として、毅然と立ち上がり、必死の祈りと行動で、一生涯、戦って戦って戦い抜く人間こそが「弟子」なのだ。
仏法の根幹は「師弟」である。創価の三代に連なる師弟の道に生き抜いていただきたい。
「師弟の道」を誤ったら成仏できない。折伏を忘れ、広宣流布を忘れ、一番大事な師弟を忘れたら、学会は崩壊である。
かつて戸田先生の時代、私たち青年部は、「全員が戸田城聖たれ!」と叫んで戦った。
全員が会長であり、全員が大将軍であり、全員が広布の総責任者──その自覚で大前進していっていただきたい。
「建設は死闘 破壊は一瞬」
一、「建設は死闘、破壊は一瞬」である。
いかなる悪も、見逃してはならない。
私は青年時代、学会や戸田先生を悪く言う者がいれば、即座に飛んでいって、厳重に抗議した。
栃木など、遠くにも、どんどん足を運び、無理解や偏見を厳然と正していった。何も恐れなかった。一人、敵陣に乗り込んだ。相手が非を認め、謝罪するまでは、一歩も引かなかった。
そんな私に、戸田先生は一言、「ありがとう」とおっしゃった。それだけで十分だった。
「師のために」「同志のために」──この一念で私は戦い抜いてきた。
善のスクラムを拡大
トルストイ
使命を自覚しない一生は苦の連続
使命に生きる一生は幸福の連続
慢心を戒めよ
一、ドイツの哲学者カントは叫んだ。
「高慢は厭わしくまた愚かしいものである」
「わがままは愚か者の特性である」(ともに御子柴善之訳「コリンズ道徳哲学」、『カント全集20』所収、岩波書店)
学会のおかげで偉くなりながら、学会を小バカにし、まじめな学会員を見下す愚かな人間は、断じて許してはならない。
そして油断や慢心、堕落やエゴといった「内なる悪」を、厳しく戒めていくことだ。
カントは、こうも述べている。
「高慢な者が他人から尊敬されようとあせればあせる程、却って誰でも彼に尊敬を拒否する」(白井成允・小倉貞秀訳『道徳哲学』岩波文庫。現代表記に改めた)
傲慢な人間は、必ず見抜かれ、ついには、だれからも相手にされなくなる。本当に哀れだ。いわんや、仏法の因果は峻厳である。
どこまでも皆を大切にし、悪に対しては、決然と正義の声を上げる。
これが指導者の鉄則である。
戸田先生は、悪に対して、「絶対に頭を下げるな」「断じて打ち倒せ」と厳しかった。卑劣な人間を震え上がらせる、勢いと強さがあった。
悪い人間を、絶対に見過ごしてはいけない。
だれからも、何も言われなければ、悪はますます増長する。
若き諸君は、「善の大連帯」「正義の大連帯」を広げ、学会を厳然と守り抜いていただきたい。
皆、立派なリーダーに育つてもらいたい。
頼むよ!〈会場から「ハイ!」と力強い返事が〉
不惜身命で戦え 民衆の城を守れ
一、広布第2幕を開くのは、一人立つ青年である。青年の熱と力である。
広宣流布の壁を破った「2月闘争」。
師との誓いを胸に、皆で、にぎやかに歌を歌いながら、私は、拡大の指揮を執った。
決めたことは、必ずやり遂げる。これが青年の誉れである。
舞台は、洋々と開けている。インドにも、ブラジルにも、アメリカにも、ヨーロッパにも、アジアにも、世界中に我らの平和と文化のセンターがある。雄大な人材育成の宝城が広がる。
日本の会館も、さらに堂々と整備していく予定である。
私はいつも、学会の会館に集う方々が、人生で勝ち、社会で勝ち、一切に勝利していけるよう、真剣に祈っている。
一、最後に、ロシアの文豪トルストイの言葉を捧げたい。
「使命を自覚しない人の人生は、苦しみの連続である。
使命に生きる人の人生は、増え続ける幸福の連続である」
これからも、わが学会は一段とスピードを速め、大きく飛躍していく。
