08年3月26日付 聖教新聞  名誉会長との きのう・きょう・あした  共戦の旅路 最終回 喜び多き民衆王国 東京・北区

08年3月26日付 聖教新聞
名誉会長との きのう・きょう・あした
共戦の旅路 最終回 喜び多き民衆王国 東京・北区






北区の座談会に出席。笑いあり。涙あり。魂の蘇生あり。座談会は、
人間の温もりにあふれた語らいの広場(1968年10月19日、北会館
〈当時〉で〉。この前月の本部幹部会で名誉会長は「座談会は創価
会の根本の伝統であり、仏道修行の要諦」と



旧・東京戸田記念講堂の落成式の前日、準備をしていた同志のもとへ
(79年6月2日)。のちにこの日は「北区師弟の日」に。戸田先生の名
を冠した講堂。恩師の魂を永遠に伝え残しゆくために、名誉会長は何
度も同講堂に足を運んだ






北区、ここにあり!──民衆王国の底力を満天下に示した「北平和文
化祭」。日々の課題と苛孟練習に、見事に月券利した4000人の友の歓
喜の熱演。名誉会長は万感の拍手を贈り「北区の友に栄光あれ!」と
念願した(85年3月24日、創価大学の中央体育館で)



「北区の日」の淵源となった2000人の記念撮影会。「敬老
の日」にちなんで、「幸せを満喫する人生の勝利者に」と年配
者にカーネーションを(75年9月14日、八王子市の創価大学で)




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強い人は幸福 勝った人は幸福
 「どんなことでもいいですから、聞きたいこと、話したいことがあれば、なんでも、お話しください」
 池田名誉会長は、自ら司会者となって、参加者に語りかけた。
 1968年(昭和43年)10月19日、東京・北区の東十条支部・北地区の座談会での一コマ。前月の本部幹部会で「座談会に全魂を!」と訴え、早速、第一線に飛び込んだのだ。
 次々と質問の手が挙がる。子どもの将来に不安をもつ母。夫が信心に熱心でないと、こぼす婦人。家族のことで悩む女子部員。病気を抱えた壮年……。
 その一つ一つを真摯に受け止め、心を込め、大誠実で答えていく名誉会長。
 「生涯、強盛な信心を貫いていくならば、必ず幸福になります」
 「本当に強い人というのは、自分に負けない人のことなのです」
 飾らない人間同士の触れあい。励まし。共感。感動。温かな創価家族の縮図が、そこにあった。4人の新来者が、その場で入会を決意した。
 「座談会の北区」の誉れある伝統は、名誉会長によってつくられた。
     ◇
 「やあ、こんにちは。元気!」
 快活な声のほうを向くと、そこに名誉会長がいる。
 1979年(昭和54年)6月2日。落成を翌日に控えた旧・東京戸田記念講堂。北区の代表が、豊島の友らと落成式の準備に当たっていた。
 第3代会長辞任から約1カ月。名誉会長の動きを封じようとする「目に見えない鉄鎖」があった。そのなかを、奮闘する友の激励に訪れたのだ。
 「戸田先生の魂を打ち込みに来たよ」
 北区の「弥生合唱団」「弥生オーケストラ」が練習している会場へ。ピアノに向かい、「月の沙漠」を。そして、激しく、力強く"大楠公"を弾いた。雄渾の響きが同志に限りない勇気を与えた。友はあふれる涙とともに前進を誓った。
 この昭和54年、半年の間に18回も戸田記念講堂を訪れ、折々に北区の代表と忘れ得ぬ出会いを刻んだ。
 「今、信心だけは深めておきなさい。人間革命していきなさい」
 「生きるか死ぬか、その時に、"このために生きよう"と思えるのが『希望』だよ」
 「過去も現在も未来も、私は変わらないよ」
 いかなる時も悠然たる名誉会長の姿が、これまで幾度、同志を安心で包み、勇気を送ってきたことだろう。
 嵐のさなか、厳粛な師弟不二の精神を打ち込まれた北区の友は、名誉会長の心を抱きしめて、広布に邁進した。
     ◇
 「北区を喜多区に」と語り、「北区に光を当てよう。北区があれば、東京は心配ないという北区を期待します」と呼びかける名誉会長。
 1992年(平成4年)1月17日、北文化会館を初訪問した折、こう言った。
 「北区は強いね。頑張るね。強い人は幸福です。勝った人は幸福です」
 「強力な"北区軍団"。何ものをも恐れぬ"北区軍団"。『北区ここにあり!』の思いで戦っていきなさい」
 この師と共にあるかぎり、北区は絶対の勝者である。永遠に──。
 名誉会長は「偉大なる喜多区の同志に」贈った。

 勝ち抜きて
  喜び勇んで
    喜多区かな
   誉れの人生
     今日も明日も

共戦の旅路 最終回 喜び多き民衆王国 東京・北区〔完〕



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