2008年3月25日付 聖教新聞 全国代表者会議での名誉会長のスピーチ 上-1
2008年3月25日付 聖教新聞
全国代表者会議での名誉会長のスピーチ 上-1
女性が輝くところに発展があり、希望がある──健闘
する婦人部の友を、同志とともに讃える池田名誉会長
(26日、東京・信濃町の創価文化会館で)
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女性を大切にそれが広布の第一歩
戸田先生 幸福は自分の信心でつくるもの
一、本日の代表者会議は、"家族"の会議である。ゆっくりと、懇談的にお話をさせていただきたい。
皆さんの力、皆さんのおかげで、創価学会は、本年も偉大なる「5月3日」を迎えることができます。本当にありがとう!(大拍手)
とくに、婦人部、女子部の皆さんは、広宣流布の前進の大きな原動力となってくださっている。深く感謝申し上げたい(大拍手)。
戸田先生は「女性が責任感を持ち、鋭さを失わなければ、学会は大丈夫だ」と言われた。
創価の女性の、さらなる活躍に、私も期待している。頼みます!
さらに、戸田先生が、女子部に語った言葉を紹介したい。
「幸福は、自分の信心でつくるものだ」
「妙法という最高の価値観に立てば、人生の万般について、どういう選択・判断をすればよいかが、わかってくるものだ」
婦人部、女子部を心から尊敬し、大事にしていかねばならない。男性の幹部には、このことを強く言っておきたい。
日本は、男女の真の平等に程遠いという指摘もある。かりにも、女性に対して威張ったり、下に見たり、叱ったりするようなことがあってはならない。
婦人部、女子部を大事にすることが、仏法の第一歩であり、広宣流布の第一歩である。
男性は女性に誠実に接し、代わりに苦労を引き受けて、女性を守っていくくらいの心意気を持つべきだ。
女性を大切にせず、それどころか見下すような者は、仏法上においても、人道上においても、正しい道に反している。 男性と女性がお互いに尊敬し合い、協力し合って、"創価学会は、本当に美しい世界だな"と言われるような、心と心のつながりをつくっていかねばならない。
万代の発展へ
一、私は、学会の将来を見つめ、先の先の先まで考えて、学会が栄えゆくための道を開いている。目先ではなく、未来の盤石な発展のために戦っている。
最高幹部には厳しく言い、現場の第一線の皆様を大事にする。これが、牧口先生以来の学会の方程式である。それによって、学会は発展してきた。
幹部が威張り、師弟の道を踏みにじり、自分勝手なことをするようになったら大変なことだ。これまでも、広宣流布の尊い使命を忘れ、退転し、反逆していった輩がいたことは、皆さんもご存じの通りだ。
そういう悪人には、断固たる態度で、厳しく言い切っていかなくてはいけない。悪を見ながら、知りながら、何も言わないのは、ずるい。卑怯である。
今や、新しい時代が始まった。真実をどんどん口に出して叫んでいくことである。
一、『赤毛のアン』で有名な、カナダの作家モンゴメリは綴った。
「春四月は永遠に老いることはない」
万物が、若々しく伸びゆく春が到来した。
我々も、これでいきましょう! 立ち上がろう! 春とともに、生き生きと朗らかに前進しよう!(大拍手)
一、インド独立の父・ガンジーは、「常に心の窓を開けておけ」と語っていた(ルイス・フィッシャー著、古賀勝郎訳『ガンジー』紀伊國屋書店)。
この言葉は、心を開いて、さまざまな民衆の意見に幅広く耳を傾けよとの戒めである。
ガンジーの令孫であアルン・ガンジー氏と語り合ったことも懐かい。
広布のリーダーもまた、心の窓を大きく開けて、人々の声を聞いていってほしい。
建設的な声、学会のため、広布の前進のための声は、私心を交えず、公平に、積極的に取り入ていく。
悩める声には、真摯に耳を傾け、そして、真心の励ましを贈っていく。一方、悪人の声、広布を妨げる声に対しては、断固として戦っていくのだ。
一、南アフリカ前大統領のネルソン・マンデラ氏とお会いしたことも忘れられない。
氏は、アパルトヘイト(人種隔離政策)の撤廃のために、27年半にわたって獄中闘争を貫いた「人権の闘士」である。牢獄の中で、私の英文エッセーも読んでおられた。
1990年2月に出獄され、その年の秋に日本を訪問された。その際、私に会うために、わざわざ信濃町の聖教新聞社を訪れてくださったのである。
ただ、民衆のために!