青年の時代なのだ。不惜身命の精神を燃やして、うんと苦労して、民衆の大城を守り抜いていただきたい。
〈ここで名誉会長は、後継の友のためにと、"大楠公"の曲などをピアノで奏でた〉
"大桶公"は、戸田先生が大好きであられた。父子の正義の決意の歌である。きょうの決意を、生涯、忘れないでいただきたい。
風邪をひかないように。
皆さん、お元気で!ありがとう!(大拍手)
(2008・2・22)
全国各部協議会での名誉会長のスピーチ〔完〕
ブログ はればれさんからのコピーです。
全国各部協議会での名誉会長のスピーチ-2
師弟を忘れて広宣流布はない
一、悪は、必ず明るみに出る。それが歴史の教訓だ。
昭和54年(1979年)、私は第3代会長の辞任を余儀なくされた。
その背後には、どす黒い心の宗門と、私利私欲に狂った反逆者の謀略があった。
「第3代は一生涯、会長として指揮を執れ!」
これが戸田先生の遺言であった。第3代会長を守れば、広宣流布は必ずできる──これが恩師の厳命だったのである。
しかし、邪悪に誑かされた当時の最高幹部は、正義を守ることができなかった。
私の手もとには、多くの純真な学会員の方から届いた手紙が、今も大切にとってある。
私の辞任の報に、「なぜ、辞めなければならないんですか!」「辞めなくてすむように、戦った人間は、いないんですか!」「あまりにも、ひどすぎる!」──そうした、やむにやまれぬ怒りが込められていた。
悲痛なまでの叫びの手紙もあった。それを送ってきた人の名前も、私の胸中から離れない。
今、白日のもとにさらされた迫害の構図を、若き皆様は、わが胸に刻みつけていただきたい。
御聖訓には仰せである。
「この法門を説くと、必ず魔が現れるのである。魔が競い起こらなかったならば、その法が正法であるとはいえない」(御書1087ページ、通解)
難こそ正義の証しだ。
迫害を避け、自分だけ、いい子になって、うまく立ち回る人間は、にせものである。
だれが矢面に立って同志を守り、あらゆる迫害を受けているのか──その正義の人を、守らねばならない。
思えば、戦後、戸田先生の事業が破綻し、最大の苦境にあった時、先生は、やむなく理事長職を辞された。
妙法流布のために、牢獄にまで入った先生である。戸田先生ほど、牧口先生をお守りした人は、いない。
その戸田先生が、責任者の立場を退く──これほど、おかしなことがあろうか。
私は先生の弟子として、断じて先生に会長になっていただくのだと決意した。そこにしか、広宣流布の道はないからだ。
事業の活路を開くため、一人、命がけで戦った。師を軽んずる者には、たとえ先輩であっても、正義を叫び、増上慢を打ち倒した。そして、新しき拡大の突破口を開いていったのである。
将来を決する、大切な皆様であるゆえに、私は、ありのままの真実を申し上げておきたい。ほかのだれでもない、私こそが、学会の真実の歴史を知っているからだ。
牧口先生のもとには戸田先生がいた。
戸田先生のもとには私がいた。
だれが、これからの学会を守るのか。
それは、人ではない。自分自身だ。
幹部だから、先輩だから、立場が上だから、「弟子」なのではない。
真の池田門下として、毅然と立ち上がり、必死の祈りと行動で、一生涯、戦って戦って戦い抜く人間こそが「弟子」なのだ。
仏法の根幹は「師弟」である。創価の三代に連なる師弟の道に生き抜いていただきたい。
「師弟の道」を誤ったら成仏できない。折伏を忘れ、広宣流布を忘れ、一番大事な師弟を忘れたら、学会は崩壊である。
かつて戸田先生の時代、私たち青年部は、「全員が戸田城聖たれ!」と叫んで戦った。
全員が会長であり、全員が大将軍であり、全員が広布の総責任者──その自覚で大前進していっていただきたい。