ただ、人間のために!
ただ、自由と平等のために!──
その鋼鉄の信念で戦ってこられたマンデラ氏は、学会が進める民衆運動の真価を、深く理解してくださっていた。
〈マンデラ氏は、名誉会長との会談で、こう語っていた。
「名誉会長とSGI(創価学会インタナショナル)のことを聞いて以来、ぜひお会いしたいと願っていました。日本に来た以上、お会いするまでは帰れません!」〉
ガンジー
常に心の窓を開けよ 指導者は民衆の声を聞け
「君の師匠はこの私だよ」
一、青春時代、私は、師匠である戸田先生のために、すべてをなげうって戦った。
先生が、事業の破綻で窮地に陥った時、多くの人が先生のもとを去っていった。
手のひらを返したように、先生のことを罵倒する人間もいた。陰で罵る人間もいた。
しかし、私は一人、命がけで先生を支え、苦境の打開のために働いた。
そのために、夜学も断念した。給料が出ない時もあった。
寒くなっても、シャツ一枚で過ごしたこともあった。
しかし、そんなことは問題ではなかった。
勝利の5.3へ春とともに!生き生きと前進
師弟こそわが青春の栄光
世界一の英知の栄冠を恩師に捧ぐ
悪を許すな断じて戦え 青年部よ師子と立て!
苦闘の最中の昭和25年(1950年)の8月24日、戸田先生は突然、学会の理事長を辞任することを発表された。
私は愕然とした。
先生が理事長を辞められたら、新しい理事長が私の師匠になってしまうのだろうか──。
私は、その後で戸田先生のもとを訪れて、この一点をうかがった。
先生は、厳然と言われた。
「いや、それは違う!
苦労ばかりかけるけれども、君の師匠は、この私だよ」
私は、うれしかった。そして誓った。
"断じて、戸田先生に第2代会長に就任していただくのだ!
師弟の勝利の姿で、絶対に仇を討つのだ!"と。
私の決意を聞かれた戸田先生は、本当に、うれしそうな顔をしておられた。
そして一切の苦闘を師弟で勝ち越えて、昭和26年の5月3日、先生は第2代会長に就任されたのである。
全国代表者会議での名誉会長のスピーチ 上-2に続く
ブログ はればれさんからのコピーです。
全国代表者会議での名誉会長のスピーチ 上-1
女性が輝くところに発展があり、希望がある──健闘
する婦人部の友を、同志とともに讃える池田名誉会長
(26日、東京・信濃町の創価文化会館で)
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女性を大切にそれが広布の第一歩
戸田先生 幸福は自分の信心でつくるもの
一、本日の代表者会議は、"家族"の会議である。ゆっくりと、懇談的にお話をさせていただきたい。
皆さんの力、皆さんのおかげで、創価学会は、本年も偉大なる「5月3日」を迎えることができます。本当にありがとう!(大拍手)
とくに、婦人部、女子部の皆さんは、広宣流布の前進の大きな原動力となってくださっている。深く感謝申し上げたい(大拍手)。
戸田先生は「女性が責任感を持ち、鋭さを失わなければ、学会は大丈夫だ」と言われた。
創価の女性の、さらなる活躍に、私も期待している。頼みます!
さらに、戸田先生が、女子部に語った言葉を紹介したい。
「幸福は、自分の信心でつくるものだ」
「妙法という最高の価値観に立てば、人生の万般について、どういう選択・判断をすればよいかが、わかってくるものだ」
婦人部、女子部を心から尊敬し、大事にしていかねばならない。男性の幹部には、このことを強く言っておきたい。
日本は、男女の真の平等に程遠いという指摘もある。かりにも、女性に対して威張ったり、下に見たり、叱ったりするようなことがあってはならない。
婦人部、女子部を大事にすることが、仏法の第一歩であり、広宣流布の第一歩である。
男性は女性に誠実に接し、代わりに苦労を引き受けて、女性を守っていくくらいの心意気を持つべきだ。
女性を大切にせず、それどころか見下すような者は、仏法上においても、人道上においても、正しい道に反している。 男性と女性がお互いに尊敬し合い、協力し合って、"創価学会は、本当に美しい世界だな"と言われるような、心と心のつながりをつくっていかねばならない。
万代の発展へ
一、私は、学会の将来を見つめ、先の先の先まで考えて、学会が栄えゆくための道を開いている。目先ではなく、未来の盤石な発展のために戦っている。
最高幹部には厳しく言い、現場の第一線の皆様を大事にする。これが、牧口先生以来の学会の方程式である。それによって、学会は発展してきた。
幹部が威張り、師弟の道を踏みにじり、自分勝手なことをするようになったら大変なことだ。これまでも、広宣流布の尊い使命を忘れ、退転し、反逆していった輩がいたことは、皆さんもご存じの通りだ。
そういう悪人には、断固たる態度で、厳しく言い切っていかなくてはいけない。悪を見ながら、知りながら、何も言わないのは、ずるい。卑怯である。
今や、新しい時代が始まった。真実をどんどん口に出して叫んでいくことである。
一、『赤毛のアン』で有名な、カナダの作家モンゴメリは綴った。
「春四月は永遠に老いることはない」
万物が、若々しく伸びゆく春が到来した。
我々も、これでいきましょう! 立ち上がろう! 春とともに、生き生きと朗らかに前進しよう!(大拍手)
一、インド独立の父・ガンジーは、「常に心の窓を開けておけ」と語っていた(ルイス・フィッシャー著、古賀勝郎訳『ガンジー』紀伊國屋書店)。
この言葉は、心を開いて、さまざまな民衆の意見に幅広く耳を傾けよとの戒めである。
ガンジーの令孫であアルン・ガンジー氏と語り合ったことも懐かい。
広布のリーダーもまた、心の窓を大きく開けて、人々の声を聞いていってほしい。
建設的な声、学会のため、広布の前進のための声は、私心を交えず、公平に、積極的に取り入ていく。
悩める声には、真摯に耳を傾け、そして、真心の励ましを贈っていく。一方、悪人の声、広布を妨げる声に対しては、断固として戦っていくのだ。
一、南アフリカ前大統領のネルソン・マンデラ氏とお会いしたことも忘れられない。
氏は、アパルトヘイト(人種隔離政策)の撤廃のために、27年半にわたって獄中闘争を貫いた「人権の闘士」である。牢獄の中で、私の英文エッセーも読んでおられた。
1990年2月に出獄され、その年の秋に日本を訪問された。その際、私に会うために、わざわざ信濃町の聖教新聞社を訪れてくださったのである。
ただ、民衆のために!
ただ、人間のために!
ただ、自由と平等のために!──
その鋼鉄の信念で戦ってこられたマンデラ氏は、学会が進める民衆運動の真価を、深く理解してくださっていた。
〈マンデラ氏は、名誉会長との会談で、こう語っていた。
「名誉会長とSGI(創価学会インタナショナル)のことを聞いて以来、ぜひお会いしたいと願っていました。日本に来た以上、お会いするまでは帰れません!」〉
ガンジー
常に心の窓を開けよ 指導者は民衆の声を聞け
「君の師匠はこの私だよ」
一、青春時代、私は、師匠である戸田先生のために、すべてをなげうって戦った。
先生が、事業の破綻で窮地に陥った時、多くの人が先生のもとを去っていった。
手のひらを返したように、先生のことを罵倒する人間もいた。陰で罵る人間もいた。
しかし、私は一人、命がけで先生を支え、苦境の打開のために働いた。
そのために、夜学も断念した。給料が出ない時もあった。
寒くなっても、シャツ一枚で過ごしたこともあった。
しかし、そんなことは問題ではなかった。
勝利の5.3へ春とともに!生き生きと前進
師弟こそわが青春の栄光
世界一の英知の栄冠を恩師に捧ぐ
悪を許すな断じて戦え 青年部よ師子と立て!
苦闘の最中の昭和25年(1950年)の8月24日、戸田先生は突然、学会の理事長を辞任することを発表された。
私は愕然とした。
先生が理事長を辞められたら、新しい理事長が私の師匠になってしまうのだろうか──。
私は、その後で戸田先生のもとを訪れて、この一点をうかがった。
先生は、厳然と言われた。
「いや、それは違う!
苦労ばかりかけるけれども、君の師匠は、この私だよ」
私は、うれしかった。そして誓った。
"断じて、戸田先生に第2代会長に就任していただくのだ!
師弟の勝利の姿で、絶対に仇を討つのだ!"と。
私の決意を聞かれた戸田先生は、本当に、うれしそうな顔をしておられた。
そして一切の苦闘を師弟で勝ち越えて、昭和26年の5月3日、先生は第2代会長に就任されたのである。
全国代表者会議での名誉会長のスピーチ 上-2に続く
ブログ はればれさんからのコピーです。