「建設は死闘 破壊は一瞬」
一、「建設は死闘、破壊は一瞬」である。
いかなる悪も、見逃してはならない。
私は青年時代、学会や戸田先生を悪く言う者がいれば、即座に飛んでいって、厳重に抗議した。
栃木など、遠くにも、どんどん足を運び、無理解や偏見を厳然と正していった。何も恐れなかった。一人、敵陣に乗り込んだ。相手が非を認め、謝罪するまでは、一歩も引かなかった。
そんな私に、戸田先生は一言、「ありがとう」とおっしゃった。それだけで十分だった。
「師のために」「同志のために」──この一念で私は戦い抜いてきた。
善のスクラムを拡大
トルストイ
使命を自覚しない一生は苦の連続
使命に生きる一生は幸福の連続
慢心を戒めよ
一、ドイツの哲学者カントは叫んだ。
「高慢は厭わしくまた愚かしいものである」
「わがままは愚か者の特性である」(ともに御子柴善之訳「コリンズ道徳哲学」、『カント全集20』所収、岩波書店)
学会のおかげで偉くなりながら、学会を小バカにし、まじめな学会員を見下す愚かな人間は、断じて許してはならない。
そして油断や慢心、堕落やエゴといった「内なる悪」を、厳しく戒めていくことだ。
カントは、こうも述べている。
「高慢な者が他人から尊敬されようとあせればあせる程、却って誰でも彼に尊敬を拒否する」(白井成允・小倉貞秀訳『道徳哲学』岩波文庫。現代表記に改めた)
傲慢な人間は、必ず見抜かれ、ついには、だれからも相手にされなくなる。本当に哀れだ。いわんや、仏法の因果は峻厳である。
どこまでも皆を大切にし、悪に対しては、決然と正義の声を上げる。
これが指導者の鉄則である。
戸田先生は、悪に対して、「絶対に頭を下げるな」「断じて打ち倒せ」と厳しかった。卑劣な人間を震え上がらせる、勢いと強さがあった。
悪い人間を、絶対に見過ごしてはいけない。
だれからも、何も言われなければ、悪はますます増長する。
若き諸君は、「善の大連帯」「正義の大連帯」を広げ、学会を厳然と守り抜いていただきたい。
皆、立派なリーダーに育つてもらいたい。
頼むよ!〈会場から「ハイ!」と力強い返事が〉
不惜身命で戦え 民衆の城を守れ
一、広布第2幕を開くのは、一人立つ青年である。青年の熱と力である。
広宣流布の壁を破った「2月闘争」。
師との誓いを胸に、皆で、にぎやかに歌を歌いながら、私は、拡大の指揮を執った。
決めたことは、必ずやり遂げる。これが青年の誉れである。
舞台は、洋々と開けている。インドにも、ブラジルにも、アメリカにも、ヨーロッパにも、アジアにも、世界中に我らの平和と文化のセンターがある。雄大な人材育成の宝城が広がる。
日本の会館も、さらに堂々と整備していく予定である。
私はいつも、学会の会館に集う方々が、人生で勝ち、社会で勝ち、一切に勝利していけるよう、真剣に祈っている。
一、最後に、ロシアの文豪トルストイの言葉を捧げたい。
「使命を自覚しない人の人生は、苦しみの連続である。
使命に生きる人の人生は、増え続ける幸福の連続である」
これからも、わが学会は一段とスピードを速め、大きく飛躍していく。
青年の時代なのだ。不惜身命の精神を燃やして、うんと苦労して、民衆の大城を守り抜いていただきたい。
〈ここで名誉会長は、後継の友のためにと、"大楠公"の曲などをピアノで奏でた〉
"大桶公"は、戸田先生が大好きであられた。父子の正義の決意の歌である。きょうの決意を、生涯、忘れないでいただきたい。
風邪をひかないように。
皆さん、お元気で!ありがとう!(大拍手)
(2008・2・22)
全国各部協議会での名誉会長のスピーチ〔完〕
ブログ はればれさんからのコピーです。